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ゼルスの歌声  作者: 広科雲
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第一章 聖銀のコイン

 戦乱のつかの間の休息。

 一つの国が名を失い、一つの国が新たな名をあたえ、領土とする。

 亡国の統治者は姿を隠し、民は流れていく。

 グレストキア大陸東部に、現在、国は一二……


 大陸を、東部と中央・西部に隔てるように、南北につらぬくレブラン山脈がある。

 そこから東の海へと流れるレブラン大河を国境として、ハイラートとトゥパニアと呼ばれる国があった。

 川の流域には街のにぎわいと、相手国への防衛ラインとしての勇ましき活気があふれている。

 その中でもっとも人が集まるのが、東のハイラート王国領コックス要塞都市である。

 ハイラートは、北をレブラン山脈に、南東をエスタール国、西をレブラン大河にかこまれている。そのような環境であるがゆえ、ハイラート南西に位置するコックスは、川むこうの敵対国トゥパニアに対する要塞としてだけではなく、国内唯一の外海へとつながる港にもなっており、ハイラートにとっては武力と経済を一手に担うほどの最大級の要所であった。

「――というのが、この街の概要よ。兵士もつねに目を光らせているから、気をつけておきなさい」

 白金色プラチナにもっとも近い金髪をなびかせた女性が、凛とした表情のまま、前を歩く青年に

忠告した。誰もが振り返るであろう容貌は、堅くひきしまり油断の形すらみえず、また薄手の外套がいとうに身体を包んでいるとはいえ、その下にまとういかつい鎧の形がはっきりとわかり、彼女が一流の戦士であるのを強く誇示していた。

 男は、彼女にあくびを返しただけである。目を開けて歩くのもおっくうそうに、フラフラと道行く人にぶつかりながらさまよっていた。

「どうせ聞いちゃいないだろうけど、わかったの?」

 聞いていないのだから、理解してるはずもない。そうと知りつつ、彼女は念をおした。

 彼の返答は「ん〜」というものであった。

 「まったく……」彼の性格を充分にわかっていながらも、ため息のでるメルフィナだった。

 なんでこんな男といっしょにいるんだか。自分にそう問いかけるのさえストレスである。赤毛のボサボサ頭に、しまりのない顔。猫背ぎみでおぼつかない足どりで歩く姿。上から下まで眺めまわして、褒める部分がまるでない。これで剣の腕がたつとか、魔法のエキスパートとか、人より秀でるものがあれば尊敬もできようものだが、そういったものとはまったく無縁なのだった。かといって、特技がないわけでもない。唯一ある彼の特技といえば――

「前を見て歩きやがれ!」

 不意の怒声と重なるように、青年の「いてぇ……」という弱々しい声が地面のほうから聞こえた。

 どうやらまた、ぼーっと歩いていて、人にぶつかりでもしたのだろう。

 メルフィナが覗き込む頃には、彼を跳ね飛ばした男は人混みに消えていた。

「だいじょうぶ?」

「あ〜、平気。サイフすられただけ」

「あら、そう……って、どこが平気なのよ!」

 立ちあがりホコリをはらう青年は、何事もなかったようにあっけらかんとしている。

 メルフィナはスリを追いかけようと振り返ってみたが、もちろん影も形もない。

 それでも男が消えた方角へ走り出そうとしたとき、赤毛の青年がのんびりと言った。

「へーきだって。かわりにさっきの人のサイフをもらっておいたから」

 赤毛の中で、褐色の顔が子供のような笑みをつくった。両頬にある、刃物でつけられた傷痕も、このときばかりは愛嬌に見える。

「コウガ……、あんたねぇ……」

 腰が砕けそうになるところを、メルフィナは何とかこらえた。

 彼の唯一の特技がスリだった。

 幸いと言うべきか、彼がすられたサイフは、全財産を四つにわけたうちの小銭だけをつめたもので、中身は銅貨やせいぜい銀貨数枚くらいだろう。手近な宿をとり、他の三つを確認したが、無事、あるべき場所におさまっていた。

「それで、あんたの手癖が運んできたものは?」

 メルフィナは外套をイスに投げ出しながら、ベッドで身体を伸ばしているコウガへ尋ねた。普段ならスリをおこなう彼を強くいましめるのだが、今回はどうやら相手がさきに手を出してきたらしいので、両成敗といったところか。それくらいのアバウトさがなければ、とてもじゃないがつきあっていられない。

「けっこう入ってるみたいだね」

 「いる?」ジャラジャラと硬貨がすれあう音を響かせる革袋を、コウガはわずらわしげに彼女へ投げた。

「いらないなら持ってこないでよ」

「ん〜、なんとなく、かな」

「なによそれは……」

 まったくため息しかでてこない。

 コウガの金銭感覚は理解しがたい。いわゆる泥棒が彼の収入源であるのだが、お金に対しての執着心はむしろ皆無であった。彼に言わせれば、「物を買うのにお金がいるならば、直接、物を手に入れればお金はいらない」だそうで、「盗むのだったら、お金だろうと現物だろうとかわらない」と、逆にメルフィナに反論したほどだった。さらに「現物のがてっとり早い」といわれては、あやうく納得しかけてしまうところであった。

 メルフィナには、彼の心理を読むことはできない。戦乱の世である。さまざまな経験が、現在の彼をつくったのだろう。ただ、盗む物は決まって食料や衣類、雑貨などであって、現金を含めて高価な宝石や貴金属には目もくれない。それも必要なとき、必要な分だけ手をつける。このへんに彼の半生が隠されているようだ。盗むのは愉快犯でもなく、物欲が強いからでもなく、生きるため。それは、生への本能がさせることだろうか?

 メルフィナがコウガといる理由を強いてあげるならば、そのあたりに興味があるからなのだが、彼に多少なりとも罪悪感があるならば更正させたいとも思っていた。おしきせではあるが、彼女は義務感として胸にいだいていた。

 そうは思いつつも、一般的な人間としては、わたされたサイフに興味を覚えないはずはない。自分のほうがよっぽど強欲だ、とちょっと恥じいったりもするのだが、それはそれ、多少の興奮をともなって彼女はサイフのヒモをほどいた。

 テーブルに、気前のいい音をたてて銀貨と金貨が小山をつくる。これはどう見ても、先方の大損であろう。

「四金貨と一三銀貨。これだけあれば、半月は宿で昼寝してられるわ」

「あー、それは楽でいいねぇ」

「無邪気に言わない!」

「んじゃ、食事が来るまで寝てよっと」

「なにが『んじゃ』なのよ」

 メルフィナは呆れて、空になったサイフを無造作にほうり投げた。

 カシン!

 革の財布とは思えない音が、床に響いた。

 二人は同時に発生源へ眼をやり、白い物体をみつけた。

「どっかに引っかかってたようね。……これは、白金かしら?」

 白金硬貨ならば、追加でひとつきは遊んでいられる。「ラッキー」などと喜んでみたが、手にしてすぐに、期待どおりの物ではないのがわかった。

 一枚の穴あきコインだった。普通のものよりは一回り大きいか。縁の四方に半円のくぼみがあり、表面には文字らしきものが彫りこまれていた。

「これ――!」

「聖銀だね」

 コウガの声にハッとして、彼へ視線をうつす。緊張感もない青年が、あくびをしていた。

「あんた、ホントに驚きも感動もないわねぇ。聖銀がどれだけ貴重か、じっくりと説明しましょうか?」

「いいよ、めんどくさい。売るなり捨てるなり、好きにして」

「どっちもできるか!」

 彼女の憤慨は無理もない。聖銀は、それこそ白金硬貨を何十枚積み重ねても代価がきかないのである。外面は白金とさほど変わらないが、重量は同じ大きさの銀の半分にも満たない。高い硬度と強い魔力を内包しており、使い方によっては小さくとも強力な兵器となる。

「すでに形成がされてるってことは、何かの道具なのかしら」

 掌にのせたられたコインは、沈黙している。今は魔力というものも感じない。

「コウガ、これ、読める?」

 メルフィナのしなやかな指ではじかれたコインが、コウガの額に勢いよく貼りついた。

 「いってぇ……」彼は額を押さえながら、コイン表面のかすれた文字を目でおった。信じがたいことだが、コウガは読み書きができた。それも東部共通語の他にも、いくつもの言語を解しているようだ。とくに目をみはるのが、大昔の大陸共通語である。手癖よりもその方面で才能を伸ばしていれば、彼の人生は正反対のものになっていただろう。

「……ゼルス文字だね。それもかなり高位の人が使った、神聖文字みたい」

「さっすが。で、なんて書いてあるの?」

「ん〜、読めない……」

 メルフィナの緊張感が一気にとけた。とけすぎて、イスからすべり落ちた。

「文字の判別はつくのに、何で読めないのよ!」

「形がわかるのと、解読するのとは違うから」

 「ぐ」彼女は言葉につまった。

「じゃ、解読してよ」

「ムリ」

「なんでよ」

「めんどーだから」

 メルフィナの臀部が、ふたたび床に激突した。

「あんたねー!」

「それに、解読する資料がない。だいたい、ゼルスがらみの骨董品は、手を伸ばすとロクなことないよ」

「……それは、わかってるけど」

 メルフィナの表情が重くしずんでいく。腰から外されないままの白い剣に、無意識に手を伸ばしていた。それは鳥の羽をイメージさせる形状をしており、鞘もなく、剥き身の刀身をさらしていた。しかし、あるべき刃が存在しない。意匠を凝らしただけの、オモチャにさえ見える。

「でも、気になるじゃない。だから解読よろしく!」

 メルフィナは一度は外した外套を肩にかけると、コウガに手を振った。

「どっか行くの? もうすぐご飯だよ」

「それを持ってた男を捜してくる。てなわけで、頼んだわよ」

「めんどくさぁ……」

 コウガの心底イヤそうな表情に、彼女は笑みをこぼした。


 季節がら、夕刻だがまだ陽は高い。街の果てに、ようやく夜の気配が見えてきたところだった。

 メルフィナは石と土とレンガに囲まれた細い道を、迷わぬように頭に地図を描きながら、手当たりしだいに酒場をのぞいてまわっていた。要塞都市だけあってどの道も狭く入り組んでおり、ちょっと人とぶつかるだけで、容易に方向を見失いそうになる。注意はしていたものの、そのうちに中央の繁華街からそれてしまい、彼女は街の西側、港に近いところへ出てしまった。

 かれこれ二時間がたつ。いいかげん疲れも感じてきていた。

 腹ごしらえでもしようと、目についた酒場へ足を向けたとき、見覚えのある男がでてきた。

 コウガのサイフをすった男である。

 ごく至近にすれ違う二人であったが、男のほうは彼女に気づくこともなく、酒臭い息をふりまきながら、ぶつぶつと独り言をもらしていた。

「まったく、小銭ばっかりじゃねぇか。オレの勘も鈍ったってのかねぇ」

 メルフィナは「それは残念でした」と内心で笑った。あの様子では、自分のサイフがすられたことは気づいていなさそうだ。

 酔っぱらいを捕らえるのは、彼女にとって造作もない。が、どうも目的地があるらしく、寄り道するそぶりもなく歩いているので、しばし男を尾行してみることにした。

 街を南に抜け、丘へと登っていく。崩れた建物や、現在とは様式の異なる奇妙な石柱がたっていた。廃墟となった街、いや、遺跡といってよい長い年月が、丘全体に広がっていた。いったいいつの時代の遺跡であろうか、メルフィナにはコウガほどの深い知識はなかった。

 遺跡という言葉でまず思い出されるのは、大陸東部から発祥し、のちに大陸を統一したといわれるゼルス王国であろう。二千年も前に滅び去った女神信仰の王国で、いまなおその遺跡は各地に残り、探検家や考古学者の糧ともなっている。現在のレブナン大河の出口にあたる内海には、当時のゼルス王国の中心地が存在していた。もちろん海ではなく、大地があったのだ。今でこそライロレック島と呼ばれる場所は、大陸最高峰のライロレック山の山頂であったという。それがなぜ滅び、海に沈んだのかは、未だ解明されてはいない。

 一夜にして滅び去った伝説の魔法王国ゼルス。その遺産の一部が、あのコインである。

 急速に、夜が世界を包もうとしていた。

 メルフィナの心にも暗い予感が漂ってきている。風のにおいが気に入らなかった。

 男は、ひときわ高くそびえ立つ石柱の前で足をとめ、あたりを忙しくうかがった。

 彼女は二〇歩ほどの距離をおいた柱に、背中を押しあてた。

 待ち合わせだろうか? いや、きっとそうであろう。このような場所で他に何をするものか。

 メルフィナの思考は、それ以上発展しなかった。

 いつの間に現れたのか、全身を黒い衣装でかためた人間がスリ男の前に立っていた。

 体つきを見るかぎり、男であろう。なにしろ顔さえもフードとマスクで覆われている。ただ、かすかに聞こえる声は、まぎれもなく男のものだった。

「持ってきたか?」

 黒ずくめに問いかけられ、スリの男は下手にでるように「もちろんです」と答えた。

「そちらのほうは、約束を守ってくれるんでしょうね?」

「ここにある」

 黒の男は懐から革袋をとりだし、ヒモをといた。地面に投げだすと、かなりの枚数の白金硬貨が金属音を響かせ、中身を一部こぼした。

 スリは感嘆の声をあげた。

「商談成立ですな。ではこちらも――」

 喜々として懐をまさぐる男を目にして、メルフィナにも、あれだけの金額と交換しようとしている物が何であるかはわかった。しかし、あの男はそれを持ってはいない。となれば、このさき、どのような展開になるかは予想がつく。そしてそのとき、自分はどうするべきか。

 そのときがきたようだ。

「ない!」

 男の狼狽さは、尋常ではなかった。

「おかしい、懐の一番奥にいれておいたはずなんだ!」

 (コウガったら……)メルフィナがコウガのスリの腕に感心している間にも、男は外套をはたき、持ち物をすべて投げだし、ポケットをひっくりかえしていた。

「……どういうことだ?」

 黒い腕が、スリの首をつかんだ。

「あったんです! ホントにあったんですよ! ウソじゃ……!」

 男の足が、地面をはなれていた。

「ではなぜ、ないのだろうな?」

「し…しら……!」

 苦しさにあがきもだえる男に対して、問いつめる側はいたって冷静であった。いや、冷酷であったのか。

「〈くらき門よ開け〉」

 彼のささやく声は、メルフィナには届かなかった。しかし、様子が一変したのはわかる。魔力の奔流が、彼女には見えていた。

 あの黒い男は、魔法の使い手であった。かすかにつぶやいた言葉は、契約魔法の起動をうながす合い言葉であり、体内に魔力を発生させる準備である。

 契約魔法とは、現在、もっとも進歩した形の魔法だ。簡易的な魔法であるため、威力は他の魔法に及ばないが、実に手軽にあつかえる特徴があった。なにしろ詠唱魔法のように呪文を覚える必要もなく、発動までの時間も圧倒的に短い。たった一言ですむのである。それで身体に刻印された呪文が自動的に発動し、力となって現れる。

 スリの男は、恐怖と酸欠に気絶寸前であった。

 メルフィナも、彼の末路を悟った。

 が、男の魔法は、別のところで具現化した。

「〈黒き刃〉よ」

 男の空いていた左手が、メルフィナの足下に向けられた。

 次の瞬間、闇色の弾丸が石畳をえぐる。

「出てこい。この男の用心棒だろう?」

 勘違いも甚だしいが、引っ込みはつかないようだ。

「この男の命がおしければ、さっさと出すのだな。そして金を持って消えるがいい」

「残念、わたしは無関係なのよ。その男がどうなろうと、知ったことではないわ」

 魔法使いは右手をはなし、男を解放した。

「ならばなぜけてきた」

「なんとなくね」

 「〈黒き刃〉」三発の弾丸がメルフィナの顔をかすめ、うち一発が、左頬に小さな傷をつくった。

「動じないのは大したものだな。次は撃ち抜く」

「その前に、あんたを斬るわ」

 「冗談にしては――」二人の間に緊張が徐々に高まっていく。が、それは地面にころがる男によって膨張をやめた。

「そ、そいつだ! そいつは、オレがサイフをすった男の連れだ!」

「……!」

「オレがサイフを落とすわけがねぇ。きっとそいつの連れにすられたんだ!」

 ご名答、とメルフィナがスリに対して称賛と舌打ちを同時にしたのは、ごくごく短い時間である。新たな緊張が、彼女のゆとりを奪ってしまったからだ。

 「なるほど」黒の男は、もう彼を一顧だにしなかった。

「あのコインはお前が持っているのか?」

「……」

「否定しないというのは持っているということだな。ならば、取り引きといこう」

「とりひき?」

「わたしはお前にもコイツにも興味はない。お前がモノを持っているならば、取り引きをするだけだ。それがおたがいのためだと思うが?」

「まぁねぇ。んで、そっちは何をくれるって言うの?」

「そこにある白金一〇〇枚でどうだ?」

「悪くないわねぇ。でも、おあいにく様。顔も見せないヤツと、取り引きする気はないわ。帰らせてもらう」

「帰れると思うのか?」

 「もちろん」ときびすを返すメルフィナだが、殺気を感じて瞬時に剣を走らせた。

 金属と石が衝突するような音が二つ。

 剣を盾にする形でかまえる女戦士の前で、魔法の使い手がくぐもった声をだした。

「ほう、魔法を剣でうけるとは、口先だけではないようだな」

「あったりまえよ。これくらいできて当然だわ」

「では、これならばどうする」

 黒の男は、外套の奥から二つの宝石らしき物をとりだし、投じた。

 宝石は地面に落ちる前に急激な変化をとげ、形を作り、ふくらんでいく。

 うなり声があがり、眼光がするどく彼女をつきさした。

 大型犬が二頭、石畳に爪をたてている。頭部に一角をもつ、黒い犬である。

召還従魔しょうかんじゅうま!」

「ほほう、よく知ってるな。大陸東部では、滅多に見られないシロモノだというのに」

「あんた、何者……?」

「答えてもいいが、そのまえにブツを出すのだな。こいつらの戦闘力を知ってるのならばなおさらだ」

 メルフィナはここに来て相手の力量をあまく見ていたことに気づいた。契約魔法の使い手くらいならば怖れはしないが、召還従魔まで持つとなれば戦力が推し量れない。現に今でさえ、状況は三対一である。男の余裕ぶりからして、まだ手の内を隠しているとみていいだろう。さて、このままでどこまでいけるだろうか……?

 道は3つ。戦うか、逃げるか、取り引きするか。取り引きは性に合わないから、最善は逃げることだろう。戦っても負けはしないだろうが、敵が必ずしも黒の男一人とはかぎらず、援軍でも来られたらサイアクだ。今はコウガと合流し、情報を集め、必要なら戦うなり逃げるなり、場合によっては取り引きもいい。

 そのためには――

「わかったわよ。面倒はゴメンだわ」

 メルフィナは腰の小さなカバンをあけて、コインをとりだした。わざとらしくちらつかせて、「勝手に持っていけばいいでしょ」と放り投げ、背を向けて歩きだした。

「お金はそこの男にくれてやってちょうだい。もともとうちの相棒がすったのが悪いんだから」

 黒い魔法使いにうながされ、スリの男が這いずるようにメルフィナの投げたコインへ駆けだす。彼にしてみれば、ようやく生きた心地がしているところだろう。

 が、それも長くは続かない。

「これは違う! ただの白金硬貨だぁ!」

 男の叫びを引き金に、メルフィナが加速し、あとを追いかけ二頭の一角犬がダッシュした。

 メルフィナは魔法使いにだけは背中を見せぬよう、遺跡の柱を影にしながら、繁華街へ向かって走る。

 黒の男は、魔法の射程をはずれてしまった彼女に舌打ちはしたが、黒い宝石を一つ空へ投げただけで追跡はしなかった。彼にはまだ、地べたで震える元取引相手から、話をきく仕事が残っていた。

 メルフィナと二頭の黒犬の差は、徐々につまりだした。

 金属の胸当てをつけているにもかかわらず、彼女の速度は常人よりもそうとうに迅い。

しかし、今の状態では犬どもを振り切るのは不可能だった。

 しかたなく、彼女は戦う道を選んだ。幸い、魔法使いの姿はみえない。犬コロだけなら勝機はある。

 路地のさきに壁がそびえている。街の地図など知るわけもないから、袋小路に飛びこんでしまったようだ。

 メルフィナは一層の加速をかけた。

 左脚で踏みきり、正面の壁を右足で蹴りつけ上昇をかける。

 街の屋根が眼下にあった。

 二頭の一角犬も、律儀に空中まで追ってきている。

「しょせんは犬ッコロぉ!」

 メルフィナの跳躍は、二頭を遙かに上回っていた。一瞬、無重力の状態で一人と二頭は静止し、落下をはじめる。

 空中で、メルフィナの白金色にちかい金髪が、月明かりに映えた。

 そして、白い閃光が二つ。

 二秒後、地面に着地したのはメルフィナだけであった。そばには半分に割れた黒い宝石が、二つ転がっていた。

 「ふぅ」とひと息だけつくと、メルフィナはまた街の中を駆けだしはじめた。

 その姿を、上空から黒い影が見つめていた。


 さんざん道に迷ったあげく、部屋へ走りこんだメルフィナは、安堵の一息をついた。

 「遅かったね」テーブルについている相棒は、本物のコインを片手に、本をひろげて解読にいそしんでいた――りはしなかった。

「飲む?」

 それはそれはおいしそうに、大ジョッキで酒を飲んでいた。

 「……」無言でコウガの背後へまわり、脳天に拳をおとす。

「いってぇ」

「人が死にそうな目にあってたっていうのに、あんたはぁ!」

「ウソだね。メルフィナが死にそうになるなんて、まずないよ」

「ま、まぁそうだけど……」

 力量を知られているのは、時には都合が悪い。信頼されているといえば聞こえはいいが、心配くらいしてくれてもよさそうなものではないか。

「それで、何があったの? あ、メルフィナのご飯、そこにあるから。もう冷え冷えだよ」

「あー、はいはい」

 メルフィナは投げやりな気分で、鎧の金具をはずした。

 半分眠りながら話を聞き終えたコウガは、常識的に「これからどうする?」と尋ねた。

「とりあえずはあの男から逃げつつ、情報を集めましょう。どうせこの場所もすぐに発見されるだろうし、相手の目をくらませないとね。そのためには――」

 メルフィナは目を輝かせながら作戦を語った。

 ……同日深夜。

 明かりの消えた窓を、見つめるものがあった。

 黒衣の男は、さきほどから微動だにもせず、まるで彫像のようだった。

 街路に人影はない。月もかなり傾いていた。

 男は軽く跳躍。窓から部屋へ侵入し、音もなく降り立った。

 すばやく視線を巡らすが、いるはずの人間の姿はなかった。人の体温のかけらが漂うだけで、荷物もなく、ベッドはしわだらけのまま放置されている。

「逃げたか……」

 部屋を探索しようにも、ベッドとテーブルと三脚のイスしかない状況では、それもこっけいである。

 壁に一枚の紙が貼りつけてあった。

 男は『残念でした!』と書かれた紙を引きちぎり、歯ぎしりした。さらに丸めて床に投げつけ、何度も踏みつぶす。まるで子供のような振る舞いを、涙目になりながら繰り返していた。

 男は荒い息をはきながら、ふたたび夜の闇へ消えていく。

 メルフィナとコウガは、ベッドの下からその様子をみていた。笑いがガマンをこえて飛びだしそうになり、見つかる心配をしたほどである。

 ベッドから這いだしたメルフィナは、「ざまぁみろぉ!」と勝ち誇った。

 夜が明け、まぶしい朝日が窓の隙間からこぼれる。

 メルフィナはとなりで健やかな寝息をたてるコウガを蹴りとばしたくなったが、狭すぎてできなかった。

「なんで来ないのよぉ!」

 目にクマをつくりながら、ベッドの下で絶叫する。

「うあ、おはよぉ……」

「おはよぉじゃないわよ!」

 メルフィナはベッドから這いだし、壁に貼られた直筆のメモをにらみつけた。

「『残念でした!』だとぉ。誰に向かっていってんのよ!」

 引きちぎり、丸め、床に投げつけ、踏みつける。

「あはは、ざまぁみろって感じだね」

 「にこやかに言うな!」ヤツアタリ全開である。

「まったく、なんで来ないのよ。ふつーは来るもんでしょ。これじゃまるっきりバカじゃないのよ!」

「だから言ったじゃない、こんな人目のつくトコになんか来ないって。騒ぎになって宿の人間が集まったら、困るのはむこうなんだからさぁ」

 コウガは大きなあくびをはく。ベッドの下に一晩いたので、身体がこわばっていた。

「さてと、それじゃ賭けはオレの勝ちだから、言うこときいてね」

「う……」

「今さら無効ってのはナシね。その黒い男がこなかったんだから、今度はオレの提案に従ってもらうよ」

「わかってるわよ。で、どーすんのよ?」

 虚勢をはるのも疲れて、メルフィナはベッドに倒れた。風が心地よすぎて、憤りがさらに深くなりそうであった。

「まずは寝ようか」

「はぁ?」

「昼まで寝よー。寝不足はすべてを失敗に導くって言うじゃない。だからそれからそれから」

 「言わない!」メルフィナの返答は、彼の寝息によって無効にされた。彼が何を考えているのか今もってわからないが、たしかにベッドの気持ちよさには勝てそうもなかった。目を閉じてしまえば、風の運ぶ街の目覚めさえも、子守歌に聞こえた。

 どうでもいいや。メルフィナは身体の要求に身をまかせて、深く眠りについた。

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