逃亡させていただきます!
───ずっと、ずっと昔から、わたしは第二宰相であり、侯爵である彼を想ってきた。
恋い焦がれ、手を伸ばし………たくさん努力もしたけれど、所詮わたしは彼にとって、妹のような存在。
叶わないことは知っていた。
───だから、わたしは逃げ出すの。
───────愛なんてない結婚から。
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「わたし、逃げることにいたします!」
「はああぁぁぁあ!?ちょっと待て、ファティマ!お兄ちゃんに理由をいってごらん!あと何から逃げるのかを!!」
気持ちのよい初夏の午後、わたしは兄と向かい合ってアフタヌーンティーをいただいていました。
そして、ここ一週間ほど毎日悩んでいたことを告白します。
「勿論、第二宰相でありアークライド侯爵である、わたしの結婚相手───ルーファス様からに決まっています!」
「いやいや、決まってないからね!?何で逃げようとしちゃってんの!?我が愛しの妹よっ!お兄ちゃんの友達がきらいかい?」
自信満々に言い切り、ふふんとわたしは笑いました。
何で得意気なのかは、自分でもわかりません!
テンションがおかしいですね、ハイ。
「きらいではありません。むしろ好きです。殺したいくらい愛してます!」
「じゃあ何で!?」
デリックお兄様が叫びます。
わたしは、一応侯爵令嬢です。
このたび、同じ侯爵でありデリックお兄様の親友である、ルーファス・アークライド様と結婚することになりました。
ですが、わたし見てしまったのです。
彼が美しい女性と抱き合っているのを………。
怒りと悲しみで、闇討ちにいってしまいそうです、ハイ。
オールディス侯爵家は武門と暗殺がお家芸の一族ですから、ルーファス様とお相手の女性をほふるくらい、朝飯前です。
デリックお兄様よりも強いですが、なにか?
「ルーファス様には、心に決めた女性がいらっしゃるのです。あぁ、思い出したら泣けてきました………」
と い う こ と で 逃 亡 し ま す 。
ここにいれば、最悪ルーファス様を殺しかねません。
式は来月ですけれど、いいですよね?
「ということで、わたしはほとぼりが覚めるまで地方にいらっしゃる、おば様の元へと参りますので、破談の手配と両親への説明をよろしくお願いします!」
「ということでって!なにもまだ説明聞いてないよっ。その思い込みの激しさと、自己完結っぷりは誰に似たのかな!?」
動揺するデリックお兄様を無視して、そばに隠していた大きめの旅行カバンを取り出しました。
執事に言って、馬車をまわしてもらいます。
「あぁ、お兄様。ルーファス様になにか言われたら『浮気は見えないところで』と『愛人は寛容できません』とお伝え下さいませ」
そうしてわたしは旅立ちました。
「最悪だ…………セバスティアン、すぐさまルーファスに手紙を!」
お兄様が、こんなことを執事に言っているのも知らずに─────────。
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「んまぁ、まぁ!よく来たわね、ファティマちゃん!」
半日馬車に揺られ、夜におば様のいるリアトールにつきました。
手燭の炎に照らされて見える、白い漆喰の壁が美しい屋敷は、おば様の趣味ですね?薔薇園も綺麗に手入れしてあり、おちついた雰囲気です。
突然押し掛けたわたしにも、優しくおば様とおじ様は迎えてくれました。
「お久しぶりです、プリシラおば様!アーヴィンおじ様!」
手土産の薔薇型飴細工のお菓子を渡し、仲良く屋敷に向かいます。
プリシラおば様は、お母様の姉で、隣国との国境警備をしている騎士隊の、隊長をなさっていたおじ様に偶然出会ったときに一目惚れして、この地に移住したそうです。
────── 押し掛け嫁として。
うちの一族は代々女が強いですが、なにか?
ハイ、変人なども多いのです。仕事柄。
「今日はどうしたんだい、ファティマ?一人で来るなんて珍しいね」
「はい。わたしは、今回結婚相手の浮気を見つけてしまったので、逃げてきたのです!ふふふ………お兄様は、魂抜かしているところでしたので、置いてきました!事後処理はお兄様がします」
「………」
「まぁまぁ、大変だったのねぇ!ところで、結婚してないのに浮気なの?」
「当たり前です!」
おじ様は、なにか疲れたように笑い、おば様は要点の違う質問をなさっています。
おば様は、天然なのです。ハイ。
クリーム色の薔薇の飾られた、アンティーク調の家具のおいてある上品なリヴィングで、穏やかにお話しします。
夕食は、お二人はもう食べたそうなので、わたしだけ頂きました。とても美味しかったです。
今日は夜遅いこともあり、あてがわれた部屋のベッドに飛び込みます。
馬車の旅は、精神的にも肉体的にも疲れるのですよ。えぇ、それはもう。
その日は、死んだように眠りました。
「……ティマ、ファティマ!」
なんなんですか、朝早くから……。
わたしは、まだ太陽の光もうっすらとしかない朝早くから、何者かによって起こされました。
咄嗟に暗器を投げなかったことや、殴らなかったことをほめてほしいです。
朝には弱いんですよ、わたし。
「なんなのですか、こんな朝早くから…………ファティマはまだお休みなので、午後から出直しなさい、非常識な人」
意味のわからない言葉を言った気もしますが、知りません。
というか、乙女の寝室に勝手にはいるとは何事ですか。
あぁ、夢の世界よ、こんにちは………。
「ファティマ!?寝ないで下さい、起きて!!」
「んぅ………もう、なんなのですか!!」
激しく体を揺らされて、わたしは一気に覚醒しました。
安眠妨害は、犯罪だと思うのです!
眠たい目を擦りながら、犯人を見ます。
「………ルーファス様?」
「おはようございます、ファティマ。デリックから話は聞きましたよ。私の浮気を疑っているんですね?」
「いいえ?」
「……………ではなんなのですか?」
寝起きに質問は、頭が働かないのでやめてほしいのですけれど。
「浮気を疑っているのではなくて、浮気を見てしまったのと、愛人を発見したので、婚約どころか結婚も破棄してしまおうかと。疑う過程は通っておりません……………ということで、お幸せにぃ。わたしは寝ます─────」
「は?」
ルーファス様は、絶句しておられますが、わたしには関係ございません。
泣きはらす過程はとっくにすみました。
所詮、ルーファス様はお兄様の友人。わたしのことは妹かなにかとしか見ていなかったのでしょう。
いまだって、もう十九歳になった、立派なレディーの部屋に無断ではいっているのですから。
────というか、なぜここにルーファス様がいるのでしょうか?
まぁ、どうでもいいですね。
「誤解ですファティマ!というか、いい加減起きてください」
五月蝿いですね………。
仕方ありません。ここまで騒がれれば、起きるしかないではありませんか。
「はいはい、わかりましたので」
「わかってくれたんですね、ファティマ!」
「で、なぜここにいるのですか?ルーファス様」
ゆっくりと布団から起き上がったときに聞けば、ルーファス様はうなだれました。
なんなのでしょうか?もう。
「ファティマ、よく聞いてください」
「はぁ」
「あれは、男です。お と こ 。正真正銘、人間の雄なんです」
「結婚の話が流れるからって、そんな苦しい言い訳はしなくていいですよ。気にしてませんから。しかも彼女、ばっちり胸あったじゃないですか。わたしより大きかったですよ」
「そう言うと思ったので、連れてきました」
愛人と修羅場ですか。
ちょっと殺さない自信がありませんね………善処いたします。
「メリル!!」
ルーファス様が、その方を呼ぶ前に、わたしは全身をすっぽりとシーツにくるまれました。
嫌がらせですか、ルーファス様。
わたしをミノムシにして楽しいんですか。
「はぁ~い?入ってもいいんですか、先輩」
「いいです。むしろ早くしてください。張り倒しますよ」
「わぉ」
扉越しに、少し低めの声が聞こえました。低いとい言っても女性としては、やや低めなくらいです。これは絶対に女性でしょう。
カチャリと扉を開け、入ってきたのは、グラマラスで大人の色気をもつ、赤毛の迫力美人です。
間違えなく、あの日、ルーファス様が王宮の片隅で抱き合っていた女性です。
紫のドレスがとても似合っています。
「メリル、脱げ」
「え~……というか、先輩。敬語抜けてます~?」
「いいから」
ちょっとルーファス様!?女性にたいしてなに言っちゃってるんですか!!
「はいはい。誤解解くのが先決ですもんね~」
パサリ。
………
……………
…………………ぬ、脱ぎましたね────。
美女は、躊躇いもなくドレスを脱ぎました。
「嘘でしょぉぉぉぉぉおおおぉ!!!!」
ポロリと胸元から落ちる詰め物。体の線をあまり出さないドレスだったからなのか、今まで見えなかった部分についているのは、しなやかな筋肉。
胸はペッタンこでした、ハイ。
トラウマになりそうですよ…………眠気も完全に吹き飛ぶほどの衝撃です。
まさか──────
「まさか、ルーファス様が、男性がお好きだったなんてっ」
「………ファティマ────」
「先輩、がんばって。うん」
「確かに、若い娘の間ではそのような趣向の本が流行っていて、秘かにご令嬢方も、マダムの皆様も侍女のみんなも、ルーファス様のことを疑っていましたが、まさか本当だったなんて!!!」
興味もなかったから、忘れていました!
し、衝撃の事実です…………………。
唖然とルーファス様を見れば、ガックリうなだれていました。
せっかくの、涼やかな美形が台無しです。
緩く結ばれた、長めの水色がかった銀の髪が肩から力なく流れ、蒼色の瞳は光を失っています。
ばれたのが、そんなにショックだったのでしょうか。
「大丈夫です!偏見などはありませんから!」
さらにうなだれてしまいました。
なぜなんでしょう?
そのとなりでは、美女────もといメリル様が、声もなく体を震わせています。
なぜ、爆笑なんでしょうか…………。
「ファティマ────メリル、席をはずせ」
「は~い!」
「あとで覚えていろ。お前が悪戯で抱きついたことがすべての原因なんだからな」
低い、地を這うようなルーファス様の声が聞こえ、メリル様は、いそいそと部屋から出て行きました。
「ファティマ……………君は、私が浮気していても平気なのですか?私は、私は………浮気を疑われるだけでもこんなに心中穏やかではないというのに」
その瞬間、温かな腕につつまれました。
「メリルとは、なにもありません。それどころか、ファティマ以外には興味もありません」
「ルーファス様………」
必死で、余裕のない声が、鼓膜を甘く震わせます。
ルーファス様の、こんな声を聞いたのは初めてです。
懇願するように抱き締められ、頬を寄せられます。
「平気なのでは、ありません────」
「ファティマ?」
「わたしは、デリックお兄様の妹で、歳も六歳も違うから、きっと妹みたいなものだろうと思って………本当に好きな人がルーファス様にできたのならば、結婚は、なしにしようと思って。でも、それをルーファス様の口から聞くのは怖くて、だから、逃げてきたのです」
わたしの言葉に、ルーファス様は目を丸くなさいます。
「妹だなんて思ったことは一度もないっ!好きなのは、ずっと、ファティマだけだ。ファティマの両親とデリックから婚約と結婚の承諾をもらうのは、大変だった。ここにいれてもらうのも。全部、好きじゃなかったらしていない!!」
敬語の抜けたルーファス様は、わたしを抱き締める腕に力を込めて、言葉を紡ぎます。
いつもの余裕がまったくないルーファス様は、必死なのがよく伝わってきて、わたしと同じだったのだなと、改めて実感しました。
「ファティマ、愛している。家同士の事情や、デリックの妹かなどは関係なく、君自身が好きなんだ」
「わ、わたしもお慕いしております!殺しちゃいたくなるほどに!」
思い切りルーファス様に抱きつき、その頬にキスしました。
まだミノムシなので、軽くではありますが───
「誤解は解けたかしら、ルーファスちゃん?必死だったものねぇー。ふふふ。夜中に女装した男の子引き摺って来たときには驚いたのよぉ!」
「幸せそうで何よりだ」
昼頃、笑顔でそう言ってくれたおば様方に見送られ、わたしたちはお兄様のいるお屋敷へと帰りました。
メリル様は、先に帰っていたようで、ルーファス様はにっこりと、絶対零度の微笑を浮かべています。
まぁ、わたしには関係ないのでいいですが。
その後は、慌ただしい毎日に追われながらも、無事結婚することができました。
「愛しています、ファティマ」
「わたしも、貴方だけを愛しています」
そう、にっこり笑って、キスを交わしました。
────わたし、もう逃げません。
**********
「で、結局なんでファティマはおば様のところへ行ったのですか?」
「そ、それは…………ちょっと………」
「答えてはくれないんですか?」
────怖いんですけど、ルーファス様!どうしましょう。これは、言っておくべきですか?
「─────………をしに」
「え?」
「押し掛け嫁をして、見事おじ様の心を射止めたおば様に、恋愛相談をするために行ったのです!!」
「………」
────(両者無言)
「あぁもう、可愛いですね!もう、逃がしませんから………」
ちゃんちゃん♪
**********
ありがとうございました。
瑠璃華