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冒頭

プロローグ


個人で営む書店の利益なんて、一人で暮らすのにやっとのことだった。とにかく品揃えが多い大手の書店にはかなわない。

そういった事情は誰が考えても分かることだと思っていた。それなのに、なぜあの娘は募集もしていないアルバイトを志願してきたのだろうか。

きっと走ってきたのだろう、息が上がっている。顔立ちはごく普通の20代の女性という感じであったが、とにかく切羽詰まってる感じが伝わってきた。

おそらく、この辺一帯の個人経営の店をハシゴして、私の書店に辿りついたのだろう。

それは簡単に推測された。履歴書も何もなく、ただ苦笑いをして、アルバイトとして雇ってもらいたいの一点張りである。

私には関係ない話だが、おそらくなんらかの事情があったのだろう。だから私は何も聞かなかった。


「バイト料は安いよ。時給700円。それでも良かったらどうぞ」


私の言葉を聞くと、その娘は、なぜか意外そうな表情に変わる。


「え! 本当ですか? 断らないのですか?」

「断られたかったの?」

「いえ、そんな。本当にありがとうございます。何でもやります」


すぐに笑顔に変わった。素直な良い笑顔だと思った。


誰にだって事情がある。家出娘なのかもしれないし、犯罪者かもしれない。

犯罪に巻き込まれたのかもしれない。だけど、それはお互い様だろう。この街で生きるってことはそういうことだ。


「すごく嬉しいです。あー、私、店長のことを好きになりそうです」

「バカ、年上をからかうんじゃないよ」

私がそう言うと、娘は人懐っこい表情で笑った。

どうやら、性格的には問題ないらしい。


「では、君、明日からアルバイトできる? ウチは朝10時に開店するけど、一応毎日掃除をするんだ。だから、9時にはここにきてもらいたい。

夜は8時まで。主にレジをお願いしたい。まあ、言ってみれば店番だ。結構、長時間拘束することになるけど、大丈夫かい?」



「はい。大丈夫です」


「では、今日はもう遅いから、明日からお願いするよ」

私がそう言うと、娘は頷きはしたが、帰ろうとはせず、入り口の前で黙ったまま立ったいた。


「どうしたの?」

私が声をかけると、娘は喉の奥を詰まらせるかのように小さな声で言った。


「もう、今日の仕事は終わりなんですか? 何か手伝える事はありませんか?」


「どうして? 金に困ってるの?」


「いえ、違うんです。私、家に帰えるのが怖くて」

娘は今にも泣きそうな顔でそう言った。


「おいおい、泣くのはやめろ。どういう意味なんだ?」


「近頃、おかしな男につけまわされているんです。だから、なるべく夜は人がいるところにいるようにしてるんです。

これからバイトをする時、今日も含めて夜以降の手伝いをお願いできないかなって」

娘は少し震えた声で言った。


私は自分の額に手を当てる。眉間に皺が寄っているのが感触で分かった。どう答えるべきか、どうしたら良いか、返答に困るような話だった。

この街は色々な事情を抱えている、そんな人間が自然と集まるるよう街だ。私も同じような輩だから言っていることは分かった。



「警察には?」


「話しました。でも何かあったら通報してとしか言ってくれないんです」

まあ、警察に言ったところで、事件にもなっていない以上、当然と言えば当然の言い分なのだろう。


「ここで夜遅くまで働いたからと言って、どうなるわけでもないだろ? 実家や友人の家や、恋人がいるなら、まずそっちにお願いするのが自然だろう。

うちの書店は八時に終わるから、それ以上いられてもやることがない」

私はそう言ったが、娘は黙ったまま、店を出て行こうともしなかった。



私は、なんとなくラジオをつけて、どうするべきか考えていた。ラジオは淡々と世の中で起こっていることを私達に届けてくれる。私は、それらをしばらく聞き流していた。


『次のニュースです。今朝未明、国会議員の丸井氏が車で自宅を出たところ、数人の武装集団に襲撃されていたことがわかりました。

幸い丸井氏に怪我はありませんでしたが、武装集団は、インターネット上で反体制派と名乗って犯行声明を出していたことが判明したことから、

警察では、組織的かつ計画的な殺人未遂事件として捜査本部を立ち上げ、警戒態勢を強めるとのことです』


僕がボンヤリとニュースを聞き流していたが、

その娘は真面目な顔でラジオを聞いていた。そして、その娘は「自分でなんとかします」と言って扉を開けて外に出て行った。最近の娘は良くわからない。

ま、私が知る必要は全くないことだが。そう思って、私はそのまま居間のソファに一旦寄りかかった。


「なんか急に様子がおかしくなったな。全く仕方ない」


私は独り言を言って、急いで外に出てその娘を呼び止めた。


「事情は良くわかるから、なるべく人気の多い道で帰りなさい。家はこの近くなのか?」


「車で10分くらいかかる場所です」その娘は表情を変えずに言った。


「一応、この店のカギを渡しとく。あとは僕の携帯電話の番号。何かあったら連絡してくれれば相談に乗るから」



「ありがとうございます」

今度の笑顔はさっきのような自然体の笑顔ではなく、無理矢理笑っているツギハギだらけの笑顔だった。でも、それは嘘の笑顔というものとは少し違っていた。



「あと、もしも危険を感じたら、ここに戻ってきてもいい。私は2階で寝ているけど、この店の中ならどこでも休んでいていいから」


僕がそう言うと、その娘は「はい」とだけ返事したが、

店に入るでもなくそのまま歩いて行った。途中でタクシーでも拾うのか、それとも行くあてがあるのか。私には良くわからないが、ま、私にしてみたら世話を焼いた方だと思う。



私は居間に戻り、またソファに寄りかかった。どっと疲れが出てきた。

アルバイトか。うちにアルバイトを雇う余裕もなかったが、まあ、いいだろう。

そう言えば名前すら聞かなかったな。


いつもなら、私はテレビなんて見なかった。しかし、ラジオでニュースを聞いた時から、あの娘の顔の表情が変わったのがちょっと引っかかっていた。

どうしたっていうんだ。私はテレビをつけて、チャンネルを変えながら、反体制派のニュースがやっている局を探した。


大体、反体制派は、何が目的で丸井氏を狙ったのだろう。

丸井氏は確かにこの国の政治を作ってきた一人であることは間違いない。だから、現状に不満がある人間に狙われるのは分かる。

でもだからと言って、丸井氏のみを狙うことに何のメリットがあるのだろうか。

他の政治家も狙われるどうかはわからないけど、別に私には全く違う世界で起こっていることだから、私は気にもしなかった。

そんなことを考えているうちに私はソファで寝てしまったようだった。服も着替えないうちに。

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