第5話 84歳、スマホの登山口で二度遭難した
いざ、いかん。
――と、気合いだけは、ベテラン登山家クラスである。
義理の息子に書いてもらい、さらに送ってもらった名義変更届を握りしめ、バスを乗り継いでA社へ。
今日は決める。今度こそ、スマホにするのだ。
(※ここまでは完璧)
「お名前、ありませんね」
いきなり、遭難。
「書きます」
反射的にペンを抜く。
キャップも外す。構えもいい。
「いえ、名義の方に書いていただいてください」
ペン、空中で静止。
時も止まる。
どうやらロスちゃんの名前は、義理の息子が書かなければならないらしい。
同じ“名前を書く”でも、
“誰が書くか問題”が、想像の三倍は重い。
書類の世界、
山でいうと、ここはまだ一合目らしい。
いったん下山。
そのまま、隣のD社へ流れ込む。
もはや川の流れに身をまかせる小舟である。
「うちで名義変更と機種変更、両方できますよ」
(それ、先週ききたかったやつーーー!)
心の中で、拡声器を使って叫ぶ。
外見は、うなずき一回。
「では、こちらの名義変更届を、書いてもらってきてください」
……またか。
紙はある。
ペンもある。
気合いもある。
ないのは、
“書いていい権利”だけである。
本日二度目の、きれいな下山。
スマホの道のりは、まだ遠い。
登山口に立っただけで、もう筋肉痛である。
登頂予定――来週。




