表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

「君は可愛げがない」と婚約破棄されたので、未払い残業代として公爵様(最推し)を頂きます

作者: 夢見叶

シャンデリアの光が降り注ぐ王宮の夜会会場。

 楽しげなワルツの調べを切り裂くように、その声は響き渡った。


「アリエット・バーンズ! 貴様のような可愛げのない女との婚約は、今ここで破棄する!」


 声の主は、私の婚約者であり、王太子殿下の側近を務めるジェローム様だった。

 彼の隣には、私の義理の妹であるミナが、怯えたように彼にしがみついている。

 典型的な、断罪劇の幕開けだ。

 周囲の貴族たちがざわめき、私に憐れみと嘲笑の視線を向ける。


 ――けれど。

(二十時四五分。……予定通りね)


 私はドレスの隠しポケットから取り出した懐中時計を一瞥し、心の中でガッツポーズをした。

 悲しみ? 絶望? とんでもない。

 私が感じていたのは、長年背負わされた重荷をようやく下ろせるという、圧倒的な「解放感」だけだった。


「……聞いていますか、アリエット! その無表情、鉄仮面! 男に愛される努力もしない石のような女め!」


 ジェローム様が顔を真っ赤にして罵倒を重ねる。

 ミナが「お姉様、ごめんなさい……でも、愛は止められないの」と涙ぐむ演技を始めた。


 私は扇を閉じ、静かに一歩進み出た。

 そして、今まで見せたことのない流暢な動作で、一礼する。


「承知いたしました、ジェローム様。その婚約破棄、謹んでお受けいたします」

「なっ……」


 私が泣いて縋るとでも思っていたのだろう。ジェローム様が言葉を詰まらせる。

 私は間髪入れずに言葉を続けた。


「つきましては、こちらの書類に署名をお願いできますか?」

「書類だと?」

「はい。『婚約解消に伴う合意書』および『過去三年にわたる領地経営代行費用の請求書』、ならびに『貴殿の使途不明金に関する調査報告書』です」


 私は虚空から取り出すように(実際には袖口に仕込んでいた)、分厚い封筒を三通、彼に突きつけた。


「は……? な、何だこれは!」

「貴殿が『公務が忙しい』と言って私に押し付けた領地業務の未払い賃金です。時給換算で金貨三千枚になります」

「き、金だと!? 貴様、この神聖な場で何を……!」


 激昂したジェローム様が手を振り上げる。

 暴力で訴えるつもりか。私は身構えたが――その必要はなかった。


「――そこまでだ」


 空気が、凍りついた。

 絶対零度の声と共に、群衆が海のように割れる。

 現れたのは、漆黒の礼服に身を包んだ長身の男。

 銀色の髪、氷のような青い瞳。

 この国で最も恐れられ、そして最も美しいとされる男。


 国家監査局長、シグルド・ヴォルク公爵閣下だ。


(う、嘘……! なまシグルド様!?)


 私の心臓が、恐怖ではなく歓喜で跳ね上がった。

 彼は私の「推し」だ。

 不正を許さず、数字と論理で悪を裁くその姿を、私は遠くから崇拝していたのだ。


「シ、シグルド公爵……なぜここに」

 ジェローム様の顔が青ざめる。

 シグルド様は彼を一瞥もしない。その冷たい視線は、真っ直ぐに私に向けられた。


 終わった。不敬で処刑されるかもしれない。

 そう覚悟した瞬間。

 氷の処刑人の唇が、優美な弧を描いた。


「素晴らしい手際だ、アリエット嬢。その請求書、私が『監査局』として正式に受理しよう」


「……はい?」


 シグルド様は私の手から書類を優雅に抜き取ると、ジェローム様に向き直った。その目は、獲物を見る肉食獣のものだった。


「ジェローム男爵令息。以前から貴殿の会計には疑義があった。だが、まさか婚約者に横領の証拠整理(尻拭い)をさせた上で、それを突きつけられるとはな」

「ご、誤解です! これはアリエットが勝手に!」

「黙れ。彼女が提出したこの報告書は完璧だ。日付、金額、そして横流しした先である――そこの義妹の宝飾品店まで、全て裏付けが取れている」


 シグルド様が書類を掲げると、そこには赤い承認印が押されていた。

 いつの間に?


「アリエット嬢」

「は、はい!」

「君は、今の職場(婚約者)に未練はあるか?」

「一切ございません!」

「よろしい。ならば」


 シグルド様は私の腰を引き寄せ、耳元で甘く、低く囁いた。


「私の屋敷に来い。監査局には君のような人材が必要だ。……待遇は、公爵夫人としての全権限と、私の全財産、そして私自身のすべてだ。どうだ?」


(……え? いま、求婚と就職面接が同時に来ました?)



 王宮を出た私たちは、公爵家の馬車に揺られていた。

 最高級のサスペンションが効いた座り心地の良いシート。向かいには、国一番の美貌と冷徹さを併せ持つ「氷の処刑人」シグルド公爵閣下。

 状況を整理するのに、私の優秀な脳みそをもってしても数分を要した。


「……あの、閣下」

「シグルドだ」

「は?」

「上司の名前は正確に呼ぶべきだろう? アリエット」


 彼は足を組み、窓枠に頬杖をついて私を見つめている。その瞳は、夜会での凍てつくような冷たさが嘘のように、どこか熱を帯びていた。


「し、シグルド様。先ほどの『就職』の件ですが」

「うむ」

「提示された条件が破格すぎます。公爵夫人の全権限と貴方の全財産というのは、監査局長としてのブラックジョークでしょうか?」

「私は冗談と不正が大嫌いだ」


 即答だった。

 私は混乱した。求人票プロポーズの内容が重すぎる。


「ですが、私はただの伯爵令嬢で、しかも婚約破棄された傷物です。貴方の隣に立つメリットが計算できません」

「メリットか。……そうだな」


 シグルド様が不意に身を乗り出した。

 整いすぎた顔が目の前に迫る。高貴な香水の香りが鼻腔をくすぐり、思考回路がショートしかけた。


「私は以前から、君の仕事ぶりを見ていた」

「え?」

「王立図書館の奥で、膨大な領地法を暗記していた君を。ジェロームが遊び歩いている間、一人で執務室の灯りを守っていた君を。……誰にも褒められずとも、完璧な仕事を遂行するその姿を、ずっと欲していた」


 大きな手が伸びてきて、私の頬をそっと撫でる。

 その手つきは、貴重な古文書を扱うよりも遥かに慎重で、優しかった。


「君は自分を『可愛げがない』と言ったな」

「……事実ですので。泣いて縋ることもできません」

「そこがいい。私は泣く女より、不当な扱いに怒り、計算高く反撃を用意できる君のような女性こそが、世界で一番可愛いと思っている」


「は……」


 可愛い? 私が?

 計算外の言葉に、顔が熱くなるのがわかった。

 鉄壁の財務官と呼ばれた私が、たった一言で陥落しそうだなんて。


「観念しろ、アリエット。君が提出した請求書エンゲージリングは受理した。もう逃さない」



 到着した公爵邸は、主人の性格を反映して洗練されていたが、私の予想とは異なる場所へ通された。

 執務室ではない。ふかふかの絨毯が敷かれた、豪奢な客間だ。

 テーブルには湯気の立つ紅茶と、宝石のようなタルトが並んでいる。


「さあ、仕事の時間だ」

「……はい! 帳簿はどこでしょう? それとも過去の判例整理ですか?」


 腕まくりをしようとした私を、シグルド様がソファに座らせる。


「違う。君の業務は、このタルトを食べ、紅茶を飲み、私の隣で休むことだ」

「はい?」

「君の頬は痩せすぎだ。過重労働の証拠だな。まずはその損耗を回復させることが、私の『妻』としての最初の任務だ」

「む、無茶苦茶です!」


 反論しようと口を開いた瞬間、フォークに刺された苺が口に突っ込まれた。

 甘酸っぱい果汁と、濃厚なクリームが広がる。


「……んぐ」

「美味しいか?」

「……はい、とても」

「よろしい。大変優秀な成果だ」


 満足げに微笑むシグルド様。

 この人、もしかして私を甘やかすことを楽しんでいないだろうか。

 

 その時、部屋の扉がノックされ、老執事が恭しく入室した。手には銀盆に乗せた書状がある。


「旦那様。例のジェローム男爵家より、早馬で抗議文が届いております」

「ほう?」


 シグルド様の空気が一変した。

 甘い恋人の顔から、冷徹な処刑人の顔へ。


「『請求書は不当な捏造であり、アリエット嬢による横領の罪をなすりつけられた』……だそうです」


 私の背筋がスッと冷える。

 やはり、ただでは引き下がらないか。ジェローム様の実家は法務に顔が利く。私の作成した請求書にいちゃもんをつけ、泥仕合に持ち込む気だ。


「……シグルド様。私が出向いて説明を」

「必要ない」


 シグルド様は書状を手に取ることもなく、執事に言った。


「“アレ”は届いたか?」

「はい。先ほど、王宮の監査局別室より」


 執事が差し出したのは、黒革の厚いファイルだった。

 見覚えがある。あれは――。


「アリエット。君が夜会で出した請求書は『表』の帳簿に基づいたものだな?」

「はい。公式記録にある範囲のみで算出しました」

「だが、君のことだ。奴らが裏で隠していた『本当の金の流れ』も把握しているのではないか?」


 私は思わず口元を緩めた。

 さすがは監査局長。私の仕事の流儀やりかたを完全に理解している。


「……恐れ入ります。ジェローム様が賭博場に流した裏金と、義妹の実家への不正送金の記録……いわゆる『裏帳簿』の写しは、念のため別便で確保しておりました」

「それがこれだ。君が去った後、君の手配した御者が私の部下に届けてくれた」


 シグルド様は黒いファイルを愛おしそうに撫でた。


「表の不正だけなら示談で済んだものを。捏造だと騒ぎ立てたことで、彼らはこの『裏帳簿』まで公の場で検証されることになる」

「自爆、ですね」

「ああ。国王陛下もすでにご覧になった。『国費を私的に流用し、かつその罪を婚約者に被せようとした愚か者には、相応の末路を与えよ』とのお達しだ」


 シグルド様は、まるで今日の天気の話をするように淡々と告げた。


「男爵家は取り潰し。ジェロームと義妹は鉱山送りだ。……君の手を煩わせるまでもない」


 あまりにあっけない幕切れ。

 けれど、胸の奥にあった重たいしこりが、完全に消え去ったのを感じた。

 私が一人で戦おうとしていたものを、この人は圧倒的な権力と信頼で、瞬く間に粉砕してしまったのだ。


「さて、邪魔者は消えた」


 シグルド様が再び私に向き直る。

 その腕が伸び、私をソファごと抱き寄せるように囲い込んだ。

 いわゆる「壁ドン」ならぬ「ソファドン」だ。逃げ場がない。


「アリエット。改めて契約の確認をしたい」

「け、契約……?」

「私は君の有能さを愛している。だが、それ以上に……君という女性そのものに執着しているのだ」


 青い瞳が、切実な色を帯びて私を射抜く。


「君が他の男の横で数字を合わせているのを見るだけで、腹が立って仕方がなかった。君が作成した書類を見るたびに、その知性に惚れ直していた」

「へ、変態ですか……?」

「否定はしない。だから、これからは私のためだけに計算し、私のためだけに笑ってくれ」


 シグルド様が、私の手を取る。

 ペンだこがあり、インクの染みが取れない、貴族令嬢らしくない指先。

 ジェローム様が「汚い手だ」と嘲ったその手に、シグルド様は恭しく口づけを落とした。


「愛している、アリエット。……この計算式に、間違いはあるか?」


 涙腺が緩んだのは、人生で初めてだったかもしれない。

 私は視界が滲むのをこらえながら、精一杯の「仕事人」の顔を作った。


「……計算、間違いです」

「ほう?」

「貴方の愛情の質量が、私の想定を遥かに上回っています。……これでは、一生かけてもお返し(返済)しきれません」


 私の答えに、氷の処刑人は太陽のように笑った。


「望むところだ。一生かけて、ゆっくり徴収させてもらおう」


 重なった唇は甘く、まるで先ほどのタルトのようだった。

 どうやら私の新しい職場は、予想以上に甘く、そして退職不可能な「永久就職先」だったようだ。

ここまでお読みいただきありがとうございます!


「ざまぁ」の爽快感と、公爵様の重すぎる愛を楽しんでいただけましたでしょうか?

アリエットが有能すぎて、公爵様が逆にメロメロになってしまう関係性が書きたくて執筆しました。


もし「スカッとした!」「公爵様いいぞもっとやれ」「アリエット幸せになって」と思っていただけたら、

下にある【★★★★★】の星マークをポチッとして評価いただけると、作者が泣いて喜びます!

感想やブックマーク登録も、更新の励みになりますのでぜひお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ