第4話 逃亡、そして……
気がつくと、私は着の身着のまま邸宅を飛び出していた。
使い慣れていた部屋を、廊下を通さずに抜け出すことなど、私にとっては朝飯前なのである。幼い頃はそうやって、両親を困らせていた。なにせ私は、いや私たちは双子だったからだ。遊ぶのも、いたずらをするのも、怒られるのも、二人。
それが一人になってしまったから、うまくいかなくなったのかしら。
妹は今、王城にいる。私が公爵家で婿を取るため、妹のロザンナは王妃として召し上げられたのだ。とはいえ、立場のあるロザンナを頼るわけにはいかなかった。
自分の地位を確かなものにしたいグレッグなら、逃げた私を探し出すだろう。特にロザンナのところへ行けば、すぐに見つかってしまう可能性がある。
「愛人がいるのだから、私のことなんて今まで通り放って……」
そう思った瞬間、あの日の言葉を思い出した。
『返さない。俺がギレッセン公爵であるためには、妻はただ一人。フィリスだけなのだからな』
ゾッとするほどの執着心。ギレッセン公爵であるために、グレッグは使用人を総入れ替えした人間だ。あり得ない話ではなかった。
とはいえ、行く宛なんてあるはずもなく、私は首都の街を歩いていた。表通りは危険だけど、裏通りはもっと……。
そちらに顔を向けただけで恐怖が増した。けれど迷っている暇はない。グレッグから逃れるためには……と思った瞬間、手を掴まれた。
「ひっ!」
「大丈夫です、フィリス様。私です。ナンです」
思わず小さな悲鳴と共に、目を瞑っていると、懐かしい声が聞こえてきた。期間にすると、僅か一週間なのに、胸の奥が熱くなった。
見慣れたメイド服ではなかったが、金髪を一つにまとめ上げた姿。優しいのに、つり目なのが少しだけ損をしているナンの姿があった。
「ナンっ!」
気がつくと私は、縋りつくようにナンを抱きしめていた。
「ご無事で何よりです」
「それはこっちのセリフよ。グレッグがあなたを田舎に帰したって変なことをいうから、私……てっきりナンは……」
「ご心配おかけしました。実は兄の隠れ家に身を寄せながら、密かにフィリス様の様子を窺っていたんです。ギレッセン公爵……いえ、あの男が何をするのか分からなかったものですから」
「そう、だったの……」
すぐ近くにいたことにも驚いたけれど、私をずっと心配してくれていたことに涙が出そうになった。一人になった邸宅で、心細かった日々が嘘のように感じるほど。
あのまま絶望せずに、思い切って邸宅を出て良かった。ナンが待っていてくれたのだから。
「フィリス様。私も再会を浸りたいのは山々なのですが、この場を離れた方がいいかと思われます。すぐに追っ手が来る可能性がありますので」
「そ、そうね。グレッグが気づかなくても、新しい使用人の誰かが騒ぎ立てるかもしれないわ」
ナンは頷くと、「では行きましょう」と言いながら、羽織っていたローブを私にかけてくれた。さらにフードまでかける念の入りよう。
改めて自分の危機管理の無さを思い知らされた。
それは先ほど、ナンが「兄の隠れ家」と言ったことにも通じる。ナンの兄は二人いるのだが、彼らは私とロザンナと同じ、双子なのだ。
片方はロザンナの侍従として王城務めをし、もう片方はギレッセン公爵家の執事をしていた。そう、今は過去形で言わなければならないとは、なんて口惜しいのだろう。
だから隠れ家、という表現なのも納得ができた。片割れの立場を慮ってのことだから、と素直に思えるからだ。
私だって、ロザンナに迷惑をかけたくないもの。




