第1話 我慢の限界
すべての始まりは、十八年前。
雨の日だというのに、あの人はまた出かけていってしまった。私とは口を利かない日もあるというのに、愛人の元へは欠かさずに足を運ぶ。
私はそんな日々に、終わりを告げたかったのだ。ただ一言、それだけを言いに行っただけなのに、どうしてこんなことになってしまったのだろう。
「い、痛っ!」
昨晩、私は夫であるグレッグ・ギレッセンの寝室を訪ねた。「今日も愛人のところに行くのでしょう? そのままこの家から出ていきなさい!」と言うために。そして「二度と私の前に現れないで」という捨て台詞も忘れずに言い放った。
結婚して僅か一年。そう、一年だ。
するとなぜか怒り出し、私の肩を掴んできた。
「グレッグ、離してよ!」
「なんだと!? さっき言ったことをフィリスが撤回しない限り、離すつもりはないからな」
「なんですって!? 勘違いするのもほどほどにしなさいよ、グレッグ。ここは私の家。あなたはギレッセン公爵という肩書を持っているけれど、この家の持ち主は私であって、あなたではないの。立場を弁えなさい!」
すでに強い力で肩を掴まれているため、グレッグを刺激する言葉をかけるのは悪手。分かっているけれど、一度出た感情を押し戻すことは難しかった。
一度恋をして、この人ならと思ったけれど、もう耐えられない。
「それでフィリスは、この俺に出ていけというのか」
「当然でしょう? そもそもあなたは、ギレッセン公爵家の者ではないのだから。私と結婚して、その座を得たに過ぎない。それなのに……私を蔑ろにして許されるとでも思っているの!?」
「……悪いとは思っている。だがそれには深い理由が――……」
「愛人のところへ行くことの、どこが深い理由なのよ!」
私とは初夜以降、ベッドすら一緒にしないというのに。愛人のところへは毎日忘れずに行く夫。それがどれだけ私を惨めにさせているのか。何も分かっていない!
そう、公爵家にいるのにもかかわらず、グレッグは何も気づいていないのだ。
「使用人たちだって、そんなあなたを見て何も感じてないとでも? まさか本気で思っているわけではないわよね」
「それなら使用人を全員入れ替えるだけだ」
「な、何をバカなことを言っているの? 代々仕えてくれている者たちだっているのに。そもそもあなたにそんな権限は――……」
「ある。婿だろうがなんだろうが、今のギレッセン公爵は俺だ。この家の持ち主がフィリスであっても、それは変わらない」
そしてそのようにしたのは紛れもない、私自身。突きつけられた事実に、唇を噛みしめた。
「……どうしてあなたみたいな最低な男を選んでしまったのかしら。他の道だってあったのに、よりにもよって、最悪な道を選ぶなんて……返してよ。返してよ、私の時間」
私はグレッグの胸を叩いた。肩を掴まれていた状態だったのに、いとも簡単に詰め寄ることができた。それがどういうことなのか、この時の私に考えられる余裕などない。
気がつくと私はグレッグに抱きしめられ、再び体の自由を失っていた。それほど勢いがあったわけでもないのに、一つにまとめていた水色の髪が、パラパラと解けていくのを感じた。
まるで流れない涙のようにも思えたが、グレッグは何も感じなかったらしい。黒髪から覗く紫色の瞳には、今も尚、怒りの色が見えた。
「返さない。俺がギレッセン公爵であるためには、妻はただ一人。フィリスだけなのだからな」
「卑怯よ」
「なんとでも言え。愛されないのが不満なのなら、今夜は愛してやる。これからも……フィリスが望めば」
「……いやっ」
けれどグレッグは、構うことなく私をベッドへ連れていった。
初めてのシークレットベビーものなので、温かい目で読んでいただけると幸いです。




