商人、はじめます 3
「コトリ君か。良い名だ。いやはや、驚きましたな。コトリ君ほどの興味深いお嬢さんを、このような場所で立ち話をさせておくのは、我々商業ギルドの礼を欠くというもの」
彼はそこで一呼吸置くと、鷹のような鋭い眼差しを少しだけ和らげ、片手を胸に当てた。
「申し遅れましたな。私はバルガス。このハルモニア商業ギルドのギルドマスターを務めている」
「ギルドマスター……!」
まさかのトップ登場だ。
私は心の中でガッツポーズをする。
「よろしければ、奥の応接室で、喉でも潤しながら、コトリ君の『事業計画』とやらを、もう少し詳しく聞かせてもらえないだろうか?」
(キター! 特別対応! よし、完全にロックオンされたわね! ……ん? でも、ちょっと待って)
私は、内心で少しだけ眉をひそめる。
さっき、私、日本の作法通り「ヤマネ(姓)・コトリ(名)」の順番で名乗ったよね?
この世界の常識が「名・姓」の順番だとしたら、普通は「ヤマネ」が名前だと勘違いされるはず。なのに、このおじさん、なんで当たり前のように私の名前を「コトリ」だと認識してるの?
(……あ、そっか。私の【翻訳】能力か!)
きっと、私が口にした「ヤマネ・コトリ」という音声情報が、【翻訳】能力を介して、この世界の人が聞くと「こちらが姓で、こちらが名です」というニュアンスごと、ちゃんと伝わっているんだ!
うわ、私の能力、思った以上に高性能だったのね! ポンコツ神様、たまには気が利くじゃない!
そして、このおじさん、絶対に私の秘密を根掘り葉掘り探る気だ!
でも、それはチャンスでもある。
この街の最重要人物かもしれない相手と、直接交渉できる絶好の機会!
「……分かりました。では、お言葉に甘えさせていただきます」
私がそう言って、小さな淑女のように一礼すると、バルガスさんは満足げに頷き、私を奥の扉へと案内してくれた。
その背後で、さっきまで私を塩対応していた女性職員が、あんぐりと口を開けて固まっているのが、視界の端に見えた。
ふふん、見たか! これが、私の交渉術よ!
◇
案内されたギルドマスターの執務室兼応接室は、私の想像を遥かに超える、豪華絢爛な部屋だった。
床には、異国の文様が織り込まれた、ふかふかの絨毯。
壁際には、見たこともない装飾が施された、黒光りするマホガニーの巨大な本棚。
そして、部屋の中央には、来客をもてなすための、座り心地の良さそうな革張りのソファセット。
(うわー……! 私が泊まってる宿屋の一室が、何十個も買えそうなお値段……!)
完全に、権力者の部屋だ。
ここで日々、ハルモニアの経済が動かされているのかと思うと、なんだかちょっと、背筋が伸びる思いがする。
「まあ、楽にしてくれたまえ」
バルガスさんは、私をソファに促すと、自身も向かいのソファに深く腰を下ろした。
すぐに、若い職員が、銀の盆に乗せたカップを運んできた。
中身は、薄く色づいたお湯のようなもの。一口飲むと、わずかに香草の香りがするが、味はほとんどない。
(……やっぱり、この世界の飲み物は『香り付きのお湯』か『苦い薬湯』が主流なのね。美味しいお茶を普及させたら、それだけで天下が取れそうだわ)
私は、内心で新たな野望を抱きつつ、カップを置いた。
「さて、と」
バルガスさんは、本題に入るといった感じで、私に向き直った。
ここからが、本番だ。
腹の探り合い、心理戦のゴングが、今、鳴らされる!




