第116話 条件は『安くて広くて庭付き』。そんな物件あるわけ……あった!?
午前中の商業ギルドは、外の市場の喧騒とは隔絶された、静謐で厳格な空気に包まれていた。
インクと羊皮紙の匂い、そしてそこはかとなく漂う「お金」の気配。
私はその独特の空気を胸いっぱいに吸い込み、トレッキングシューズの靴底をキュッと鳴らして歩く。
目的地は、建物の奥にある『不動産管理窓口』だ。
カウンターに座っていたのは、丸眼鏡をかけた神経質そうな男性職員だった。
私が目の前に立つと、彼は書類から顔を上げ、不思議そうに私を見た。
「……おや、お嬢ちゃん。お親御さんとはぐれたのかな? 今日はこっちには誰も来ていないけど……」
子供が一人でこんな奥まで来るなんて、普通は思わないわよね。
私は言葉で説明する代わりに、先日発行されたばかりの『商業ギルド登録証』をカウンターに置いた。
「物件を探しに来ました。店舗用の、賃貸物件を」
私は「借りる」ことを強調して伝える。
職員さんは、置かれたカードを見て、目を丸くした。
「『ヤマネコ商会』……? ああ、先日ギルドマスターが直々に登録されたという……」
彼は慌てて眼鏡の位置を直し、居住まいを正した。
さすがバルガスさん。ギルド内での影響力は絶大らしい。これなら話が早いわ。
「失礼しました、ヤマネコ会長。……して、どのような賃貸物件をお探しで?」
(……ヤマネコ会長。「ヤマネコ」が私の名前だと勘違いされてる!? まあ商会の名称は、自分の名前から取ったのだから間違ってはいないけど! なんか、私が猫になったみたいでこそばゆい。語呂はいいけど!)
私は心の中でツッコミを入れつつ、条件を提示する。
「条件はシンプルです。
一つ、市場から徒歩圏内であること。
二つ、菓子製造ができる厨房設備があること。
三つ、この子が遊べる裏庭があること」
足元のコロが「わん!」と愛想よく鳴く。職員さんは「はあ、裏庭……」と困惑気味だ。
「そして四つ目。これが一番重要なんですが……とにかく家賃が安いこと。初期費用は極力抑えたいんです」
私の言葉に、職員さんは「うーん」と唸り、分厚い台帳をパラパラとめくり始めた。
「市場の近くで、厨房と庭付き……。条件だけならいくつかありますが、どれも賃料は高いですよ。安くても月額で銀貨20枚は下りません」
「高いですね……」
月額で銀貨20枚(20万円)。今の私には払えない額ではないけれど、毎月その固定費が出ていくのはリスクが高いように思う。
「古くても良いので、もっと安い物件はありませんか?」
私が食い下がると、職員さんの手がピタリと止まった。
彼は顔を上げ、声を潜めて言った。
「……一つだけ、あります。条件は全て満たしていますし、価格も破格です。ですが……おすすめはしません」
「……その理由は?」
「あそこは……『出る』んですよ」
職員さんは、あたりを憚るように、さらに声を潜めた。
「元々は人気の食堂だったんですがね。8年ほど前に店主が借金で夜逃げしまして……。その後、ギルドで差し押さえて賃貸に出したんです。立地が良いのですぐに借主は見つかったんですが……」
職員さんは、身震いするように肩をすくめた。
「最初に入った商人は、一晩で逃げ出しました。『女の泣き声が聞こえる』と言って。二人目の職人は三日後に、『家具が勝手に動いた』と青い顔をして鍵を返しに来ました。三人目に至っては、幽霊退治に自信があるという冒険者だったんですが……翌朝には『あそこはヤバイ』と言い残して街を出て行ってしまいました」
「……へぇ」
「極めつけは、調査に行ったうちの職員です。二階の窓に、青白い人魂が浮かんでいるのをはっきりと見たそうで……。それ以来、ギルド内でも『あそこには関わるな』という暗黙の了解ができまして。管理も放棄され、今や誰も寄り付かない本当の『幽霊屋敷』になってしまったんです」
(キターーーッ! 特級放置物件!!)
心の中でガッツポーズ。




