【2話】出立の前夜
その日の夜。
昼間にルブリオから国外追放を命じられたオフェリアは、王宮の一室で荷造りをしていた。
ここはオフェリアの私室だ。
八歳のとき両親が亡くなってから、オフェリアはずっと王室で暮らしてきた。
ここでの生活は厳しいものだった。
大天使の加護という特別な力を持つオフェリアは、毎日が仕事漬けの日々。
回復薬の製造。訪問治療。書類仕事……他にも色々。
王国はそれらの仕事を押し付けてきた。
しかもその量は尋常ではない。
まだ小さなオフェリアにも容赦はなかった。
休む暇なんてほとんどなく、ずっと仕事をしていた。
さらに人間関係も悪かった。
婚約者であるルブリオにはもちろんだが、同じ仕事に当たっていた同僚からも嫌われていた。
同僚は数名いたが、治癒魔法が使える高位の令嬢ばかりだった。
治癒魔法というのは、使える者が少ない珍しい力だ。
だから同僚たちは治癒魔法が使える自分自身に誇りを持っていて、プライドが高かった。自分を特別だと思っていた。
だから貧乏な男爵令嬢の癖に自分たちよりも強力な力を持つオフェリアのことが、心底気に入らなかったのだ。
いつも悪口を言ってきた。
でも、そんなオフェリアにもたったひとりだけ味方がいた。
辛い毎日をなんとか乗り越えてこられたのは、その人がいたからだ。
ドアをノックする音が聞こえてきた。
「ベルクだ。入ってもよいか?」
「どうぞ」
部屋に入ってきたのは五十代の男性。
元婚約者ルブリオの父であり、ラグドア王国の国王。
そして、たった一人のオフェリアの味方だ。
ベルクだけは優しかった。
いつもオフェリアのことを気遣ってくれた。
泣いているときには励ましてくれた。
血の繋がりはなくともお前のことは娘のように思っている――ベルクはいつもそう言ってくれた。
オフェリアもそうだ。
ベルクのことを父のように慕っている。
「こんなことになってしまってすまない」
部屋に入ってくるなりベルクは、申し訳そうな顔で謝罪をした。
深く頭を下げる。
「ルブリオには考え直すように何度も言ったのだが、聞く耳を持ってくれなかった。私の力不足だ。お前には本当に申し訳ないことをしてしまった」
「頭を上げて下さい」
頭を上げたベルクに、オフェリアは優しく微笑む。
「こうなったのはベルク様のせいではありません。どうかお気になさらず」
悪いのはルブリオだ。
むしろ考え直すように言ってくれただけでも、ベルクは誠意を見せてくれたと思う。
それでオフェリアは十分に満足していた。
だからベルクに謝られるようなことはなにもない。
「ありがとうオフェリア。お前は本当に優しい子だ」
ベルクの口角が上がる。
まだ罪悪感が残っているのか、その笑みにはいつもより影があった。
「行く先は決まっているのか?」
「いいえ。まだ決めていません」
「ならば、隣国のレシリオン王国はどうだ」
ベルクが指をピンと立てる。
「レシリオン王国の国王と以前パーティーで会食したのだが、ものすごく魅力のある男だった。二十代半ばと若い王だが、とても聡明だ。それに心が優しい。国民のことを大事にしている。彼が統べている国であれば、快適に暮らせるであろう」
(レシリオン王国……いいかもしれないわね)
レシリオン王国は、活気に溢れ穏やかな国民が多いという話を聞いたことがある。
そういう場所であれば、ベルクがいうように快適に暮らせるだろう。
これからの定住先としてはピッタリかもしれない。
「そこに行ってみます」
「ぜひそうするがいい。……オフェリア、手を出してごらん」
オフェリアが手を広げる。
ベルクはその上に、手に握っていたものをそっと置いた。
赤い宝石のついた耳飾りだ。
「これはラグドア王国の王家に、古くから伝わる耳飾りだ。売って金にするといい。私からのせんべつだ」
「も、もらえません!」
この耳飾りには大きな価値がある。
そんなものはもらえない。
オフェリアは慌てて返そうとしたが、ベルクは受け取らなかった。
「私にできることはこれくらいだ」
ベルクが微笑む。
子どもを見守る父親のような、優しい笑みだった。
「お前のことは、我が子のように大切に思っている。離れていてもこの気持ちは永遠に変わらない。幸せを祈っているよ」
ベルクが部屋から去っていく。
その背中に、オフェリアは深く頭を下げる。
緑色の瞳からは、涙がポタポタとこぼれ落ちていた。
翌朝。
オフェリアは荷物が入ったカバンを手に持って、馬車へ乗り込んだ。
馬車の行き先はレシリオン王国の王都。
ベルクがオフェリアのために用意してくれたのだ。
「ありがとうございますベルク様」
耳飾りといい馬車といい、最後までお世話になってしまった。
いつかこの恩をなんらかの形で返せればいいと思う。