秘蜜庁局長カーマの受難
馬鹿みたいなラブコメを思いついただけなんです
「頼む、息子の魔羅を勃たせてくれ!!!」
「頭をお上げください陛下!! こんな姿見られたら私の首が飛びかねません、物理的に!!」
柔らかな陽光が差し込む昼下がりの秘蜜庁執務室。壁一面に広がる大窓からは、美しく整備された王都の街並みが見渡せる。春の花々が咲き誇り、爽やかな風がカーテンを揺らしていた。
だが、そんな穏やかな風景とは裏腹に、室内では異様な光景が繰り広げられていた。
高級な刺繍が施された長衣を纏い、頭には月の冠を戴く——この国の最高権力者たる王が、ヒマヴァット国王が深々と頭を垂れている。しかも、その相手は王族でも重臣でもなく、たかだか行政機関の一部署のトップに過ぎない、灰色の髪を持つ一人の女性…カーマ・パールだった。
行政機関の一部署の長が、王に土下座されている光景——あまりにも異常な光景。
この国の最高権力者が、一介の庁官に向かって必死に懇願する姿をもし誰かが目撃しようものなら、明日の新聞の一面どころか歴史書にすら刻まれかねない。いや、それどころか、王の威厳を損ねたとして粛清される可能性すらある。
幸いなことに、今日は王が「お忍び」として訪れていたため、執務室には護衛も部下もいなかったが、万が一あの男に見られでもしたら——王直属の秘書官 ハヌマン・ロータスにでも見られでもしたらその瞬間人生終了待った無しだ。
冷徹な眼鏡越しに人を見下ろすような視線を向けてくるシゴデキインテリ。昔は彼とカーマは幼馴染であり、馬鹿話もする仲だったのだが、彼がカーマの家系に伝わるとある弓矢を知った瞬間、態度が一変。話しかけても会話など通用せず、罵倒も嫌味は当たり前、ゴミムシを見るような冷たい視線を向けられることも日常茶飯事。
彼に対して能力を使ったことなど一度もないのに、まるで性犯罪者を見るような目を向けてくるのが本当に納得いかないのがカーマの心情である。
そんな男に、もし今この光景を確実に頭と胴体がおさらばするのは確かなことだ。
絶叫したい気持ちを必死に押し殺しながら、カーマは目の前の王の頭が上がるのを見届け、ひとまず安堵の息をつくと同時に王の言った言葉を改めて反芻する。
王の息子の魔羅を勃たせる。
——シヴァ・アショーカ
王の息子にして、次の世の王となる宿命を背負った男。
肉体は鋼鉄の如し。
世闇を思わせる黒髪に、炎を思わせるルビーの瞳。
2メートルに迫る長身、逆三角形の体躯、研ぎ澄まされた肉体美。
その威厳ある佇まいから、国中の民から絶大な支持を集め、数々の異名を持つ。
「抱かれたい男No.1 殿堂入り」
「カリスマキング」
「戦場の獅子」
「不敗の剣」
「魔羅まで金剛の柱」
いや、最後のは流石に不敬では?とは思うような異名だが、まぁそれは良しとしよう。
問題はその実態である。
噂では彼は修行に明け暮れる朴念仁であり、自他ともに厳しい、極めて堅物で禁欲的な性格だという。
「ですが王族なのですし、婚約者くらいはいらっしゃるのでしょう?ああ、だから反応させるために魔羅を勃たせるという意味で…」
当然の疑問を投げかけると、王は嗚咽混じりに答えた。
「いないのだ。」
「……は?」
「いないのだ!! 婚約話が持ち上がるたびに断るうえ、恋愛というものにまるで興味を示さないのだ!!」
——まじか。
王族であれば、政略結婚が当たり前の世界である。にも関わらず、シヴァ王子は婚約者が「いない」どころか、 今まで持ちかけられた縁談をすべて断り、興味すら示さなかった という。
カーマは内心で絶句した。
普通、王族ともなれば後継者を生むことが重要な使命であり、 結婚の話が出ないはずがない。
にもかかわらず、 国王がここまで追い詰められて直談判に来るほど、シヴァ王子は興味を持っていないとは。
いや、まじか。
「えーっと、もしかして……王子は男性の方が好みという可能性は?」
現代では同性婚は珍しくない。王族ともなれば、血統を残すための技術も発達している。王子が「そちらの方向」で悩んでいるなら、それなりの手段はあるだろう。
しかし、王は深々と首を振る。
「そちらも調べた。しかし、そちらにもまるで興味を示さないのだ……!! 後継を作る気がない、というよりも恋や愛という概念に興味がないのだ!!」
それを聞いた瞬間、カーマは呆然とした。
35歳、王族、圧倒的な魅力を持ちながら、恋愛経験ゼロ。しかも自ら婚約を拒み、異性にも同性にも興味なし。
——これは確かに、一大事だ。
国を支える王家の血筋が途絶えれば、国政に影響を及ぼす。となれば、王が焦るのも当然だった。
「つまり、私に白羽の矢が立ったということですね?シヴァ王子の内に眠る可能性のある愛欲を増幅させろと」
ようやく事態を把握し、カーマは溜息をつく。なるほど、魔羅を勃たせろという言葉から事態の把握に時間がかかったが、愛欲を増幅させるという依頼というわけだ。…確かにこれは私向きの案件だ。
「その通りなのだ……!! 頼むぞ、カーマ・パール!! 我が息子の、愛欲を引き出すのだ!!」
王の必死な叫びに、カーマは覚悟を決めた。
「——かしこまりました。」
静かに、しかし確かに。
彼女は王に向かい、深く一礼するのだった。
さて、王から命じられた仕事は単純だ。
「シヴァ王子の愛欲を引き出す。」
秘蜜庁局長であり、パール家の家宝の弓矢、サンモーハナの継承者であるカーマ・パールにはその手段がある。
——サンモーハナは愛欲を増幅させる、愛欲の弓矢。
放たれた矢に当たれば即座に愛欲を増幅させ――わかりやすく言えば発情する。どんな堅物でも、当たれば発情100%
だがすこしばかり問題がある。サンモーハナは、あくまで愛欲を「増幅」させるものだ。ないものを生み出すことはできない。薪をくべれば炎は大きくなるが、そもそも火種がなければ燃え上がることはない。ゼロにゼロをかけてもゼロのまま、ということだ。
つまり、もしシヴァ王子に愛欲がまったくないのなら、いくら矢を放とうと何の意味もないということになるのだ
正直ここら辺の話は僅かでも火種があるのことを祈るくらいしかない。いや、3大欲求だから完全になくすことは難しいけど、たまにいるからね、仙人ですか!?みたいな人。
というわけで、今までの経験上、目の前に魅力的な人間達が多ければ愛欲が湧く可能性が高くなるので、王子に恋焦がれる者、王妃の座を狙う者の中から、身分・素性・違法性その他諸々に問題のない者たちを選別し、王から「色仕掛けせよ」との通達を出していただいた
王子が訓練を終え、必ず通る道——王宮の裏庭。
白亜の建物に囲まれたそこは、手入れの行き届いた優美な花園だった。
色とりどりの花が咲き乱れ、甘やかな香りを風に乗せて漂わせている。淡いピンクの花弁がひらひらと宙を舞い、陽光に照らされて煌めく様は、まるで春を閉じ込めた箱庭のようだった。
聞くところによると、この場所は王がまだ若かりし頃、王妃と密かに逢瀬を重ねた場所でもあるらしい。
…ロマンチックな光景だ、愛を育む場所としては申し分ない。
そしてここに、選りすぐりの令嬢・令息たちが集められていた。彼ら彼女らは、皆口々にささやき合いながらも、どこか緊張した面持ちだ。
——当然だろう。
今日この場で、王子の目に留まれば、未来の王妃、あるいは王夫の座が見えてくるかもしれないのだから。
彼らは皆、手持ちの中で最も高価で、最も自分を美しく見せる衣装をまとっていた。きっとこの中には、この日のために一から誂えた者もいるだろう。
露出を控えつつも、布地の流れや装飾で滑らかな曲線を強調する者。
自信のある鎖骨やうなじを惜しげもなくさらす者。
あるいは、上品な装いの中に、艶やかさを滲ませる者。
煌びやかな者たちが集うこの庭園は、さながら一級品の宝石を詰め込んだ宝石箱と表現するに相応しい。
もしこれで王子が何の反応も示さないようなら、もはや身分関係なしにお触れを出すしかないのかもしれない。
…その場合もしかすると、王子はこうした華やかな美しさよりも、野山に咲く素朴な花のほうを好むのかもしれないからな。
いずれにせよ、もうすぐ王子がやってくる時間だ。
カーマは鳥を模した木製の面をかぶり、建物の上から観察する。ちょうどそのとき、集まった令嬢・令息たちの視線が一点に集中した。
——来たな。
花弁が揺れ、柔らかな陽光の中から、ゆったりとした足取りで歩く影が現れる。
訓練帰りのシヴァ王子は上半身裸。日焼けした肌には、無駄のない滑らかな筋肉が刻まれている。
厚く引き締まった胸板、均整の取れた肩幅と腕のライン。鍛錬の賜物たる身体は、どこからどう見ても完璧な造形美だった。
周囲の令嬢・令息達が、息を呑む気配が伝わってくる。
「シヴァ王子!」
やがて、誰かが勇気を振り絞り、王子に声をかけた。その声を合図に、華やかな衣装をまとった者たちが一斉に王子のもとへと押し寄せる。
身動きが取りづらいこの状況。そして、魅了するべく集まった人々の視線と甘い香り。
——好機だ。
カーマは目を細め、息を整えた。
手をかざせば、ふわりと花の羽根をもつ矢が現れる。
サトウキビでできた弓、そして花の矢——愛欲の弓矢、サンモーハナ
…これを一国の王子に当てるのはどうなんだ、という意見も分かるが、依頼主は王だ。ならば従うまで。
それに、外れて周りの者に当たったとしても、せいぜい発情するくらい。何の問題もないだろう。いや、まあ、問題だらけではあるが。
王子の背中がこちらに向いていることを確認し、弓を引き絞り、狙いを定める。
今なら、こちらに気づくことはないと弓を引き絞り——放った。
音もなく、矢は王子の背中へとまっすぐに飛んでいく。
——瞬間
王子は振り向きもせず、片手を軽く上げ――矢をつかんだ。
「……は?」
思わず己の口から間の抜けた声が漏れる。
何が起きたのか、一瞬理解が追いつかない。
飛んできた矢を、後ろも見ずに、素手で掴んだ!?
嘘だろ、背中に目でもついてるのか?
だが、呆然としている暇はなかった。
シヴァ王子は瞬時に地面を蹴り、一直線に跳躍してきたのだから。
屋根の端を蹴り、身を翻して飛び降りる。風が肌を裂くように吹き抜け、重力に引かれるまま地面へ向かう一瞬の間にも、カーマの思考は休まることなく巡っていた。
想定外だ。まさか、あんな芸当ができるとは——いや、誰が予測できた? ノールックで矢を止めるなんて、そんな人間離れしたことができるなら、あらかじめ言っておいてくれませんかね王様!!
着地と同時に前へと転がり、無駄な動きを極力省いて駆け出す。王宮内の石畳を蹴り、回廊の影を縫うように走り、風の流れを読み、足音をできるだけ殺し、気配を断つ。
焦りが脈打つ。呼吸が乱れる前に、角を曲がる。だが——
「待て!!!」
次の瞬間、鋭い声が前方から突き刺さるように響いた。回り込まれたらしい。
思わず舌打ちが漏れる。まさか、逃走経路を読まれていたとは。即座に進路を変え、近くの階段を駆け上がる。右へ、左へ、上へ——だが、
「…もう逃げ場はないぞ。」
三階の回廊の端——行き止まり。振り返れば、シヴァ王子が悠然と、しかしまるで獲物を仕留める絶対的な肉食獣のように立っている。
逃げ場を探すように背後の窓の外に視線を向ける。
窓の外、城の裏側は断崖絶壁。崖の下には荒れ狂う急流。落下すれば確実に死ぬだろう。
だが真正面から戦って勝てる相手ではない。無理だ。絶対に無理。あんな肉体を持つ相手に殴り合いで勝てるわけがない。
では、投降する?——却下。王命を受けた以上、ここで失敗するわけにはいかない。何が何でも仕事を完遂しなければならない。というか捕まったらはた面倒臭いことになる。
——ならば、選択肢はただ一つ
バリンッ!!
全身の力を込め、窓へと体当たりする。呆気なくガラスが砕け、そのまま重量に従うように身体は背中から落下した。
視界には広がる青空。
「っ!何!!!」
同時にシヴァ王子の驚愕したような声、そして数秒後——窓から落下した此方を確認するべく窓から身を乗り出したシヴァ王子。
一瞬の静寂——だが、カーマの手はすでに引き絞った弓から矢を放っていた。
「っ!させるか!!!」
シヴァ王子が咄嗟に動いた。壁を握力で砕き、その岩片を矢へと投げつける。
狙いは正確だった。飛来する矢に石がぶつかり、軌道を逸らす。
だがしかし、それも織り込み済み。カーマは最初の矢を囮に、すでに二本目を放っていた。
弧を描くように放たれた二本目の矢が、一直線にシヴァ王子を狙う。
王子の動きが一瞬遅れた。だが王子の反射神経ならまだ間に合う。即座に矢を掴もうとする——が、その刹那。
弾かれた石の破片が、カーマの顔へと、被っていた仮面へと直撃した。
「いってぇ!!」
衝撃で仮面が粉々に砕け、カーマの素顔が露わになり——目が合った。シヴァ王子の双眸が見開かれ
刹那——
二本目の矢が、王子の肩へと突き刺さった。
——やった。
仕事はこれで完了だ、確かな手応えを感じながら、満足げに落下していく。だがこの高さだ、このまま落下すれば身体を打ちつけ、無惨に死ぬのは確実だろう。
「ギャアアア!!!」
突如、巨大な影が空を裂いた。巨大なオウムが降下し、カーマの肩をしっかりと掴み取り、羽ばたいていく。
「助かった、ありがとうトータ!」
カーマが礼を言うと、トータは誇らしげに一声鳴いた。身の丈2m近い、幼い頃から共に育った兄弟のような存在のオウム。カーマの考えていることを察知して行動してくれる、まさしく最高の相棒とも呼べる存在だ。
流石に王子も空を飛ぶことはできまい——あとは、これでうまくいけばいいのだが。
翌日
磨き抜かれた白大理石の床を室内に入り込んだ朝の光が照らしはじめる時間のこと
秘蜜庁の奥深く…一般の者は決して立ち入ることのできない応接室に、一人の男が足を踏み入れた。
この国の頂点に君臨するヒマヴァット国王——いや、今この場にいるのは、ただ一人の父。
彼の前で秘蜜庁局長・カーマが膝をつき、恭しく頭を垂れていた。
「——矢を確かに王子へ打ち込みました」
カーマの口調は、淡々としていた。
しかし、その声には僅かに緊張が滲んでいるのは明らかなことだった。
何しろ、あの弓矢は単なる武器ではない。人の愛欲を増幅する弓矢。
「ですが——もし王子に愛欲がなかった場合……」
しかし、その作用が及ぶか否かは、対象の心に潜む本能次第。ゼロに何をかけたところで、ゼロにしかならないのは自明の理なのだから。
つまり、シヴァ王子が愛欲が欠落しているのだとすれば、矢は何の効果も示さない。
その懸念を抱えたままであったカーマが王を見上げた瞬間——
「カーマ……よくやってくれた……」
王の声が震えた。
それは、威厳ある統治者の声ではなかった。男として、父としての、あまりにも切実な声音。王の目に光るものが滲み、ゆっくりと一筋の涙が頬を伝っている。
「息子の……息子の魔羅が勃っていたと報告が上がった……!」
声が震え、喉が詰まっていた。そして、まるで堰を切ったかのように、涙が次々と零れ落ち、王の頬をしとどに濡らしていく。
彼は確かに王であり、国を統べる者である。だが、今この瞬間は——ただ息子の将来を案じ、己の血を引く者が「男」としての本能を持っていたことに、心から安堵する、父の姿だった。
重苦しかった空気が、一気に弾けたように明るくなる。
「そうでしたか!」
ようやくカーマも目を輝かせ、安堵したようなため息を漏らしてしまう。
「本当によくやった……よくやったぞ……!」
きっと王が、あの何よりも威厳のある王が、嗚咽を漏らし、肩が震わせ、声を震わせながら、人目も憚らず泣き崩れるなんぞ、誰も信じはしないだろう。
カーマは静かに頭を下げ、心からの笑みを浮かべる。
「この国の未来に繋がったのであれば——秘蜜庁局長として、一貴族として……いえ、この国の民として、大変嬉しく思います。」
その言葉には、一切の迷いも、偽りもなかった。
ヒマヴァット王が帰った後、秘蜜庁には静寂が戻っていた。カーマは先程の出来事を思い返しながら、書類と向かい合う。依頼の記録を整理し、筆を滑らせる作業は、彼女にとっては日常的なもの。もう6年近くやっているのだから慣れたものだ。
(いやぁ、本当に良かった……)
気を抜けば口元が緩んでしまう。
(魔羅が勃っていたということは王子には確かに愛欲があったということ。ならば、あとは王子の好みの者を正式に婚約者として迎え入れるだけだ……いやぁ、よかった、安心安心。裏庭にいたどの者が好みなのかはわからないが、まあ後は何かしらの対応を王宮が取るだろう。最悪、他の者を恋慕っていた場合は既婚者でも無い限りはなんとかするだろう。多分。)
仕事をしながらも、思わず口元が緩んでしまう。圧倒的強者であるシヴァ王子に追われた時は流石に冷や汗が止まらなかったが、国としては素晴らしい方向に進みそうなのだから結果オーライではある。
今日は祝いに少しだけ高い茶菓子でも食べようか、なんなことを思いながら仕事をする平和な昼下がり。
だが
バンッ!!
その安穏は突如として破られた。
「きょ、局長!!!」
扉が勢いよく開かれ、焦燥に駆られたような顔で秘書官であるプリーティが飛び込んできた。いつもの穏やかで頼りになる姿とは打って変わった姿は、部屋まで走ってきたことを証明していた。
そんな秘書官の様子に、わずかに不安が胸をよぎる。
「ど、どうかしましたか?」
「王子が……シヴァ王子が!! カーマ様を探していると!!」
「は?」
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
「すごい剣幕で!! それはもう、とんでもない雰囲気で!! 此方に向かって来ています!!!」
瞬間、カーマの脳内に危険信号が鳴り響くと同時に——突如矢を撃ち込まれたと思ったら、思わず興奮してしまい、魔羅が勃つ羽目になった、という王子の状況を冷静に振り返る。…考えれば、これは侮辱と捉えられてもおかしくない。
(……やばい、殺されるかも)
全身が一気に冷たくなり、背筋が粟立つ。
「しばらく実家に帰ります!! 仕事がある場合には実家に送りつけてください!! リモートワークしますので!!」
言い終えると同時に、カーマは華麗な身のこなしで窓枠に飛び乗ると、迷いなく飛び降りる。
トンッ!!
着地の衝撃を吸収するように膝を曲げ、そのまま反動を利用して疾走する。全速力で省庁の裏口へと向かいながら
(とりあえず、しばらく有給を取ろう。実家のトータとマカラと一緒に旅に出るんだ。長官なら1ヶ月くらいなら許してくれるはず……)
そんな思考の逃避にも近いような今後の計画を組み立てる。
(仕事が来たらリモートで対応すればいい。サンモーハナを使う仕事の時は……いや、今は考えてる時間が惜しい! まずは逃げよう!! 兎に角逃げよう!! まだ命は惜しい!!)
全身を汗が流れ、呼吸が速くなる。だが、運は味方してくれたのか、ついに省庁の裏口に辿り着いた。
(助かった……!!)
ほんの少し、安堵の表情が浮かぶ。希望の象徴のように光り輝いているように見える扉。
手を伸ばし、扉の取っ手に指をかけた、その瞬間——
がしっ。
肩を掴まれた——大きく、力強い手。
カーマの喉が凍りつく。
思わず息を飲み、ゆっくりと、震えるように振り向けば——そこに立っていたのは、シヴァ王子だった。
静かに、無表情に。
だが、その目には燃え盛る炎のような激情が宿っていた。
(終わった……死んだ……ジ・エンド…、嫌だ嘘だ
まだ死にたくない。今年の夏はトータとマカラと一緒にバカンスに行く予定なのに……!! まだ新作の小説を読んでないのに……!!)
走馬灯のように、過去の記憶が流れ込む。
——弓を初めて手に取ったあの日。
——幼馴染のハヌマンに虫ケラを見るような目で見られた日。
——長官の仕事を代わりにやる羽目になった日。
——この泥棒猫が!!と突如胸ぐらを掴まれたあの日
(……いや、待てよ? よく考えたら、碌なことがないな?)
そんな思考が脳裏をかすめた、その時。
「お前、名は。」
シヴァ王子が、低く威圧的な声で問うその一言に、思わず背筋が伸びる。
誤魔化すことなどできない。
「か、カーマ・パールにございます……」
震えた声で名を告げれば沈黙が2人の間に降りる。いつ殺されるのかと恐怖で震える様は、死刑執行を待つ受刑者ようだ。お願いですから許してください、なんて、意識が彼方へと飛びかけ…
「……見た目だけでなく、声すらも可憐な花のようなのか。」
「は?」
何を言われたのか理解が追いつかない。今何を言われた?え、可憐な花?わけがわからずに王子の顔を見つめてしまう。
瞬間——ボッ、とシヴァ王子の顔が真っ赤に染まる。
「貴様、その美しい瞳は魔性の宝石か何かでできているのか!? キラキラ光らせて……それで見つめるな!!!クソ、なんなのだ…、何故何故俺の心の臓は跳ね上がっているのだ!?」
突然の雄叫びに近い怒声。…やはり聞き間違えではないらしい。
(おい、待て。待て待て待て!!! なんだその反応は!? まるで……まるで……私に惚れてるみたいじゃないか!?!?)
あまりに予想もしなかった展開にカーマの顔は引きつらせた。
今すぐにでも逃げたいが、仮にも相手は王族。流石に腕を振り解いて逃げるなんぞ不敬なことはできない。だから今のカーマのできることなんぞ、王子の怒声混じりの罵声に見せかけた超絶怒涛の称賛を真正面から受け止めることくらいなのだ
——急募、王子に惚れられたのですが如何すればいいだろうか、解決法求む