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その4

 ルーエたちは、ザクリの『近衛』の詰所に連れてこられた。

 エリーはずっと口を利かず、ルーエの袖を握っていた。

『近衛』のガーネット卿はエリーを無視した。

 なんともいえない空気が漂い、ルーエはひどく困ってしまっていた。

 エリーの集めた紙片をガーネット卿に提出して、ルーエは彼の執務机の前に立っていた。

『近衛』騎士団は、貴族の子弟で構成される。

 一番下っ端の騎士でも貴族だと平民のルーエは頭を下げなければならない。

『近衛』と『王立』には、身分差があるのだ。

 随分と差が縮まった昨今だが、こだわりは残っている。

 エリー先生はアナスン侯爵家のご令嬢なのだから、気軽に口を利けるお方ではない。

 それなのに駅馬車に乗せ、安宿に泊まらせ、今は廊下に待たせている。

(酷い護衛騎士だ…)

「これは、シドニー・ルツエルが入手したユエラ伯爵家の裏帳簿の一部だ。」

 ガーネット卿が紙片を指さした。

「裏帳簿…。」呟く。

「ユエラ一族は、フィアールントと密貿易をしている。

 わかっているが、証拠がなくてな。シドニーに内偵させていた。

『王立』の女もユエラ伯爵家を追いかけているとは気づかずに…。」

 ルーエが姿勢を正した。

「閣下、発言を許可していただけますか?」

「よろしい。」

「モニカは、シドニー卿と正式に婚姻していました。

 捜査のためにですか?」

「我々も最初はそうかと思ったが、」

 ガーネット卿が苦笑いを浮かべた。

「二人とも本気だった。

 シドニーは内偵のためにユエラ伯爵家に入り込んでいたが、彼が本気になってしまったそうだ。」

「使用人同士の結婚は、主の許可がいる。

 ユエラ伯爵家の許可付きの婚姻届けを出されたときは、驚いた。」

「『近衛』には似合いませんね…。」

「そうだな。」

「裏帳簿を手に入れたら、抜けろと命じたが、シドニーは残ってしまった。

『近衛』だと知られて消された。

 細君は調べを続けていたようだ。

 身の危険をわかっていただろうに。

 内偵を知られるわけにはいかなくて、我々は彼らを見捨てた。

 助けるわけにはいかなかった…

 シドニーが見つけた証拠を隠した場所がわからず、奴らが探し出すのを待っていたんだ。」

 (酷い話だ…)ルーエが拳を握りしめた。

「…細君は何を探っていたのだろう?」

 少しの沈黙のあと、ルーエが答えた。

「…おそらく、人身売買かと。」

「…。」

「自分の事件でしたが、幼児がフィアールントに売られるところを救出しました。」

「幼児…?」

「何のために?」

「…魔獣の、…食べ物として。」

 小声でルーエが答えた。

 ガーネット卿が眉をひそめた。

「今まで、なりを潜めていたフィアールントがアミエリウスに入り込んでいます。

『王立』も警戒しております。」

 ガーネット卿が机の上で手を組んだ。

「…ユエラ伯爵家の件は、『近衛』の管轄だ。」

「了解しております。

 証拠もお渡ししました。」

「この件は『王都』で裁可が下る。」

「…。」

「何が望みで、暴きに来た?」

「暴くなんて…

 同期の自死に納得がいかなかったからです。」

 ルーエが感情を抑えながら続けた。

「自死でないなら、墓を建ててやりたいです!」

「…墓は建ててやれない。」

「…。」

 ガーネット卿は、引出から書類の用紙を出し、机上のペンを取り上げた。

(ガラスのペン? 珍しいな。)

 何かを書きつけ、署名をした。

 それをルーエに差し出す。

「埋葬許可証だ。」

「埋葬…?」

「夫婦別々に墓を作る気か?

 君は、二人の仲を裂くような無粋な真似をしたいのか。」

「…。」

 ルーエは、埋葬許可証を受け取った。

「案ずるな。

『近衛』にも情はある。

 夫婦の墓碑は刻み直されよう。」

「…。」

「『王立』の詰所にあるモニカ・ルツエルをシドニーの隣に。」

 ルーエは、ガーネット卿に深々と一礼した。

「では、失礼いたします。」

「待て。」

 部屋を辞しようとしたルーエをガーネット卿が呼び止めた。

「あの方とは?」

(あの方?)

「エリー・ケリー・アナスン侯爵令嬢。」

「…。

 エリー・ケリー先生は、『治療院』のグラハム法医のご命で、モニカ・ルツエル夫人の検視報告書の検証においでくださいました。」

「君とは?」

「私は、エリー先生の護衛騎士を命じられています。」

「そうか。」

 ガーネット卿は、机上の文箱から小さな茶色の包みを取り出した。

「これをあの方に。」

 ルーエが不思議そうな顔をして受け取った。

「これで、縁が切れると伝えてくれ。」

「?」

「そういえば、わかる。」

 ガーネット卿は、ルーエを見なかった。

 ルーエはもう一度、頭を下げると部屋を出た。

 ガーネット卿からの包みを内ポケットにしまう。

 少し足早に歩き出した。

『近衛』の詰所の玄関でエリーが立っていた。

 彼女が心配そうにルーエを見ている。

 エリーの側に立ち止まると、ルーエが鞄を手にした。

「ルーエさん、」

「埋葬許可書をいただきました。

 モニカを埋葬してやれます。」

 エリーがルーエを癒すように静かに微笑んでくれた。


 ◇◇◇


 その日のうちに、小さくなっていたモニカは夫シドニーの横に埋葬された。

 穴は、ルーエが掘った。

 エリーが白布で包まれたモニカを先に納まっていたシドニーの側に寄り添うようにと置いた。

 ルーエは、二人がどんな夫婦だったのか、知るすべはなかったが、このような姿であっても幸せであってほしいと願う。

(変な願いだ…)

 地面を綺麗に均して、ルーエが立ち上がった。

 かわりにエリーが小さな花束を置く。

「墓碑は、『近衛』の方が直してくださるそうです。」

 ルーエが言った。

「モニカは、何であんな手紙をよこしたんでしょう?」

「ルーエさん…」

「…妊娠していなかったみたいです。

 なのに、出産祝いって…」

「きっとルーエさんに…

 ルーエさんなら助けてくれると思われたのでは?」

「よくわからないんですよ。」

 ルーエが伸びをして言った。

「行きましょうか、センセイ。

 帰らないとグラハム先生に叱られます。」

「はい。」

 墓地は、ザクリの小高い丘の上にあった。

 天が近くにあるようにと。

 二人が丘を下り始めると下から老夫婦が昇ってきた。

「あ、」

 エリーが足を止める。

 老夫婦も足を止めた。

「あなた方…」

「昨夜はありがとうございました。」

 ルーエが頭を下げた。

「こんなところで… お会いするなんて。」

 老婦人が微笑いかけてくれた。

「御二方は?」 

「お墓参りなの…。

 孫夫婦の。」

「え!」

「夫婦で… 事故で亡くなったと知らせを受けて。

 ダメよね、お爺さんやお婆さんより先に死んでは…」

 老婦人が目を潤ませていた。

「あなた方は? 」

 ルーエが返事に窮する。

「私たちも友人のお墓参りです。」

 エリーが答えてくれた。

「もう、戻るところです。」

「そう…。」

「お力を落とされませんように。」

 エリーの言葉に老夫婦が頷いた。

「あなた方も。

 ご友人の分まで、お幸せになってね。」

「ありがとうございます。」

 老夫婦が丘を登っていく。

 ルーエとエリーは黙って丘を下った。


 ◇◇◇


「王都行きの最終馬車になってしまいました、すみません。」

 待合の外の長椅子で待っていたエリーにルーエが切符を渡した。

「着くの、朝方になりそうです。

『夜通し馬車』なんて、またセンセイに負担をかけてしまいます。」

「帰りは、大丈夫だと思います。

 グラハム先生のお土産も買えましたし、心配事もすみましたから。」

「…馬車を雇えばよかったですね。

 もっと、金を持ってくるんだった…」

「普通の人は、皆、駅馬車でしょう?」

「侯爵家のお姫様なのに!」

「…そういうほど、当家はお金持ちじゃありません。

 自前の家馬車だって、一台しかないんですよ。

 領地は小さいし、さとうだいこんが特産品だっていう田舎ですよ。

 家名が古いだけの貴族です。」

「センセイ…。」

 ルーエが懐から茶色の包みを取り出した。

 ガーネット男爵から頼まれたものだ。

「センセイ…、

『近衛』のガーネット男爵様からセンセイに渡してほしいと頼まれました。」

 ガーネット男爵の名前にエリーが固まる。

 受け取る手が震えている。

「お知り合いでしたか?」

 少しルーエの声が怒ったように聞こえた。

(何で! 何で、俺が腹を立ててる?)

 エリーは返事をせず、包みにかかっていた紐をほどいた。

 中から出てきたのは、ひどく古びた薄紅の包み紙だった。

 エリーがそれに触れると包みの中から鈴の音がした。

 その包み紙を開けると中から赤いリボンが出てきた。リボンの両端には小さな鈴が付いている。

 エリーがそれを胸に抱きしめた。

「センセイ…」

 ルーエは、その姿にもっと腹が立った。

「ガーネット男爵様は、『これで、縁が切れる』と伝えてくれと言っていました!

 酷い話じゃないですか!」

 エリーが頭を振った。

「これで、もう、『申し訳ない』と思わなくてもよいのですね。」

「え?」

「十歳の時に、

 両家が決めた婚約でした。

 とても年が離れていて… あの方には不本意な婚約だったと思います。

 両家の境界争いの和解のためのものでしたから。」

「えー!」

「婚約して、初めてのお誕生日に、マクシミリアン様にガラスのペンをお贈りしました。

 お返しに何がいいかと聞かれ、そのころ流行っていた鈴付きのリボンをお願いしました。」

(えー! 婚約者!?

 ガラスのペンって、ガーネット卿が使っていたヤツ!?)

「その後、私の事件があって、父が『近衛』を追われ、そんな娘を迎えることはできないと婚約も破棄されました。

 あの方も私のせいで、誹謗中傷にさらされたそうです。」

「ガーネット男爵と名乗っておられましたが?」

「ご実家は、伯爵家です。

 御嫡男ではなかったので、下位の男爵家に養子に入られたのかもしれません。

 家名が変われば、悪いうわさもわからなくなります。」

 エリーは胸のリボンを包み紙に戻した。

「私のせいで、あの方の将来も台無しにしてしまいました。」

「だからって!」

「使用人の子と服を取り換えただけでした。

 その浅はかな行為がたくさんの人を不幸にしました。」

「センセイ…」

「思いがけないところでお会いしたので、少し、動揺しています。」

「センセイ…

 センセイ、そんなリボン、捨ててしまいなさい!

 俺がもっといいのを買ってあげます!」

 エリーがルーエを大きな瞳で見つめた。

 その次に笑顔になる。

「捨てたりしません。」

「センセイ…」

「小さい頃の、マクシミリアン様が下さった幸せの記憶です。

 大事に、しまっておきます。」

 エリーが微笑んで言う。

「ルーエさんだって、幸せの記憶はあるでしょう?」

 ルーエが、深く息をした。

「モニカは…

 モニカは、俺の初めての女でした!

 モニカの初めての男は、俺でした!」

 ルーエの突然の告白にエリーが困った顔をする。

「センセイは、お医者様ですから、意味、わかりますよね?

 十代の、つたない男と女ですよ。

 お互い下手くそで、苦労して、男と女を感じあって。

 思い出したら顔から火が出そうだ!」

 少し間があく。

「俺の幸せの記憶です。」

 そして、ルーエが笑顔を作った。

 エリーに心配させないように作っている笑顔だ。

「ルーエさん、

 泣いてもいいんですよ。

 モニカさんのために…」

 ルーエから笑顔が消えた。

「他人の、奥さんですよ。」

「ルーエさんの記憶のモニカさんのためにです。」

 ルーエがエリーに身体を寄せた。

 彼女の肩におでこを置く。

 エリーがルーエを受け止めている。

「センセイ、少しだけ、許してください。

 馬車の時間まで…」


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