てっぺき症
「お客様にお知らせいたします。只今、車内急病人発生による救護のため、当駅にてしばらく停車いたします。なお、運転再開予定時刻は7時20分、7時20分頃を……」
またか、という少しの苛立ちとともに、遅延証明の長い行列を想起し、紺青色のブレザーに、臙脂に白のチェックのスカートという装いの、身長156cm、黒髪でおかっぱ頭の少女は、その涼しげな口許に小さくため息をつく。
彼女の名前は佐倉六花。都内の名門私立高校に通う高校3年生である。
*
「――六花さんの症状について、非常に申し上げにくいのですが『てっぺき症』の疑いが濃厚です。非常に珍しいもので、私もまだ1例しか担当したことがなく……」
大きな国立病院の診察室で有名なベテラン医師の話を両親と一緒に、しかし当の本人である私は他人事のように私の特異体質のことを聞いていました。
『てっぺき症』とやらを説明するその老医師は、丸顔で鼻が大きく、雪のように真っ白な髪の毛は頭の両サイドにだけふさふさしています。昔のマンガにこんな人がいたような……、確か飯田橋博士とか言ったような?いや、違うような気がします。
「それで、娘は……娘は助かるんでしょうか?助かるんですよね?助かるって言ってくださいよ!先生!」
父が医師に迫っている最中にも、私は呑気にも天才博士の名前のことを考えていました。
なぜって?
それは私のために必死にすがりつく父の、不治の病に侵された娘を前にしたかのような疑問に答える飯田橋博士(仮)、いや、信濃町博士でしたかね?ともかく、そのベテラン医師のご高説をお耳に入れて頂ければ自明の理、火を見るよりも明らかなことです。
「お父さん、落ち着いて下さい。娘さんには何の問題も起こりません。娘さんには、ね」
*
そう。まさしくその通り。
私、佐倉六花には何も害がない。
しかし!つい今しがたまで可憐な野の花のような私の後ろに立っていた、鼻息の荒い男には害があった。『てっぺき症』とは、私に害を為そうとする者に害を為す奇病なのだ。
うん?分かり辛い?……私も思った。
では、鼻息の荒い男、仮に鼻息荒男として……、なに?そのまますぎて芸が無いって?そんなことどうでもいいじゃないですか!
……おっと、これは失礼。素が出てしまったな。この口調も存外に疲れるものなのだよ。理解してくれたまえ。何せ私はまだ花も恥じらう女子高生なのだからな。
さて、話を戻そう。その鼻息荒男は私が抵抗もままならない大人しく無力な女の子だと思って、痴漢などというあるまじき行為に及ぼうとしたに違いあるまい。その害意を何らかの方法で感じ取った私の体が、或いは天才的な頭脳が、瞬時に鼻息荒男との間に重さ200キログラムにもなる壁を作り、我が身を守ったのだ。公園のような広い場所であれば鼻息荒男はその壁に阻まれただけで済んだであろうが、そこは通勤通学の時間帯。哀れ鼻息荒男は見事、0.2トンの塊に足を踏まれて急病人となったわけさ。
他の乗客の迷惑になるから電車を使うなって?
ちみは一体全体何を言ってるんだい?正気の沙汰とは思えないよ。
そもそも痴漢などというものをする輩が、そのやましい心が存在しなければ何も問題ないのだよ。
*
心の中でそんな偉そうな講釈を垂れてはみたものの、実生活ではどうしても支障が出てしまう部分が有りました。
子曰く、彼氏が出来ない。
いいえ。厳密にはお付き合いをしたことはあるのですが、文字通り壁に阻まれて早々に撤退してしまうのです。こんなにも愛らしい女の子を途中で放り投げるとは、なんと、根性無しの多いことかと絶望することしきりです。
お付き合いに両性が合意するまで辿り着ければまだましなもので、ひどいものだと、ラブレターを渡される、まさにその瞬間に壁ができることもあります。想いを込めて、丹精込めて書き上げたであろう、その乾坤一擲の文が、手渡される瞬間にひしゃげていく、そしてその様をスローモーションで脳内再生している男子を見るのは実にいたたまれないものがあります。
でも、そんな私にもようやく春の匂いが漂ってきました。
誉れ高き生徒会長でクラスメイトの桜川君。既に有名企業や政権与党、はたまた中央省庁からのスカウトもあると噂される、頭脳明晰、運動神経抜群の彼です。
そんな彼と初めて話をしたのは、あれはそう、3年生になってすぐの4月初旬のことでした。
私、見てしまったんです。キャンディーズの春一番を口ずさみながら校舎裏にあるゴミ捨て場にゴミを捨てに行ったときのこと、彼と館山さんが一緒にいるところを。南国に咲き誇る花々のように華美な容姿と明朗快活な性格で男女問わず人気のある彼女。そして人望分厚く、一部では信奉もされている桜川君。
これはもう恋の予感しかしません。良いでしょう、ここは私がしっかりと恋の行方を見守ってあげようではありませんか、と2人に気付かれないように出来るだけ近くの物陰から観察します。うひひひひひ。
……は!? 私としたことがいけません。涎が垂れてきてしまいました。これでは野辺に咲く可憐なお花も台無しです。
しかし、
「キモイ」
何かの聞き間違いではないかと我が小ぶりの耳を疑いましたが、いいえ、間違いありません。その独特の艶のある落ち着いた声は館山さんのものです。
そして百合の花のごとき姿で館山さんが歩き去った後、ぽつんと残された桜川君は力なく膝からガクンと崩れ落ちたではありませんか。
私は見える範囲に彼女がいないことを確認して桜川君に近づきます。こんなマンガみたいに面白い光景……、おっと、違います。違いますよ?私は野辺に咲く可憐な花ですからね。そんな不謹慎なことは思わないのです。
「桜川くん、これ使って涙を拭きなよ」
そう、私は野辺に咲く可憐な花。泣き崩れる男子へ掌を上にしてハンカチを差し出すのは当たり前です。もちろん、自分用と貸し出し用に2枚持ち歩いていますけどね。これで自分のは汚くなりません。えっへん。
……おっと、いけない、いけない。また私のイメージが崩れてしまうところでした。ハンカチは1枚だけしか持ち歩いていませんよ?本当ですよ?
「あ、ありがとう……。この桜川、あなたの無償の優しさに感じ入った。感謝する」
そう言って何を勘違いしたか、涙で濡れる手を自身の制服で拭き払い、ハンカチを取らずに私の手を取って立ち上がったではないですか。
「ふぁ!?」
私、思わず声を出し、そして目を奪われてしまいました。
清潔感のある整った髪型、きらりと光る手入れの行き届いた銀縁メガネ、太く男らしい眉、愛らしいつぶらな瞳と長いまつ毛、控えめ且つセクシーなプルルンとした唇、そして内臓に悪いところが一つもないことを誇示するかのようなツヤツヤできめの細かいモチモチお肌。加えて将来の高給が約束されたエリート。
最高かよ。
*
あれから半月経ちましたが、桜川君からの告白はまだありません。もっと積極的にアピールするべきだったのでしょうか?
でも……
最近、登校時にメルヘンチックな軌跡を見せてくれる想い弾丸。
告白はまだですが、どうやら今朝方、桜川君が私のハートを射貫こうとして失敗したのだと、勝気な船橋さんが勝ち誇ったように私に連絡してくれました。あのとき、目の前であらぬ方向へ飛んで行ったショッキングピンクの流れ星は桜川君の想いだったのです。
むぅ。
なにせ私は害意と想い弾丸をも弾く『てっぺき症』。
にも関わらず、あのとき私の手に触れた桜川君。
私は呟く。
臆病にも遠くからこの可憐な少女のハートを射貫こうとするあの野郎への、ほんの少しの怒りも込めて。
「桜川くん、直接、告白してくれれば良いのに……」
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