中秋の名月
逃げ帰るのに必死だった俺は、この時代、お昼ご飯なんて存在しない一日二食が普通だったことなんて、すっかり忘れていた。
そして、芳宗が俺の柔道業について内裏の人たちにだいぶ誇張して話を広め、次に俺が出仕したときに、全員がさっきの芳宗みたいにリスペクトの視線を俺に向けてくることなんて、俺はまだ知らなかった。
「お昼ごはん?そろそろ夕ご飯の時間だけど」
晴明にお昼ご飯抜きのことを知らされ、俺は頭を抱えた。
そうだった……!この時代は一日二食だった。この当時の朝ごはんは本当に早朝で、実質一日二食だし、そもそも俺は食べてないし。
ああー、俺のバカ。常識だろうが。
でも、その常識を理解したとしても、俺の腹はおさまりそうにない。激減りなのだ。
情けない顔をして床にへたり込んでしまった俺を見て、晴明は哀れに思ったのか、非常食ならあるが、と何かを持ってきてくれた。
「湯をかけて食うとうまいぞ」
こ、これは、まさかの乾飯!
出されたのはご飯を平たくして乾かした、この時代に旅行なんかに持っていく非常食だ。
伊勢物語にも出てくる、由緒正しい超有名な非常食だ。現代で言うならカップラーメン的な感じ?
俺は本物の乾飯を前に、うれしさと空腹で震えながら、さっそくお湯をもらって食べることにした。
器に入れて、お湯をかけて、いただきますっ!
うん、想定はしていたけれど、別に美味しくない。でも、「空腹は最高のスパイス」とはよく言ったものだ。まあ、味噌とか漬物があれば、もっと最高だったが。
俺はがつがつと一気に食べた。晴明は俺の食欲に驚いたように見ていたが、今日の検非違使に任命されたことをほめてくれた。
「検非違使、おめでとう。話は聞いていたよ」
「ありがとうございまふ」
口いっぱいにご飯をほおばりながら返事をすると、晴明はあきれたように続けた。
「それにしても、未来人がまさかの読み書きできないとは思わなかったけどな。未来では、文字がないのか?」
んなわけあるかっ!
俺は反論したかったけど、口に中にまだ物が入っていたし、この時代の文字が読めないのは本当だし……。
俺ができた返事は、無言で食事に専念することだけだった。
結局三杯も乾飯を食べて満足した俺は、改めて晴明に説明した。
未来にも文字はあるが、微妙にこの時代とは違うので読み書きは難しいこと。
そして海の向こうにある外国の言葉も、少しなら話せることなんかも。
俺、英検三級持ってるし。「少しなら」って晴明には言ったけど、簡単な日常会話なら、通じると思うんだよねー。
「龍、お前、唐の言葉を話せるのか?さすが未来人だな。今度内裏に唐からの使者が来たときは役に立てそうじゃないか……!」
ちょっと自慢気に晴明に話したのに、まさかの「外国=唐(中国)」の図式を言われ、俺は慌てて全否定した。
残念ながら中国語は話せない。
「いや、確かに俺は外国の言葉は少し話せますけど、中国……唐の言葉はわかりませんよ」
「何⁉それじゃぁ、どこの言葉が話せるんだ?」
え……これ、言っていいのかな?だって、この時代、アメリカ大陸なんてまだ発見されていない。
発見されるのは、この時代から、約700年後。遠い、未来の話である。
「いやー、その……まだ発見されていない国の言葉と言いますか……」
「そうなのか……。それならそんなに役には立たないな」
え、ちょっと待って。俺、もし唐の言葉が話せたら何させるつもりだったの⁉
思わずそう聞くと、「例えば唐の使者たちとの会談の時の検非違使としての護衛とか、案内とか」
マジか。でも、それはそれでなんか楽しそう。いや、だからって覚えたりはしないけれど。
そもそも、中国語と唐の国の言葉も少しずつ違うはずだし。
「あ、ははは」
「まあ、何はともあれ、今日は本当にめでたい日だ。今晩は宴にしよう。ちょうど、中秋の名月だしな」
お、やった!宴だ!パーティーだ!
「ありがとうございます!晴明様」
俺はうれしくなって、満面の笑みでお礼を言った。
それから晴明と宴の準備をしていると、吉平と吉昌が帰ってきた。
「ただいま帰りました!」
「ただいま戻りました」
「おかえりなさい。吉平様、吉昌様」
「おー、今帰ったぞ」
「ただいまです、龍さん」
いつもなら頭に響く吉平の声も、今日は気にならない。きっと俺が上機嫌だからだな!
「これこれ。私にもあいさつしないか」
ほのぼのとした空気に包まれていると、後ろから晴明がつっこんだ。
「あ、すみません。父上。ただいま戻りました」
「戻りました!」
「うむ。よろしい」
何とも貴重な場面なのだろう。そういえば、ここに来てから、こういうゆっくりとしたことなんてなかったっけ。
「龍、お前の話、内裏で聞いたぞ!すげーな。盗人をとらえたんだって?」
あ、もう耳にしているの。すげー。平安時代のうわさが広まる速度。
何気に現代のスマホのSNSとかの拡散速度よりも早いんじゃね?規模は全然違うけど。
「まあ、そうですね」エッヘン!
「それで検非違使になったんだろ?」
それはすごいか、と聞かれるとすごくはないと思う。むしろ俺にとっては読み書きができないっていう理由で図書寮を追い出されて、行きついた場所が検非違使だっただけで。
「別に検非違使はすごくありませんよ」
「何言ってんだ!検非違使になることは、図書寮で働くことよりも難しいんだぞ!」
え、そうなの⁉待って、それじゃあ、読み書きできない俺が、何も知らずに出世みたいなことしちゃったわけ?
「そうです。たいていの貴族は読み書きはできますから図書寮に入ることはそう難しくはありません。ですが、検非違使は罪人を捕まえるなどといった身体能力も求められます。なので、検非違使になることは難しいんです」
はー、マジか。読み書きもできない俺が検非違使になるなんて、よく承諾したな。
それとも何か?俺は身体能力だけで判断されたってことは、頭脳的なことは今後も求められないってこと?
それって……、すんごいラッキーじゃね?
あ、だからあの時芳宗から、尊敬の目で見られたのか。
まあ、いろんな人からは恨まれそうだけど。その時はその時だ!
「ほら、3人とも。今日は中秋の名月の宴を開くんだ。手伝いなさい」
「はーい」
「はーい」
「はい」
最初から順に、龍文、吉平、吉昌だ。
それから4人で宴の準備をした。中秋の名月、ということもあって、お月見用の団子も用意した。
ちなみに、お団子を乗せる三方はあったけど、それだけじゃあ味気がなかったから、俺は修学旅行で妹用に買っていたお土産の安い和紙の折り紙を敷いた。
和紙の、水色と白の淡い色合いの折り紙。片隅にウサギの影絵が印刷されている。
ちょっとお高めの10枚で800円(+税)。
でも、一枚くらいなくなったからといって、妹は気にしないだろう。
そもそも、帰れるかもわからないし。
そう自己解決していると、晴明、吉平、吉昌の3人にめちゃくちゃ驚かれた。
「おい!何してんだ!それ、紙だぞ!しかもそんな高価な和紙を……!」
「龍さん……!」
吉昌に至っては顔面が蒼白だ。
あ、そうか。この時代、紙はすごく高価な物なんだっけ。
でも、これ普通にお土産で買ったもので、そんなに高価なものでもないんだだけど。
うーん。説明すべきか?未来のことを。
悩んでいると、晴明が「それ、未来のものか?」と聞いてきた。
晴明……。計算してなのか、ただ単純に聞いたのかわからないけれど、もうちょっとオブラートに包みましょうよ。
ほら、吉平と吉昌が「何言っているんだ?」的な顔で見てますよ。
「……これ、言っちゃっていいんですか?」
「別にもうよくないか?ここまで来ては、私もお前が未来から来たことは認めている。そろそろ話すべきでは?」
そうか……。そうなのかもな。
「あー、唐突で申し訳ないのですが、この紙はたいして高価ではありませんよ。俺のような奴でも買えるんですから」
「いや、買えるわけがないでしょう……!しかも、こんなとても繊細な絵が描かれているもの。貴族でもなかなか買えませんよ」
「……もし、俺が平安時代のものではない、といったら?」
心臓がバクバクと言っているのがわかる。どう反応されるのか、どう説明したらいいのかわからない。
「は?」
「は?」
二人が声をそろえて聞き返す。ヘイアンジダイ?と二人で首をかしげるのも同じだ。
よし、ここからが本題だ。
「—————俺は、もっと先の未来から来たのです」
「……いや、そんなこと、あるわけねーだろ。何言ってんだ?」
「そうですよ、龍さん」
しょっぱなから信じてもらえないことくらいは想定済み。晴明だって、最初は全然信じてもらえなかったし。
でも、ここからが正念場。どういえば、信じてくれるのか。
「ちなみに、晴明様はこのことを知っています。———ねぇ?」
俺はにっこりと笑って晴明のほうを振り向いた。
そしたら二人は、「マジか⁉」といった顔で、晴明を振り向いた。
「ああ。まあ、最初は病気か、最初から頭がおかしい人、と思ったがな」
あー、なんかもう、懐かしいなぁ。その晴明の最初のとげのある言いよう。
と言っても、数日ほどしかたってないが。
最近は、少し収まってきたと思う。何故かはわからないけど。聞く気もないけど。
「まあ、ってわけで、俺は未来から来たのですよ。そして、この紙は未来で買ったものだから、全然高くない、というわけです」
「いや、何が『ってわけで』だよ!意味わかんねーぞ」
「そうですよ。他に、証拠はあるんですか?」
んー……、証拠ねぇ。
俺は頭の中で、自分の修学旅行の持ち物を考えてみた。
着替えに、お金、スマホに充電器、旅のしおりに筆記用具……。あ、あと晴明からもらったサインが書かれた生徒手帳と、カメラもある。
その中で着替えと充電器はスーツケースの中に入れていたものなので、省く。
今も未来のバスの腹の中に入りっぱなしになっているはず。……たぶん。
ってことは、今手元にあるのでいかにも未来っぽいものは、やっぱりお金だろう!
俺は自信満々で自分の荷物の中から、十円玉を出した。
よしよし、しっかり「令和元年」って書いてあるぞ。
他にも硬貨があればよかったけど、残念ながら例の妹のお土産を買ったせいで、十円玉しか財布の中に小銭はない。お札はあるけど、紙のお金なんて信用されなそうで、出さない方が無難な気がする。
「ほら、これでどうでしょうか。これは未来のお金です!」
ジャジャーン、と効果音を付けたくなるような気持ちを抑えて、俺は自信満々で二人の前に十円玉を突き出した。
すると、晴明も物珍しそうにこっちを覗いてきた。
「これが?未来のお金?胡散臭すぎるだろう」
「……これで信じろ、という方が無理あると思います」
「だな。私もこれはちょっと難しい」
み、みんなひどい……!なんで?
「ほら、ここ、『令和元年度』って書いているじゃないですか。これ、未来の元号ですよ」
「元号?」
「もう、この時代にもありますよね。確か、最初の元号は『大化』。今から……だいたい300年前くらい?につけられました。合っているでしょう?」
「それ、たいていの人が知っていることですよ、龍さん」
え、マジで?そんな常識的なことだったの?
んー、じゃあ、この時代の元号は?何だったかな?
「えーっと、確か、今の元号は……平安?」
「……いや、違うぞ。今は『安和』、だ。……龍、お前、私に噓ついてないか?」
うっ!なんか唯一俺の未来人説を信じてくれてる晴明にまで疑われた?
そんなにこのお金、怪しい?
っていうか、アンナなんて元号、聞いたことないし……。勉強不足。恥ずかしい……。
「そ、そんなに信じられないんですか?」
「ああ。だって、銅だし、汚いし、小さいし。唯一評価できるのは、綺麗な丸と、文字のきれいさ、だな」
酷い。でも、となると、どうすればいいんだろうか。同じものがたくさんあればよかったんだけど、あいにく、一枚しかない。
んー、あとは、スマホとか?でも、あれ、Wi-Fi通っていないから、使えないんだよなぁ。
どうしよう……。どうすれば、信じてもらえるんだろう。
あ、カメラとか⁉
俺は急いで自分のバックからカメラを取り出した。銀色の、普通のデジタルカメラ。
修学旅行用にと、自分用に買ったものだ。
確か、この中に修学旅行の写真が入っていたはず。画質もいいし、これなら……!
「皆さん!お金でも信じないなら、これならどうですかっ⁉」
見せた写真はなんてこともない、京都の街並みの中、俺とその友達が抹茶アイスを食べながら歩いている様子だ。
ああ、早くも懐かしい。本当に帰れるんだろうか。
龍文が一人、何かの感激を受けている中、他の3人は食い入るようにそれを見ていた。
「すごい……これは……絵……?」
「いや、絵にしては緻密すぎる……。それに、この箱はいったい……?」
「これ、どこだ……?龍もいるぞ……」
フッフッフッ。ようやく信じてもらえたかな?
「これは絵ではありません。『写真』というものです」
「シャシン……?」
3人が声をそろえて聞き返した。晴明までもだ。
ちょっと貴重な一場面。せっかくなので、この瞬間をカメラで撮影した。
「うわ⁉なんだ?光が……!」
驚いているようで、何より。
「ほら」
そう言って俺が見せたのは、ちょっと抜けている表情をした3人。
「これは……私たち……?」
「はい。これはその瞬間をそのまま切り取るかのように写すものです」
「そ、そんなことが可能なのか……」
驚きのあまり、文が最後まで言えていない。
俺は大成功だ!と、心の中でガッツポーズをした。
「これで、俺が未来から来た、ということを信じてもらえましたか?」
「……ああ……そうだな」
「これは、信じる他ないですね……」
「すげぇ。他のも、見ていいか?」
「ええ、どうぞ」
さすがの3人も、信じたようだ。よかった、よかった。
これにて、一件落着。
あれ?俺たち、何の準備をしていたんだっけ?
ことがひと段落着いたところで、俺はお月見の準備をしていたことを思い出した。
「あの、盛り上がっているところを水を差すようで申し訳ないんですけれど、お月見の準備、しませんか」
すると、3人はハッとしたように面を上げた。
「あっ!庭からススキ切ってきます」
吉昌が慌てて立ち上がった。
「俺、団子作る!」
「あ、それじゃあ、俺も手伝います。……晴明様は?」
「私は、出来栄えを確認する」
あ、この人、手伝わないつもりだ!ずるいぞ。
「駄目です。晴明様も手伝ってください」
「えー」
「手伝ってください」
「……仕方なかろう」
こうして、晴明はテーブルの準備を始めた。
お月見の準備、ということもあり、龍文は吉平とともにお団子づくりに挑戦していた。
団子、といっても現代のようにカラフルだったり、甘かったりするわけじゃない。
作り方はいたってシンプル。穀物をすりつぶし、水分を少しずつ入れて生地にする。そしてそれを食べやすい大きさにちぎって丸める。それを湯がけば完成だ。
……そう俺は思って作り始めたのだ。
俺は知らなかったのだ。京都と秋田じゃ、団子の形が違うなんて。
「……龍、何作ってんだ?形、違うぞ」
「え?団子といったら丸い形でしょう」
俺が一個目を作っている時にそう吉平に指摘された。
何ら、変わりないはず……。
「お月見団子は、こんな形だろ?」
と、見せられたのはラグビーボールのような形の団子。
驚いた。だって、お月見団子って、全国どこでも丸い形をしていて、三方に乗せるものだと思っていたから。
「俺がいたところでは違う形でした」
「へぇ。ここではこの形に合わせてくれ」
「はい」
そうして出来上がった団子は全部で合わせて十個ほど。位の高い貴族だと、甘いものをそれに巻くらしいがここにはないので断念する。
見栄えはいいと思う。
「おいしそうですね」
「だな」
「ですね」
「ああ。いい感じにお月見仕様になっている」
俺たちはみんなその出来栄えに満足した。
後は、何が必要だろうか?
今準備されているのは、ススキとお月見団子くらい。いまいちパッとしない。
現代を基準に考えているからだろうか。
「これだけじゃ、なんか物足りませんか」
「そうか?こんなもんだろ。芋もあるし」と返す晴明。
「芋?」
「ああ。知らないか?中秋の名月はちょうど芋の収穫時期と重なるから、無事に収穫できたことの感謝の気持ちを込めて、お供えをするんだ」
へーえ。初めて知った。
うーん。でも、あるのは団子とススキ、芋。ススキに至っては食べ物でもない。
ちょっと物足りなさすぎる。何か、他の食べ物が欲しい。
「……俺、ちょっと食べ物探してきます」
「は⁉何言ってんだ、龍。もう暗いし、宴もそろそろ始まるぞ」
「大丈夫ですよ。晴明様。すぐ戻りますから」
そう言って俺は、バックに入っていたエコバックをひっつかみ、急遽食材を探しに行った。
さて、今の時期どんなものがあるだろうか。栗にアケビ、柿……。
キノコは、毒キノコとそうでないものを判別できないので、却下。もしかしたら晴明はできるかもしれないが、そんな不確実なことには頼らない。
俺がとってきたキノコで安倍一族、食中毒とかシャレにならない。
てことでおとなしく栗などを探す。
秋田で暮らしていた時はよく秋になると栗や銀杏を取りに山に入ったものだ。
結構穴場とかがあってさ……。競争率とか、結構高かったんだよなー。
平安時代だと、そうでもないか。いや、割と採られているのか?農民とかの人たちが。
うーん、と考えながらも進んでいくと、小さな山についた。
小さいけれど、深い山。京都で迷った森も、こんな感じだった。
いや、まさかな……。
一度頭によぎった考えを俺は慌てて消す。そんなうまくいくんだったら、世の中、甘すぎる。ご都合主義、といってもいい。
いや、今はそんなことより食べ物探しに集中しよう。
そうして俺は薄暗い森の中へと入っていった。