「阿部龍文、君を検非違使に任命する」
「いったい、どこのものが盗んだのだ⁉誰か、見た者はいるか⁉」
「護衛の者たちは何をしていたのだ⁉」
大内裏の中が騒然となった。
様々な怒声や混乱している様子の声が飛び交う。
盗まれたのは、会議の内容がまとまった清書本だった。
その中には何か重要な内容も入っていたらしい。
しかも、下書きの箇条書きされていたものは、別のものとして再利用されていて、もうないらしい。
え、それってヤバくね?だって、重要な内容が入っている書物だったんでしょ?
しかも、盗んだ場所が、大内裏の中の図書寮。
それって、盗んだ奴だけじゃなくて、そいつを見逃した護衛の人とか、勤めている人たちとかも罪に問われたりしないのかな?
もし、そうならば、大規模な粛清が行われることになる。
いや、でも、そんなことがあったなんて歴史の中にはなかったから、行われなかったのかな。それとも、たまたま資料が残っていなかったとか?
まあ、こんなことがあったなんて、俺も知らなかったけれど。
俺が勝手に自己解析しているうちに、話はどんどん進んでいった。
「して、どうするんですか?護衛のものは向かわせたのですか?」
「ええ。大至急、追跡中です。それと、それから、このものも、それに参加します」
図書寮のトップの人が、俺の肩にポンと、手を置いて宣言する。
え?俺も?
な、なんで?関係ないでしょ。
そう考えていると、俺にだけ聞こえるような声量で、「よく考えろ。これで功績を遺したら、君は検非違使に行けるぞ」と言ってきた。
———あ、そうか!これで、功績を残せばいいのか!
よし、頑張るぞ!
全ては検非違使になるために。
「はい!俺、頑張ります!」
さて、でも、どこに行ったらいいんだろう?
平安時代に防犯カメラなんてあるわけないし、どこに行ったなんて見当もつかない。
まあ、片っ端から探すしかないのかなー。
はあ。なんか、晴明の家で、窓を開けたことを思い出すな。
気が滅入る……。
こんなことなら、何か聞いとけばよかったな。
それも、後の祭りであるが。
はあ。本日、何回目かのため息をつく。
とりあえず、場所を移動するか。
そして俺が来たのは、大内裏の厠、つまりはトイレである。
ちなみに、この時代は「厠」ではなく、「川屋」と呼ばれているらしい。
それが、今の「厠」の語源になったとか。
ここのトイレは水洗式トイレ。つまりは汲み取り式である。
平安時代では最先端のトイレらしい。
その中でも有名なのが何といっても、秋田の秋田城跡だろ!
なんたって、あの「日本放送協会」にも取り上げられたくらいだ!
詳しくは秋田城跡の資料館に掲示されている。
無事に戻れたら、また行ってみようかな。確か、他にもいろいろなことが載っていたはずだ。
……話が逸れた。戻そう。
いやー、なんか、いったん騒ぎを起こしたら、人気のないところで整理とかしたりしないのかなー、て思って。
でも、本当に人気が無い。人っ子一人いない感じ。心なしか、厠もすたれている気がする。
犯人なんて、いなさそうだ。
あーあ。そんなにうまくはいかないか。そんな、ドラマみたいなこと。
いや、タイムスリップしている時点でアニメみたいなものなのだが。
あーもう、早くしないと他の人に先を越されちゃうぞ!
仕方ないから次、行こうかな。
次に犯人がいそうな場所を考えていると、後ろから人の気配がした。
ん……?誰か来たか?
俺はとっさに厠の陰に隠れた。
特に意味はないけれど、ただ、なんとなく。
サクッ、サクッと足音がする。
まだ遠くだからよく見えないけれど、ずいぶんと小柄だ。
身長は子供くらい。たぶん、150もないんじゃないかな。
着物は右京ではあまり見ないような貧しいもの。
———あんな格好でこんな大内裏の中を歩いていたら、一発でバレそうなのに。
なんでだ?心の中で疑問が膨らむ。
っていうか、あの人が犯人なのか?
図書寮から、書物を盗んだ。
え、もしそうなら護衛の人たち、マジで何してたの?
一発で大内裏に勤めている人じゃないって、わかるじゃん。
本当に大丈夫か?セキュリティが杜撰すぎるだろ!
俺は犯人よりもそっちの人たちを叱咤したい気持ちになった。
まあ、いい。そっちはそっち。こっちはこっちだ。
今は、あの人が犯人なのか、見極めないと。
その人に顔はよく見えなかった。何かの布で顔を覆って隠していた。
その人は俺に気づく風でもなく、厠の扉の前に立つと、きょろきょろとあたりを見回した。
そして、慎重な感じで厠の中に入る。
……明らかに挙動不審だった!今の人、絶対アヤシイ!
顔、隠してたし!
よし、中から出てきたら、問い詰めてやる!
俺は厠の扉の前で仁王立ちになった。
そして、出てくるのを待つ。
5分くらいたっただろうか。ギィッと扉が開いて中からあの人が出てくる。
「ヒッ……⁉」
そいつは俺が目の前にいたことにビビったのか、おびえたような声を出した。
ちなみに、上からめちゃくちゃにらみつけてみたよ!
だって、いきなり襲われたら怖いし。
「すみません。少しお話をお聞きしたいのですが」
「……あ、あ……」
何だ?そんなに俺が怖かったのか?
まあ、これが関係ない人だったら、失礼極まりないんだけれど。
でも、その線は低いだろう。だって、明らかに服が違っているし。
なんだろう。さっきまではめちゃくちゃ貧しそうな服装だったのに、今は頑張って一張羅を着てみました!的な。
厠で着替えとか、大内裏に勤めている人だったら、絶対にしない。
だって、ほとんどの人が貴族だもん。
「ここで、何してたんですか?」
「いや、あの、その……」
「服を着替えていたんですよね?」
「⁉なんでそれを……っ」
「なんで?あなたがここに入るのを見ていたんですよ。一部始終、きっちりとね。先ほどは貧しそうな身なりをしていましたよ。——それで、なんで着替えたんですか?」
ちなみに、カメラで動画も撮っていた。でも、それはオーパーツになってしまうから、あえて言わない。
「それは、さすがにみすぼらしい格好では出にくいから……」
「なんでみすぼらしい格好をしていたんですか?」
「……そ、そんなの、俺の勝手だろ!何なんだよ、お前!」
『俺の勝手』か……。
苦し紛れの言い訳もいいところだ。いや、そもそも言い訳にもなっていなくね?
俺でももうちょっとうまく、しらばっくれる自信がある。
ここからでもわかるように、たぶんこの人は貴族でも何でもない。
たぶん、右京の人でもない。となれば、左京に住んでいる人か?
「俺?俺は、ある人物を探している。———図書寮から書物を盗んだ、盗人を」
そいつの肩がビクッと揺れるのが目に見えて分かった。
でも、それをあえて追求せずに、どんどんと問い詰めていく。
「ねえ、知りませんか?そういう、怪しい人。目撃証言はありませんが、俺、見たらすぐにわかると思うんですよ。だって、貴族が大内裏から書物を盗むなんていうリスク……危険な目にあう可能性が高いのに、そんなことを起こすわけがないと思うんですね。だとしたら、見かけない人。つまりは貴族以外の人が混じっているのではないですか?」
俺はそいつが貴族だということを前提に話を進めていく。
後は、そいつがボロを出すのを待つだけだ。
「そ、そんなの、俺が知るわけがないだろ!」
「あれ?あなたがもし貴族ならば、分かると思うんですがね。あいにく、俺はまだ勤めてから日が浅いために、誰が貴族なのか、全員把握しているわけではないんですよ。恥ずかしながら」
「な、なんで俺が貴族の顔を全員分かると思ったんだ?」
「貴族ならば、わかりますよね?」
「も、もちろんだ」
へー、そうなんだ。わかるんだ……?……んなわけ、ないだろっ!
大体考えてもみろ!お前は帝の顔を知っているのか⁉さっきすれ違った人がどこに勤めていて、どこに住んでいるのか、わかるのか⁉
それだったら、マジで尊敬するわ。
一度はそんな才能にあってみたいものだ。
でも残念なことに、そんな能力は本当にまれなのだ。
もし、大内裏に勤めている人たち全員がそんな能力を持っているならば、平安京はもっと発展しているに違いない。
そして、この人はもっと出世しているに違いない。
「へー。それじゃあ、俺の勤めている寮がわかるんですか?……あ、でも、自分だけだと信ぴょう性がないか……。ん~じゃあ、大内裏に勤めている人たちの資料を借りてくるんで、そらんじてみてくださいよ。全員の名前と、勤めている場所を」
ついにボロを出したそいつに俺はあえて挑発してみた。
「え……!えっと、その……」
あからさまに動揺している姿を見て、俺は思わず吹き出しそうになったのを必死にこらえた。
いや、分かりやすすぎでしょ。むしろ、よく今までばれなかったな!
まあ、遊ぶのはこのくらいでいいか。
「わからないんですよね?」
うん。わからないのは、他の貴族も同じだと思うけれど、この人は、貴族はわかるのが当たり前、って思っているみたいだし。
つまり、それって、自分が貴族ではない、って言っているのと、同じじゃない?
「くっ、くそっ!」
相手はいきなりそう叫ぶと、俺に背を向けて走り出した。
おいおい、何このベタな展開。本当にそんなんで逃げ切れると思ってんの?
思わず口元が緩んだ。
でも、背を向けられたままだと柔道の技をかけることはできない。となると……。
俺はそいつの襟を思いっきり引っ張った。
無理やり俺のほうに向かせるまでだ!
「ぐえっ!」
相手からカエルがつぶれたような声がした。だけど、そんなことはお構いなし。
後ろに引っ張るのと同時に俺のほうに向かせ、そのまま背負い投げをする。
「どしんっ」という、いかにも痛そうな音があたり一帯に鳴り響いた。
うわー、痛そう。受け身取らずにもろ入ったな。大丈夫か?
「おーい、生きていますか?」
一応声をかけてみたけど、返事がない。慌てて息を確認すると、かろうじてだが、息をしていた。
何だ、気を失っただけか。
————さて、これからどうしよう。
どう言い訳するか悩んでいたところ、タイミングよく騒ぎを駆け付けた人が集まってきた。
お、ラッキー。ジャストタイミング!
「おい!そいつが犯人か!」
「はい。逃げようとしていたので、捕まえときました。その時に少々やりすぎてしまったみたいで、気絶してしまったのですが……」
とりあえず、事後報告。報連相は大事だよ!
「よくやった!大手柄だ!……おい、そこに転がっている奴を連れて行け」
男は気絶したまま連行されていった。
後の処分は上が何とかするだろう。俺には関係ないことだ。
「これでよし。……ところで君は?」
今更っ⁉え、何、俺、今まで認識されてなかったの?ただの大内裏に勤めて、たまたま犯人を捕まえた人、みたいな?
はぁー、ショックだわ……。いや、マジで。
「……阿部龍文です」
「ああ!あの、安倍晴明の!」
……それだけで伝わるんだ。なんか、俺の知名度って、晴明によるもの?うれしいような、悔しいような……。
まあ、いい。これから上げていけばいいんだ。
「話は聞いているよ。これで功績を上げたら、検非違使に昇格するように、と」
そう!そうなの!検非違使になるために俺はこの盗人を捕まえたんだ。
んで、結果は?これで不採用、とか言われた日には、晴明とかに顔向けできないし、何より平安京での居場所がマジでなくなる!
「そ、それで、結果は……?」
恐る恐るきいてみると、「ちょっと待ってて」と言われた。
そして、何人かの人を呼び、なんか話し合いを始めた。
その中には道頼や、正成もいた。
何について話しているのかは、きこえなくともすぐにわかった。
俺の合否について話し合っているのだ。
え、これ、今この場で決まる感じ?もっときちんとした会議にかけるとかじゃなくて、ほんのちょっとした話し合い的なので俺の運命が決まるの?
不安しかない。
不安が自分の中で渦巻いているのがわかる。
何分かすると、話し合っていた人たちが解散していくのが見えた。結論が出たらしい。
「君の合格が決まった。——今日から、阿部龍文、君を検非違使に任命する」
っ、やったー!
え、マジで?俺が検非違使?し、信じられない!
数日前までただ京都に来ていた修学旅行生だった俺が、検非違使になるなんて……!
夢にも思わなかった。
「これから頑張ります!」
「よかったな、龍!」
騒ぎが落ち着いて、俺の勤める先も無事に決まったところで、芳宗が声をかけてきた。
「はい!ありがとうございます」
「いやー、新人だから、最初はうまくかないことはわかっていたが、まさか、読み書きができないとはな」
「あ、あははは……」
いや、笑い事じゃ済ませられないんだけど。
「でも、晴明はお前が読み書きできないことを知らなかったのか?」
「たぶん……。すみません。そこまで俺、話してなかったかもしれないです」
本当は、読み書きできるけど、残念ながらこの時代の書物は読めないだけなんだけど、そんなことを言っても始まらないので、素直に俺は謝った。
芳宗は俺の回答に怪訝そうな顔をしたけれど、気にしなかったようだ。
「それにしても、すごかったよな。どうやってあの盗人、捕まえたんだ?しかも気を失ってたし」
「あー、それは、逃げようとしたのを後ろからこうやって、こう……」
と俺は身振り手振りで柔道の投げ技を説明しようとしたが、芳宗にはよく伝わらなかったようだ。
「……ふーん。なんかよくわからないけど、さすが晴明の弟子だな。すんごい技使えるんだな……!」
あれ?なんか芳宗の目がキラキラしてる。
これ、現代風に言うと、リスペクトされてる?俺?
少女漫画だったら、絶対目に星が飛んでるやつだ。気持ちわる!
俺はドン引きながら、じりじりと後ろに下がりつつ、「いや、そんなにすごくないですから」と言い訳しつつ、少しずつ間合いを取った。
「そ、そういえば、俺もう帰ってもいいですか?今日は盗人も捕まえたし、疲れたんで……」
ここはもう、逃げるしかないでしょう!
俺は芳宗の返事もろくに聞かず、「お疲れさまでした。明日から検非違使で頑張ります」
と言い捨てて、文字通り逃げ帰った。
———助けて!晴明!俺に昼ごはん、作って!