安倍家の二人の子供
すごい……。
俺はあまりの衝撃に言葉をなくしていた。
「おい、口が開きっぱなしだぞ。そんな間抜け面は、私の信頼を失うからやめてくれ」
酷い……。ひどすぎる。
だって、夢にまで見た、大内裏だよ⁉平安時代の役人さんたちが働いているところだよ?もう、テンションが上がるだけじゃなくて、もう、文字通り開いた口が塞がらない、というか……。とにかく、歴史好きにはたまらない体験でしょう!
なぜ、俺たちが大内裏に来ているというと、俺を文官見習いにするための手続きを行うためだ。
「それじゃあ、私は君の申請をしてくるから君は好きなところを見てていいぞ」
やった!それじゃあ遠慮なく。
「あ、でも内裏に近づくのは、やめといたほうがいいぞ。あそこは、帝が日常居住する場所だから。下手に近づくと、首が落ちるぞ」
そのくらいは心得ているから、そんな物騒なこと言わないでほしい。
まあ、近くで見てみたい気持ちはやまやまだけど、マジで首が落ちるのはごめんなので、遠くから眺めることにする。
……シャレにならないから。修学旅行中に平安時代にタイムスリップした上に、帝の住居を覗いていたら首をはねられました、なんて。
「わかっていますよ。そのくらい」
「それならいいが。まあ、気を付けろよ。……それじゃあ、またあとでな」
よし、それじゃあ早速大内裏探検だー!
さて、内裏が見えるところに来て見たけれど、感動のあまり、声も出ない。
まず、圧倒的に大きい。大内裏の中でも、3番目くらいに大きいと思う。確か、北半分ほどが後宮だったはず。国語の便覧にそう乗っていた気がする。
あまりの感動に思わず凝視していると、怪しい目で見られた。
やばいやばい。本格的に疑われる前に離れとこう。
本当はもっと見ていたいけれど……。
というわけで、どこを次に見ようかと、考えていると、後ろからいきなり肩をたたかれた。
ビクッ!
思わず後ろを振り返ると、そこには晴明がいた。
「な、何だ、晴明様ですか。脅かさないでくださいよ」
変な輩だったら、背負い投げでもしていたかもしれない。……いや、さすがに大内裏には変な人はいないかもしれないけれど。
それでもさ、誰だって後ろからいきなり肩をたたかれたら驚くでしょ。
心臓が飛び出るかと思ったじゃん!
「何だとは何だ。人がせっかく君のために文官見習いの申請をしてきたというのに」
え、もう?早くない?
「最近人手が足りなくてな。大歓迎らしいぞ。よかったな」
おお、意外とラッキーだったみたいだ。
「よかったです。とりあえず、一文無しにはならなそうで」
俺は、ほっと息を吐いた。とりあえず、ひと段落、というところか。
「てことで、今日のノルマは終了というところですか」
「のるま……?」
晴明が理解ができない、というような顔をしながら、オウム返しに聞いてきた。
あ、しまった。思わず向こうの言葉を使ってしまった。
「ええっと、今日の予定は終了というところですか?」
龍文は慌てて言い直した。
晴明は少しほっとしたような声で、
「いや、これから私の息子たちに合わせる。ついてこい」
と言ってきた。
はあ?息子?息子、いたっけ。
……怖いから、そう思ったことは言わないけれど。
「何だ。何か言いたげな顔だな」
ゲッ!顔に出てた?マジ?
「……すごいわかりやすいぞ。そうだな、今、君は慌てている」
この癖、どうやったら治せるんだろう。マジで。
「すみません。何でもないです。……俺、そんなにわかりやすいですか?」
「ああ。それ、直さないと後々困るし、何より周りに迷惑がかかる」
迷惑?どういうことだ?
「……いずれわかるときが来るさ」
晴明が、何か意味ありげな言葉を口にするが、それは俺の耳には届かなかった。
「……わかりました。努力します」
「ぜひ、そうしてくれ」
はあ、まさか、平安時代に来ても指摘されるなんて。
「そんなことより、話がずれた。私の息子は二人いる」
はあ。二人。
「名前は安倍吉平と安倍吉昌だ。吉平は一四歳、吉昌は一二歳だ。二人とも陰陽師になるために修行している」
へえ、一四歳と一二歳が修行なんて、すごい。
それに、平安時代の年齢って、確か数え年(生まれた時を一歳と数える)だったはず。つまり、実年齢は一三歳と一一歳くらいか。本当にすごい。
「すごいですね。まだ一四歳と一二歳なのに」
「『まだ』?何を言っている。そのくらいの年だと、もう元服の時期だ。大人だ」
あ、そうか。うっかりしていた。俺としたことが……。
「もしかして、向こうの世界では違うのか?」
「はい。俺たちの世界では、成人するのは一八歳になってからです」
「え!そうなのか?」
ふむ、と一瞬何かを考えたような表情になったが、すぐにパッ、と顔を上げると、
「それでも、吉平と吉昌、そして龍、君はもう立派な成人男性だ。特に龍、君には二人以上の働きを期待しているよ」
と、満面の笑みで俺を見ながら言った。
……なんか、地味にハードル上げられている気がするのは、気のせいか?
うん、気のせいだ。そういうことにしておこう。こういうことは、気が付かないふりをしていることが一番肝心である。
「では、二人を呼んでくるから、少し待っていろ」
龍文のそんな思いには全く気付くそぶりもなく、さっさと、晴明はその場を離れていった。
「改めて紹介しよう。君から見て、右にいるのは安倍吉平。一四歳で、こっちの左の安倍吉昌の兄だ。ちなみに、吉昌は一二歳」
安倍吉平は、見た目はパッと見、やんちゃそうな子だった。少し生意気そうなつり目に、少し茶色の髪。狩衣は鮮やかな赤色。そして、何故か自信満々そうな笑顔をしている。それに対し、吉昌はおとなしそうな子だ。黒髪のショートカットで、草食動物のような感じ。狩衣の色は深い紺色。なれなそうに烏帽子をいじっている。
なんか、平安時代なのに、少し今どきって感じがする。気のせいかな。
「こんにちは。俺は阿部龍文。晴明様の弟子で、晴明様からは龍って呼ばれている。よろしくね」
「おぅ、よろしくな。龍!」
「……よろしくお願いします」
こうして、俺と吉平、吉昌の初対面は終わった。
「なぁ、龍。これから俺たちと一緒に修行するんだろ?」
吉平がさっきまでと変わらない、自信満々のような笑みを浮かべて話しかけてきた。
「ああ、そうだよ」
「それじゃあ、俺たちのほうが先輩だから、吉平様、って呼べよ!」
なんかさっきから自信満々だったのは、このせいか……!
毒舌晴明の子供は、生意気な子供か。大丈夫かよ。この一族。
ナマイキ……!すごいムカつく。
何?吉平のキャラって。こんななの?
確かに、弟子としては吉平のほうが先輩だけど、頭ではわかってんだけど。相手は十二歳の子供だよ?ちょっと俺のプライドが傷ついた気がする。
まあ、しょうがないか。この世界で生き抜くためだ。このくらいなら我慢しよう。
「……わかりました。吉平様」
「なんか、めちゃくちゃ嫌なのがこっちに伝わってくんだけど」
子どもにも心を読まれるなんて!
くそ、早くこの癖、何とかしないと。子どもにまで見くびられてしまう。
「嫌だな~、吉平様。そんなわけないじゃないですか」
「そ、そうか?それならいいんだけど」
ほッ、なんとかごまかせた。
「それよりも龍、俺、ずっと気になっていたんだけど、お前の名字の『阿部』って俺たちと何か、関係あるのか?」
さすがはナマイキでも晴明の子供。同じ質問をするんだな。
「いや、たぶん関係ないと思いますよ。単なる偶然でしょう」
「ふうん。そんな偶然があるのか。すごいな!なあ、吉昌、お前もそう思うよな」
「え?……あ、はい。僕もそう思います」
吉昌はいきなり話を振られて戸惑った顔をしながらも、彼に同意した。
吉昌は少し、内気な部分が多いな。吉平のように自分から話したりしないし、でも、話を振られればちゃんと話せる、って感じか。
よし、吉昌のことも知りたいから、もっと俺から話しかけてみよう!
「ねえねえ、吉昌君。君はどんな陰陽師になりたいの?」
「吉昌にも『様』を付けろ!バカ!」
バカって……。
俺は自分のこめかみがピクピクと、動くのを感じた。
気のせいか、顔も引きつっている気がする。
……でも、よく考えてみたら、いくら内気な感じがしても、修行に関しては吉昌も先輩だ。まさか、吉平だけに『様』を付けるわけにはいくまい。
……それがたとえ、尊敬からくるものでなくても。
「失礼しました。吉昌様」
「兄上、さっきから龍さんに失礼ですよ。僕は別に呼び捨てでも構いません。いくら陰陽師としては上だとしても、龍さんのほうが年上です。敬語もやめてください」
な、なんて立派な子なんだろう……!
どこかの悪ガキのような吉平とは大違いだ。
でも、そういうわけにもいくまい、平安時代の身分社会として。
「いやいや。そういうわけにもいきませんよ」
「そ、そうですか……?龍さんがいいのならば、いいのですけれど」
よし、話もまとまったところで、色々と聞いていこう。
「二人はどんな修行をしているのですか?」
「そーだなぁ、主に俺たちが修行しているのは、星読みかな。わかるか?星読み」
吉平は少しバカにしたような顔で俺に聞き返した。
ムカ……っ。
俺は必死に感情と、背負い投げをして制裁を加えたい衝動を押し殺す。
それでも、俺の気持ちが少しは伝わったのか、「な、何だよ……」と、若干後ろに下がった。
ん?どうした?何か、怖いことでもあるのかい?
俺は笑顔でそう言うと、「い、いや……な、なんでもねぇ」と答える。
吉昌はそんな吉平を「兄上!」となだめる。
そして晴明はそんな俺たちを静かに見ている。
何ともカオスな状態がそこにはできていた。
いや、ただカオスなだけならばまだいい。そこには何とも言えない、殺伐としたような空気が流れていたのだ。
よく見れば、周りの文官や、大内裏に勤めている人たちが遠巻きに引いたような眼で俺たちを見ていることがわかる。
しかも、何やら近衛隊らしき人たちまでこの様子を見ていた。
だが、その渦の中心にいた俺たちはそんなことには気づかない。
なぜなら、自分を抑えるのに精いっぱいだから。
落ち着け、俺。いちいちこんなのに突っかかっていたら、体が何個あっても足りないぞ。
ここは我慢だ、我慢……!
そして、この空気も限界に近づいたころ、一つの咳払いによってそれは破られた。
「……コホンっ!少し、よろしいですか?」
そう近づいてきたのは、30代くらいの男性。黒い狩衣を着ている。
「はい。何かご用でしょうか」
この中の代表者である晴明が対応する。
「いえ、晴明様でなく、そちらの龍文さんに用があるのです」
え。俺?何?っていうか、誰よ、この人。
「私は正成という者です。大内裏の文官をしています。あなたですね、文官として働きたいという志望者は」
ほー、文官。つまり、これからこの正成さんは俺の同僚になるのか?
「はい、そうですけれど」
「これから、大内裏の中や、文官の仕事について、案内をします。ついてきてください」
俺は、ちらりと晴明を見た。どうしたら正解なのか、俺にはわからなかったから。
「いってこればいい。勉強にもなるだろう」
よし、晴明の許可も下りたところで、張り切ってレッツゴー‼