阿部龍文と安倍晴明
さて、情報を求めつつ、平安京巡りでもしますか。
いや、ちゃんと戻り方とか探すよ?安倍晴明に聞けば何かわかるかもしれないし。
ってことで、安倍晴明の屋敷にいこ―!
確か、ここは右京と言っていたっけな。右京は、貴族の屋敷とかも少なく、さびれている地区だって、教科書に載っていたな……。
それじゃあ、安倍晴明の屋敷は逆の左京のほうにあるのか?現代にそんなに細かく資料が残っていなかったからよくわからない。まあ、ダメもとで言ってみるか。左京に。
平安京回りも兼ねて。
あった……。やっぱり左京にあった。今が西暦何年なのかは知らないけれど、安倍晴明くらいなら普通に左京の、それも貴族とかの屋敷と一緒の所にあるんじゃないかなと思った。
だから、晴明に会うべく、そして相談するべく中に入ろうとしたら、守衛(?)の人たちによって阻まれている。
「何奴だ!ここは晴明様のお屋敷だ。何人たりともはいることは許されぬ」
やっぱりだめか。
「俺は、龍文というものです。あの、竹林の向こうから来ました。晴明様に聞きたいことがあるんです。それが終わったら、即刻出ていきますから。お願いします」
「何度言ったらわかるんだ。晴明様は今、大変忙しい。そら帰った、帰った。」
チェッ、こうなったら、俺だって本気見せてやる。
「……わかりました。ならば、晴明様の手が空くまで、ここにいます。何日だって」
少し、ドスのきいたような声を出してみたら、守衛たちが息をのむのがわかった。
……もしかしたら、俺の本気がわかったのか?
俺だって本気なんだ。興味本心で晴明に会いたいという思いもあるけれど、現代への帰り方について何かわかるかもしれない、という淡い期待もある。
だから、俺はそのためだったら何でもやってやる。
「……正気か?こんなところで寝泊まりするなんて。最近物騒だぞ。貴族の屋敷が多いと言っても、ここら辺だって例外じゃない。先日だって、この道を一本ずれたところで殺人が起きたばっかりだし」
……どんだけ物騒なのよ。平安京。
「まあ、どうしても、というなら止めはしないが。ただ、その努力が報われることはないと思うぞ。それでもいいのなら好きにしろ」
「大丈夫ですよ。きっと何とかなりますから」
そして、適当なところから藁を持ってきて簡易的な布団(?)を作った。
いやーそれにしても、こんなところで寝泊まりなんて初めてだ。いや、タイムスリップ自体初めてなんだけど……。
ま、考えても始まらないし、とりあえず、晴明が出てくるのを待とう。
もし殺人犯とやらが出てきても、何とかなるだろう。根拠はないけれど。まあ一応俺、柔道、黒帯だし。
それに、万が一晴明に会えなくても、俺には奥の手もあるし……。何とかなるでしょ!
そう、自分は未来を知っている、という奥の手が。
何時間たったのだろうか。なんか、さっきよりも日差しが明るいような気がする。
目が焼き付くような殺人級の日差しが容赦なく龍文に降りかかる。
まぶしー。なんか、現代よりも強く感じられるぞ。遮るものが何もないからか?
そんなことを考えていると、
「そこのあなた。いつまでそうしているつもりですか?風邪ひきますよ」
と誰かに声をかけられた。
誰だ……?俺は思わず声がする方に目を向けた。
そこには、白い狩衣姿の40代くらいの男性が立っていた。
「あの、あなたは……?」
「私は安倍晴明。護衛の方たちから聞きましたよ。あなたですね。私の許可なく家の前で寝泊まりをし、私を待ち構えていた、という輩は」
……なんか、口悪くない?俺の晴明のイメージがガラガラと音を立てて崩れてく……。
いや、でも、本物の晴明?あの?マジで会えた?感激すぎる……!俺のファン心がうずく!
口が悪いのはちょっと想定外だったけれど。
平安京に来たことが分かったときの興奮、再燃。
でも、俺の表の顔は冷静なはず……。いや、そうであってくれ!
「は、はい。そ、そうですけれど……」
やべー、声が上ずった。どうやら、自分が思っている以上興奮しているらしい。
「話は聞いています。私に何の用ですか。聞いての通り、私は忙しいのです。手短にお願いします」
やっぱり、言葉のどこかに、とげを感じる気がしてならないのは俺だけだろうか。
でも、用件を言う前に……!
「すみません。握手と、サイン……ここに名前を書いていただけませんか?」
俺は生徒手帳を晴明に差し出した。
「別にいいですけれど……」
よっしゃ‼
———俺の人生の中で一番の至福の時間だったに違いない!
さて、晴明に握手をしてもらったし、サインももらえたし。
次こそ、本題だ。
「それで、用件とは何ですか?ご存じの通り、私はとても忙しいのです。手短にお願いします」
手短に、と言われても、どう説明すればいいのか、見当もつかない。
なので俺は、結論だけを言うことにした。
「えーと、まあ、簡単に言うと、俺はこの世界から約千年後の世界からやってきてしまいました。そこで、無類の腕前を持つ安倍晴明様の力をお借りしたいと思いまして、それで……」
「断る」
言い切る前に拒否された。酷い。
でも、これきしのことであきらめるわけにはいかない。さて、どうしたものか……。
「そもそも、『私は千年後からやってきました。』と言っている時点でおかしいのです。信じられません。いえ、信じられるわけがないでしょう。もし、それを本気で言っているのならば、それは、病気です。もしくはもともと頭がおかしい人。とにかく、そんな怪しい輩に手を貸す道理はありません」
うわー、相当ひねくれてんな……。若気の至り、というやつか?いったい何があったんだ?
まあ、そんな晴明も、ギャップがあっていいけれど。
確か、晴明が40歳の頃には、天文特業生(天文博士を目指す立場の人)として、村上天皇の占いを命じられたはず。そして、50歳の時には天文博士として、陰陽師のトップになったと言われている。
40歳より前の資料は残っていないと言われているけれど、何かと苦労が絶えなかったんだな……。
思わず、じっと同情も込めて晴明を見ていると、「何ですか?その目は」と突き刺すような眼とともに、言われてしまった。
怖っ!
背筋に何かがぞわぞわっと、駆け上がった気がした。何やら、寒気も……。
まあ、そんなことは顔には出さない。
さて、どうしたものか。
「はあ、とてつもなくすごい方だと思っていたのに、俺の正体を見破るどころか、信じることもしないなんて……本当にすごいんですか?」
ちょっと、皮肉っぽく言ってやった。だって、ちょっと怖いけれど、むかつくんだもん。なんとなく。
すると、晴明の眉がぴくっと動くのが見えた。
「……それ以上その口を開くと、検非違使を呼びますよ。私はこれでもちょっとは顔が利いていてね。少しくらいなら、お偉いさんと知り合いなのです」
怖っ!
またもや、背中に悪寒が走ったのが分かった。
これって脅しだよね。しかも、自分のコネを利用して。これ、地味に職権乱用じゃね?
これが平安時代じゃなかったら、訴えていたところだ!
心の中で盛大に突っ込んだけれど、さすがに検非違使はヤバい。ど、どうしよう。
こうなったら、奥の手を使うしかないか……。
「すみません。さすがに検非違使はちょっとヤバいので、勘弁してください」
「なら、その口を今すぐ閉じてください」
晴明が本気でイラ立っているのがわかる。
「でも、検非違使を呼ぶにはまだ時間がかかるでしょう?だから、俺があなたのことを当てて見せます」
「何……?はっ、馬鹿なことを……。君が、私の何を知っているというのだ」
「えーと、まず、一つ質問いいですか?」
「……何ですか?」
「あなたは今、何歳ですか?」
これを聞かないと、何も始まらない。まあ、40歳よりも下だったら、それまでなんだけど。
「いきなり人に年齢を聞くのも失礼とは思いますがね」
「う……。す、すみません」
「まあ、いいでしょう。今、私は48歳です」
ラッキー、40歳超えてる。
「そうですね、あなたは8年ほど前に村上天皇の占いを命じられましたね」
「!」
晴明の顔に驚愕の表情が浮かんだ。それはもう、わかりやすいほどに。
「なぜそれを……。それは機密情報のはず…」
「だから、俺は過去も、未来も知っているんですよ。さっき、言ったでしょ?俺は千年後から来たって。もちろん、あなたが今後どういう風な人生を歩んでいくのかも知っていますよ」
俺は、ニヤリと、少し意地悪な顔をして笑った。
晴明の眉間にしわが少し寄ったが、何事もなかったかのように取り澄まし、「それだけじゃ証拠になりません」と言った。
強情だな。んじゃ、遠慮なく。
「そうですね、あとは、去年のあなたは47歳の時に陰陽師になり、それまでは天文特業生でしたね」
「‼」
今度こそ、晴明の顔に驚愕とおそれの顔が現れた。
あ、ちなみに「天文特業生」というのは、星を観察したりして、天文博士を目指す人たちのことである。
「あ、あと、あなたの母親は……」
母親は狐だ、と言おうとしたら、さえぎられた。
「も、もういいです。ありがとうございます。あなたの能力はよーく、わかりました」
……別に、能力ってわけでもないんだけどな。まあいいか。
「いいでしょう。協力しましょう。あなたのその言葉、信じてみます」
ほんとに⁉よっしゃっ!
思わずガッツポーズをしてしまった。晴明が少し引いていた気もしたが、まあ、そんなことはどうでもいい。現代へ戻る第一歩を踏み出せたし、何より、晴明の信用を得られた。
それが何よりもうれしい。
「あ、そういえば、まだ名乗っていませんでしたね。俺は阿部龍文。よろしくお願いします」
「あべ……?もしかして、私の子孫ですか?」
子孫?いや、そんなことは何も聞いていない。聞いていたら、もっとテンションが上がっているだろうし。
「いいえ。何も聞いていませんが」
「そうですか……。まあ、いいでしょう。改めて、私は安倍晴明。よろしくお願いします。」
そう言えば、建前上は、何になるのだろう。
「あの、俺ってこれからどう名乗っていけばいいんでしょうか。俺、住むところとかも何もないんですけれど。もちろんお金…いえ、銭も」
すると、晴明があっさりと、「私の弟子と名乗りなさい」と言ってきた。
え、ええ————‼
俺が?かの安倍晴明の弟子?こ、これって、ほんとに現実?夢じゃなくて?
「あ、あの、ほんとに…?俺が、晴明様の弟子?」
「何を驚いている。ただ単に、居候と名乗ってはおかしいだろう。その点、弟子と名乗っていると、何かと都合がいい。だからだ。何、心配するな。しっかりとこき使ってやるからな」
……怖いなー、やっぱり。この人。
まあ、これからこの人のお世話になるんだ。気を引き締めていかないと。
迷惑なんて、もってのほかだ。
「まあ、とりあえず、よろしくお願いします。晴明様」
「ああ、よろしくな。龍」
なぜ、龍?……ああ、もしかして、俺の名前が「龍文」だから?それに、いつの間にか敬語じゃなくなっているし。でも、ま、いっか。
そうして、俺は晴明の弟子(建前)として、安倍晴明のお屋敷に住むことになった。
それから俺は、晴明の屋敷の前であいさつを終えた後、屋敷の中へと招かれた。
正直、とてもわくわくした。
何せ、晴明の自宅は残っていない。もちろん、資料も。だから、実際はどんなだったかわからない。
そんなお屋敷に、俺は今日から住むんだ。それも、晴明の手伝いをしながら。こんなこと、他の誰も真似することはできない。
さて、どんなことをするのかな。
ワクワクしながら屋敷の奥へと進むと、晴明が、「今、ちょっと、屋敷の中が汚くてね。だから、今から掃除をする」と言ってきた。
は?いきなり掃除?っていうか、部屋、汚いの?
「だから龍、この屋敷の窓をすべて開けてきて。それが君の最初の仕事。…そうだねえ。少しの時間があればできるでしょ」
窓を開ける?この屋敷の窓全てを?無茶苦茶だ…。しかも、少しの時間でなんて。
っていうか、この時代、10分とか、計れないでしょ。いや、そもそも「分」という概念はあるのか?
いや、ない。間違いなく。
だって、この時代は、日の高さで、大体の時間を計っていたくらいだ。
「10分くらいでもいい?」
試しに晴明に聞いてみる。
「ああ、いいぞ。ジュップンでな」
絶対、10分、わかってないでしょ!それともだいたいの概念はわかるのか?
晴明に対する疑問が膨らむ。
まさか、マジで未来を知っているとか……?
そう思ったが、突っ込まないようにした。きっと、安倍晴明はそんな常識なんて、通用しないのだろう。
見た感じだと、晴明の屋敷はとても広かった。さすが、売れっ子陰陽師というべきか。歴史の教科書で見た、寝殿造りの模型を実物大としたら、このくらいはあるのでは、というぐらいである。
窓も、どのくらいの数があることやら、見当もつかない。
「あの、この屋敷の窓、すべてですか?なんか、10分でできる気がしないんですけれど」
思わず、弱音を吐いた。
「そうだ。何言っているんだ?ジュップンでできなきゃ、即、この屋敷から追い出す」
ひ―‼怖っ!笑顔で言われた。それはもう、すがすがしいほどの満面の笑みで。
絶対10分の意味なんて分かってなさそうなのに、凄みはすごい。
ヤバい。これは、本気の目だ。この人、本気で俺を追い出すつもりだ。
さっきまでのとげとげしい物言いも十分怖かったけれど、満面の笑みで言われると、ことさらに怖くなる!
嫌だ!弟子になってそうそう、追い出されるのは。
それだけは、マジ勘弁!
平安時代にタイムスリップして、挙句の果てには野垂れ死にました、とかになったら、マジ、シャレになんないから!
「す、すみませんでしたー!直ちにやります。いや、やらせてください」
「そうですか、物分かりがよくて助かる。それじゃあ、ジュップンというのを計れるものを貸してくれ」
ああ、やっぱりさすがに細かい時間は計れないんだ。
だったら、腕時計を貸そう。逆らったら、何されるかわかったもんじゃないし。
「それじゃあ、俺の腕時計を貸しますよ。ここの長針が4から6の位置に変わったら、10分経ったということです」
「なるほど、よくわかった。それじゃあ、今からジュップン。…ああ、それと、助言として言うと、この屋敷の窓は全部で100個ぐらいあるから。よろしく」
やっぱり、100個くらいはあるんだ。うん。そんな気はしてたよ。
もう、考える気力もない。
ただ、足と手を動かすだけだ。
「はい、ぎりぎりだ。あと二つ分長い針が動けばジュップンだ。助かったな。」
危なかった。あと2秒遅ければ、どうなることやら……。
しかも、最後はスライディングだったし。ちょっと晴明がまた、引いていた気もするけれど、ほんとに焦っていて、気にもしなかった。
龍文はあの後、窓を開けるために屋敷の中を走り回った。そして、全部開けた。
正直、めちゃめちゃ広かった。そして、一つ一つの部屋にある窓の数が半端じゃなかった。いや、ほんとに。3,4個はあったと思う。
……もう、やりたくない。一回、道に迷いかけたし。
だって、前も後ろも、右も左も同じような造りで、平衡感覚がなくなるというか……。
「ありがとう。おかげで手間が省けた。後は、適当にそこら辺のものを山積みにしておいてくれ」
「はい。わかりました」
そう返事をしながらも、ふと思った。
———これ、俺が窓開けた意味、あった?
掃除って、空気の入れ替えだけ?
まあいいや。やっと本題に入れるし。
「では、本題に入る。だが、お前に聞きたいことが一つある」
なんだ?
「お前の世界、つまり1000年後というのは、どんな世界なんだ?そして、『阿部』の名字がいることはわかったが、他にどんな苗字の人がいるんだ?」
「晴明様、質問が2つになっていますよ」
俺は思わず突っ込んだ。
「人の上げ足をとるんじゃない。いいから私の質問に答えなさい」
怒られた。……まあ、いいけど。
1000年後の世界か。平安時代に比べると、とても便利だった。何でもすぐに調べることができたり、移動に時間をあまりかけなかったし。
何だろう。ほんの数日前なのに、なんとなく、懐かしい。
皆に会いたいな……。
なんか俺、地味にホームシックになっている気がする。
そんな感慨深さに浸っていると、晴明に「どうした?」と聞かれてしまった。
「あ、いえ。何でもありません。……そうですねぇ。まあ、この世界より格段に便利でしたよ。調べたいことは、すぐに調べることができたし、移動に時間も、あまりかかりませんでしたから。まあ、俺はこの平安時代のほうが好きですけれど」
「なるほど。まあ1000年も違えば、そこまで違うのも無理はないか……。でも、なぜこの平安の世のほうが好きなのだ?向こうのほうが便利なんだろう?」
まあ、確かに今、少しホームシックになりかけたけれど、平安時代が好きなのは変わらない。
「だって、平安時代のほうが、わからないことがたくさんあって、ワクワクするんです。向こうでは、真実や現象には、必ず、根拠があります。いや、根拠を見つけないと気が済まないっていうか……。そんな感じの雰囲気なんです。でも、こっちは、1000年も昔のことだから、わからないことが、とても多いんです。後は、ただ単に、歴史として好き」
ちょっと、それっぽいこと言ってみた。……別にいいよね?ほんとのことだし。
「ふうん。君のことはよくわかった。では、さっきの二つ目の質問の答えは?」
ああ、名字のこと?うーん、色々いるよな。
まあ、有名なところで、『高橋』『藤本』『藤原』『中村』……他にもたくさん。
クラスメートにそんな名字の奴がいた気がする。
すると、また声に出ていたらしい。晴明が反応してきた。それはもう、40代後半とは思えないような俊敏さで。
「『藤原』⁉今、『藤原』って言ったか⁉」
え、何?いきなり……。
晴明が今までに見たことがないくらいの勢いで俺に迫ってきた。
ちょっと怖い……。
「は、はい。言いましたけれど」
一瞬戸惑ったけれど、この時代でもっとも有名な名字を思い出してしまった。
そう、『藤原』だ。確か、この辺りでは、まだ藤原道長は生きていたはず……。
あれ、俺、もしかして、やばい名字を口にした?俺は、ただ単に同級生の名字を口にしただけで……。
俺がおろおろしているのをよそに、何故か晴明は小躍りをしていた。
大丈夫かな、この人。いろんな意味で。
「藤原一族が途絶えていないなんて……!前に占ったときは、道長様の代が全盛期で後はどんどん劣っていく、と出たのに。だから、私はこの一年間、次に栄華を誇るものが現れる時期を占っていたのに。骨折り損かよ~」