第1部 やってきました、平安京!
俺は、目の前の景色に目を奪われていた。
そこにあったのは碁盤上に網目を巡らしている一つの町だった。碁盤の中心にはひときわ幅が広い道路が通っており、奥には、さらに正方形のような形で区切られている場所もあった。
ここからだとよく見えないが、なんか、牛車のようなものまで見える。
そう、そこは、誰もが必ず歴史の授業で習うであろう古代の町、平安京だった。
「着替えよし、財布よし、しおりよし、カメラよし……。うん。忘れ物はないな。スマホの充電器も持った」
俺こと、阿部龍文は三日分の旅行セットの最終確認を済ませ、家を出た。
「それじゃあ、行ってきまーす」
今日は晴天。旅行日和だ。何か良いことでも起きそうだ。
そんな天気に、俺は浮足立たせ旅路を急いだ。
俺は今、高校生最後の集大成として、秋田県から奈良県・京都府に修学旅行に来ている。
スケジュールとしては、一日目は奈良の歴史博物館や寺、歴史的建造物の見学。二日目は京都の歴史博物館や神社への参拝。三日目は自由行動。
そして、今日は最終日、三日目の自由行動の時間だ。
周りの皆も、修学旅行の最終日でテンションが上がっている。
四方八方から「お土産、何にする?」とか、「あの場所、めっちゃ面白かったね!」とかそういう言葉が飛び交っている。
歴史が好きな俺もその中の一人だ。
歴史に関する建物や博物館のオンパレードで、テンションがこの3日間で一生分上がっている気がする。
そのおかげでこの3日間、ろくに眠っていない。
昨夜も部屋が一緒の友達と、夜遅くまでしゃべったり、寺や神社について調べていた。
でも仕方がないだろう?
歴史好きとして、京都・奈良は一度は訪れてみたい場所!聖地だ!
そして3日間だけでは足りない!
でも、残念なことに時間は限られている。
だから、この3日目の自由行動ですべての寺という寺、神社という神社をモーラするつもりだ。
でも、何故かみんなは「嫌だ」と言ってきかない。
皆いわく、「歴史が面白いのはわかるけど、他の場所もみたい」らしい。
……まあ、わかるけど。俺も、家族に頼まれているお土産、買わなきゃいけないけれど。
でも、それは空港とかでよくない?
どうせなら、もっと京都にしかない場所、行きたくないの?
よくわからない。
「俺は、別に大丈夫。別行動してもいいか?」
「いいよー。んじゃあ、またあとでね」
そう言って、俺はグループメンバーとは別行動を開始した。
さて、どこ行こうか。確か、自由行動の時間は午後五時まで。そして、今はまだお昼前。
よし。これだけ時間があったら、色々見て回れるぞ。
俺は、自分の心が浮き立つような感じがした。
やっぱ、最初は晴明神社だよな。
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晴明神社とは、その名の通り、安倍晴明を祀っている神社である。
安倍晴明は当時、「天文陰陽博士」と呼ばれ、天文学で星を占ったり、式神を思うままに操る霊術も身につけていたと言われている。そのため、朝廷をはじめ、様々な人から絶大な信頼を寄せられていた。晴明が亡くなった後、この晴明神社は建てられたが、「晴明公にお祈りすれば不思議な例のご利益を得ることができ、様々な災いから身を守ることができる」という評判が今も受け継がれているのである。
(晴明神社ホームページ一部抜粋)
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さすが安倍晴明。すげーな。
……こんなもんかな。俺は、修学旅行後提出用のメモ用紙に晴明神社のことをダイジェストにまとめた。ほんとはもっと書きたかったのだが、これ以上書くとメモ欄が2,3行分しかない用紙からはみ出してしまう。
自分の好きなことを全部書いていたら、軽く10枚は超すだろう。そんな自信しかない。
でも、さすがに一人でレポート用紙を10枚くらい一気に提出したら、先生に負担がかかってしまうし、何よりみんなに引かれてしまう。それはさすがに嫌だ。
ということで、晴明神社へ向かうべく、歩みを進めた。
はぁ、はぁ。
……それにしても着かないな。こんなにも京都駅から遠かったっけ?確か、徒歩一時間半ほどだったはず。間違いない。事前に京都の地図で調べたんだから。
はて、と不思議に思いながらも歩みを速めた。
すると、角を曲がったあたりに森が見えてきた。しかも、まるで人の手が加わっていないような、うっそうとした森だ。
中はとても暗く、全然前が見えなかった。
な、なんで森が……?この辺りに森なんてなかったはず。
俺はどこかで道を間違えたかなと思い、ネットの地図で位置情報を確認する。
いや、正確に言うと、確認しようとしてもWi-Fiがつながらず、できなかった。
くそっ。何なんだ。なんで市街地であるはずの場所でWi-Fiがつながらないんだよっ。
森に入ったからか?電波障害でも起きているのか?
まあ、考えても仕方がないし、時間がもったいない。前へ進もう。
……っていうか、もう少し、手入れしたらどうだ?暗すぎるだろ、この森。
間伐しろよ。間伐。小さい奴、育たないぞ。
まあ、何とかスマホの明かりでその場をしのいでいるけれど。
俺は思わず森に文句を言いながらも、森の中を歩き続けた。
はぁ、はぁ。それにしても長いな。ただでさえも暗いうえに全部同じような景色で、本当に進んでいるのかわからなくなってくる。
それに、とても暑い。帽子、持ってくればよかったな。
そんなことを思いながら歩き続けること早一時間。突然視界が開けてきた。どうやら、森を抜けるらしい。
良かった。これでWi-Fiもつながるだろう。
随分と時間をロスしてしまった。
だから、一刻も早く晴明神社へと行きたい……!いや、それよりも先に、何か、冷たい飲み物が欲しい。コンビニでもあるかな。
そんな期待とともに俺は明るい出口の方へと向かった。
「え……?は……?」
思わず、変な声を出して、フリーズしてしまった。
しかし、そんなことはどうでもいい。
俺は、目の前の景色に目を奪われていた。
いやいやいや。こんな場所があるわけない。いや、でも、これって……。
フリーズしている頭を必死に動かし、考える。
森を抜けると、小さな崖のような場所に出た。そう、例えるなら町一つくらいなら余裕で見渡せるようなくらいの高さだ。
だが、崖のことよりも、そこから見える街に目を奪われた。
そこにあったのは碁盤上に網目を巡らしている一つの町。
碁盤の中心にはひときわ幅が広い道路が通っており、奥には、さらに正方形のような形で区切られている場所もある。
ここからだとよく見えないが、なんか、牛車のようなものまで見える。
俺は、慌てて後ろの通ってきた森に戻ろうと振り返ってみたが、元の森の姿は跡形もなく、竹林が風に揺れてザワザワと音を立てているだけだった。
現実にこんなものがあるわけがない。
どういうことか、まったくわからない。
「な、なんなんだよ。狐にでも化かされたのか?俺は。……あ、もしかして、何かの新しい映画の撮影かなんかだったりして!確か、近くに映画村とかもあったから……。もしかしたら、この森林だったのに、竹林になっていたのも、何か撮影に使うトリックだったりして。でもそしたら、Wi-Fiもつながるだろ」
驚きのあまり、独り言をつぶやいたのにも気づかず、スマホの検索をしようとした。だが、その希望は簡単に打ちのめされた。
今もWi-Fiはつながらず、ただ一つ違っていることと言えば『圏外です』という文字が画面上に浮かんでいることだけだったのだ。
今までに、こんなにも『圏外です』という文字に怒りを覚えたことはあっただろうか。
いや、ない。
何だよ、圏外って。映画のロケ地なら、普通、Wi-Fiぐらい通ってんじゃねえの?しかも、これだけ広い範囲で撮影を行っているならば、なおさらだ。
もう、不気味さを超えて、怒りがわいてくる。
俺はチッと、舌打ちをした。
まあ、とりあえず下に降りてみるか。何かわかるかもしれないし。
それに、もし映画の撮影ならば、あわよくば、見学もさせてもらえるかもしれないし。
いざ、下に降りてみるとそこは思っていた以上に凸凹していた。道は主に土と砂でできている。そしてよく小石が落ちている。
転んだりはしないけど、たまにつまずきそうになる時もあるから、危険だと思う。
……機材とか置いたら、簡単に倒れそうだ。もうちょっと整備した方がいいと思うんだけどな。
それともこれも、映画の味を出すための演出なのか?
そんなことを考えながら大通りを歩き、周りのものを観察した。
道端に止めてある牛車はもちろん本物の牛。モウモウと、鳴いている。
インドかよ。いや、インドでも牛車はないだろう。
せいぜい、野生の牛が道路を歩いているくらいだ。
っーか、牛をこんなところに置きっぱなしでいいのかよ。逃げたり、暴れたりしないのかな。
まあ、何か考えがあるのだろう。俺が口出しすることでもないし。
他にも、至る所にたいまつが括り付けられていたり、家の中や外に置いている道具類は、素人の俺が見てもわかるくらい、何年も使われているような、年季の入ったものだった。
———本当によくできているな。映画のセットとは思えない。
本当に人が実際に住んでいるんじゃないか、と考えてしまうぐらい生活感にあふれていた。
あ、人がいる。
しばらく歩いていると、人影を見つけた。やった、ここがどこなのか、聞けるぞ。
しかし、その人に近づいてみると、奇妙な点に気が付いた。なんと、着物を着ていたのだ。しかも、昔の、平民がきていそうな薄汚れた着物。少なくとも、現代の成人式とかできるようなものではない。
あ、もしかして、俳優さんかな。でも、カメラが回っている感じはないけれど……。
まぁ、とりあえず、聞いてみよう。道とかもわからないし。
怒られれば、即、退散しよう。
「あのーすみません。ちょっとお聞きしたいことがあるのですが」
俺はとりあえず気さくな感じで話しかけてみる。
見た感じは四十代ぐらいのおじさん。でも、背がめちゃめちゃ小さい。たぶん百四十ぐらい。近づかなければ子供と見間違えそうだ。
「うん?ああ、いいけど」
ほっ!
怒られなかった。よかった、よかった。
でも、なんか、少しなまっている気もするけれど気のせいか?
ちょっと、関西弁とも違う気がする。
「……それにしても、変わった格好だな、おめぇの着物。最近はやっているのか?」
はぁ?いきなりなに言ってんの、この人。どっからどう見ても高校の制服じゃん。しかも、俺の学校の制服は別に特別変わっている、というわけでもない。いたって普通の、ブレザーだ。
……ということは表には出さずに、「ははは。まあ、そんな感じです」と笑ってごまかした。
「ちょっと、ここがどこなのか聞きたくて。俺、あの崖の上の森……、竹林の向こうから来たんです。道に迷っちゃって……。後、どこに行けばコンビニとかがあるのかも聞きたくて。……ここ、Wi-Fiとか、つながっていなさそうだし」
「こんびに……?わぃふぁい?よくわからねぇけど、ここは平安京に決まってんじゃねぇか」
「——は?」
————今、なんて言った?『平安京』って聞こえたんだけど。
「へ、平安京?」
「ああ、平安京。まさか、知らねえのか?」
「いや、わかりますけれど。ちょっと頭が混乱して」
「?」
マジ?え、マジで、平安京?頭の整理が追い付かない。
頭の中で『平安京』という言葉がぐるぐるとまわっている。
本日二度目のフリーズ。
人間って、規格外のことが起こるとフリーズするんだな。
初めて知ったわ。
「え~と、すみません。ほ、本当に平安京なんですか?映画のセットとかじゃなくて?」
念のため、もう一度聞く。
「えいが?えいがってなんだ?」
本当に「映画」という単語がわからないような声で聴き返された。
思い返せば、さっきもコンビニや、Wi-Fiという言葉が理解できないような顔をしていた。
それに、崖の上から見た景色を思い出してみても、周りに家や、コンビニらしきものは、一切なかった気がする。
……平安京に目が行き過ぎて、周りのことなんて気にもしなかったけれど。
でも、少なくとも、嘘を言っているようには見えない。
第一に、もしも俳優ならこんな回りくどいことをせずに、速攻で撮影が止まるだろう。そして、俺は追い出されるはずだ。
「いえ。何でもないです。変なこと言ってしまってすみません」
なんだか、とても罪悪感が襲ってきた。なんでだ?
「まあ、ここは平安京と言っても、右京のほうだけどな。あまり栄えていない、パッとしねえ町だ。わからねえのも無理ねえ」
「右京……。ありがとうございます。色々教えていただいて」
「いや、役に立ったんならよかった。またどこかで会ったら、また話そうな」
「はい。是非」
そうして、俺はいったん元居た竹林の近くに戻った。
待て待て。いったん情報を整理しよう。
一 晴明神社へと向かうべく京都駅から歩いていた。
二 歩いていると、見知らぬ森へと迷い込んだ。
三 森林だったはずが、抜けたら、竹林へと変わっていた。
四 抜けた先は、正真正銘の平安京(右京)だった。
ヤバい。どーゆーことだ。こうして改めて起こった出来事を並べてみると、摩訶不思議なことが起こりすぎている。
……これって、俗にいう「タイムスリップ」じゃね?しかも、平安京。
え、マジで?
さっきは平然とした態度をとっていたけれど、あの時の自分の心の中は、もうぐちゃぐちゃだった。自分でも、もう、何考えているのかわからなくなるぐらい。
でも、次の瞬間俺はこう考えていた。
——————もしかして、かの「安倍晴明」に会える?
「帰り方とかじゃないのかよっ」と思った方、盛大に突っ込んでくれていいです。
いや、俺だって内心、わかってんだよ?帰らなくちゃいけないって。
でも、でも……やっぱりこんなところに来てテンションが上がらないはずないでしょ!
いや~さっきはテンションヤバすぎて顔に出そうだったわ。
———この時にはもう、俺はここが平安時代の平安京だということをすっかり信じ込んでいた。