2ー1 解放者の剣
「……来やがった」
少年ファイサルは絶望の呻きをもらした。村の方から人影が幾つか近付いてくる。人影は一定の間隔で横隊を組み、刀剣や弓を携えている。
村が奴隷狩りに襲われ、兄妹で砂漠の洞窟に隠れて数時間。この辺りの砂から突きだす岩場には洞窟が幾つもあり、隠れるにはうってつけだ。大人には近付かないように言われていたが、今はここに隠れるしかない。
しかし人影はまっすぐこちらへ、どんどん近付いてくる。
実は、薄っすらではあるが足跡が残っているのだ。少し注意すればわかる話だが少年にはわからない。風は弱く、足跡を消してくれない。
もっと洞窟の奥へ隠れなければと、少年は焦る。奥を振り返る。先程まで傍らで泣き疲れて眠っていた幼い妹が居ないことに気付いて愕然とする。
「リズ!」
少年が控え目に叫ぶも返事は無い。怖いほどの沈黙。己の呼吸と鼓動がやたらうるさい。不安のどん底に落とされる。
「リズ頼むから出てこい」
少年は洞窟の奥へおっかなびっくり歩いていく。やがて目が慣れてくる。思ったほど闇が深くないことがわかる。所々天井に穴があり、僅かだが光が漏れているのだ。
放心状態で目覚めた妹は、大した理由もなく奥へ歩いていき、そこで行者の亡骸を見付けた。壁に凭れて胡座をかいて、何かを祈るように威儀を正したまま、ほとんど白骨化していた。
妹にはまだ死の実感が無い。
恐怖を感じることもなく触ってみる。
それだけで亡骸は崩れ落ちてしまい、彼女を慌てさせた。なおそうと試みるができるわけもなく、しかし一振の剣が見つかった。亡骸が抱いていたらしい。少女が扱うには長く重い代物をなんとか引きずり出す。
剣は柄も鞘も黒尽くめ、装飾が一つもない実用的な拵えだ。両手を使って鞘から抜いてみると、自ら発光したのではないかと思う程、滑らかな刃の輝きが彼女を魅了する。
まるで水が流れるような刃紋だった。
「俺から離れるなと言ったろリズ!」
少年は妹を見つけて叱る。
「お兄ちゃん」
妹が抜き身のまま引き摺ってきた剣を少年に差し出す。
「どうしたんだよコレ」
「拾った」
少年は何とか持ち上げる。重い剣だ。刃紋のあまりの美しさに恐怖を忘れる。詳細を判るわけもないが、凄いことだけはわかる。戦えるかも知れないと希望が湧く。
兄妹が剣に見入っていると、ガチャガチャと鎧を鳴らして奴隷狩りの連中が四人洞窟に入ってきた。笑いと殺気を漂わせて少年を睨む。
「あんまり手間取らせるんじゃねえよガキが」
少年が慌てて剣を構える。
「ほう、これは凄いな」
「あーほらほら構えがなっちゃない。下手に使うと刃こぼれするだろ。もっと大切に扱え」
「うるさい黙れ!」
「怪我しないうちにさっさと渡しなよ?」
「お前が怪我したら母ちゃん泣くぞ?」
「今は違う理由で泣いてるかも知れんがよ」
「ゲスな野郎だぜ」
「がははのは」
1人の男が平然と間合いを詰める。
「ちくしょう!」
少年は担ぎ上げた剣を只力任せに振り下ろす。
男は慣れた動きで剣を合わせる。返す刃で簡単に反撃できる筈だった。
しかし、少年の剣は止まらなかった。
受け止めた男の剣もろとも大地まで斬り込んだ。パキンと軽い音を上げて折れた剣が転がる。
血煙があがる。驚愕の顔を硬直させて男が倒れた。
「嘘だろオイ!」
奴隷狩りどもの間に動揺が走る。頬を朱に染めて少年の目がギラリと光る。
「うわああああああああ!」
少年が滅茶苦茶に剣を振り回しながら突撃する。
「ちょ待てよ!」
鎧だろうと岩だろうと簡単に刃が通る。僅かな光を受けて虹色の反射光が壁面に走る。血煙すら輝いた。1分足らずで全てが終わり、肩で息をする少年だけが立っていた。
剣は刃こぼれ一つ無い。
岩影から覗く妹は、恐ろしさと美しさに心奪われ圧倒された。
少年は我に返ると顔の血潮を拭う。双眸に怒気を漲らせる。
「父ちゃんと母ちゃんを助けに行くぞ!」
「う、うん!」
「奴ら全員ぶっ殺してやる!」
その後、ファイサルは奴隷狩りに追い縋り夜襲を仕掛ける。
多くの村人を解放することができたが、父母とは結局再会できなかった。
最後まで抵抗を続けた父は何処とも知れない場所で殺されて、美人の母は何処とも知れず連れ去られた後だった。
後年、『解放の鷹』と呼ばれる盗賊団の頭目となるファイサルの若き日の1幕である。
彼は特筆する才能も無い普通の少年だったが、これがきっかけとなった。戦闘の経験を積み、仲間を集め、日々を必死に生きていくうちに、名声も獲得する。そうやって彼が18歳になる頃、ふと後ろを振り返ると数百人の仲間が付き従っていた。仲間たちも多く戦災孤児だったり奴隷狩りに家族を奪われたりと似た境遇だ。
仲間意識の強さと敵に対する徹底的な殺意が組織の強みとなり、近隣で最強の武装集団と目されるに至る。特に、宿敵たる奴隷狩りに対しては害虫を殺すように容赦無い。
彼は今日も敵を求めて戦い続ける。愛用の剣は『流水剣』と名付けられ、その切れ味は今も健在だ。熟達の剣技と併せて皆の憧れを集めた。
リズは美しく成長した。女ながらも盗賊団の幹部となり、仲間たちに理性と誇りを持たせることを目標とした。積極的に男たちの世界に介入してビシバシ指導した。
「たまには風呂に入ること!」
「はあ」
「そんな金無いよ」
「そこ! ハイ繰り返して!」
「「たまにはふろにはいること」」
「もっと大きな声で!」
「「たまには風呂に入ること!」」
「ナイス! あんたら今日からナイスガイ!」
「「あっはっはっは」」
ワガママな朗らかさと傍若無人な優しさが常にあり、心に傷を負ったメンバー皆に愛された。
しかし男尊女卑の著しい時代である。女は強くないと餌食にされる。乱暴しようとする仲間には鉄拳制裁で応じた。巷のように結婚相手を見つけてくれる親などいない少年ばかりで、情愛や性欲と上手く付き合えない者が珍しくない。そういう少年は下手をすると陰湿や過激に傾くものだが、リズはカラッと応じて相手を救う。
「ありがとう! お前は既に! 死んでいるぅ!」
フラれた少年は笑うしかない。
ファイサル19歳。
彼はようやくその奴隷商人の店を探し当てた。金持ちの身形で客のフリをして店主と話す。嫌らしく太った男。こいつが母親を奴隷狩りから買い、さらに売り飛ばしたのか。殺意が湧いて仕方無いが顔には出さない。リズを見て露骨に好色な視線を向けるので間に入る。
「それでその女はどこへ売ったんだい?」
「さて、もう古い話ですからな」
最初彼は柔らかい言葉で問い質したが、のらりくらりと埒があかない。誰もいないのを軽く確かめ、踏み込んでドスン!
「かはっ」
ぐったりとした男を袋に入れて拉致する。手慣れた所作で無駄が無い。店の者は誰一人店主の失踪に気付かない。まるで瓜でも捥ぐような簡単さで一線を越える。
さあて楽しい拷問タイムの始まりだ。こんな奴、どうせ死んだ方が世の中の為だから遠慮しない。彼の眼差しは暗く深い。
奴隷商は街の北へ2日、渓谷のアジトヘ連行された。途中目を覚まし袋の中でもがきだす。
ファイサルの他にも恨みを持つ仲間は多い。コイツは苛烈な拷問を浮け、殺されるだろう。
十数人の少年少女が見守る中、奴隷商が袋から出された。太った身体がよろよろ立ち上がる。既に汚れ、疲れている。
「こ、こんなことして只で済むと思ってんのか」
ファイサルは冷笑、ゾッとする声音で
「……もちろん、只で済まねえのはオメエだよ」と言った。
小さな窓には青空が見える。岩壁に掘られた1室で、机と椅子が1組。片隅に戸棚。尋問や拷問に使う部屋で、乾燥しても妙な臭いが残っている。
他に言葉を発する者はおらず、敵意の沈黙に囲まれて奴隷商の逃げ場は無い。その顔に怯えが走る。
「もう一度聞く。その女はどこへ売ったんだ?」