第89話 里帰り
「アイシャ、俺は人族の国へ行こうと思う」
3日3晩考えて、出した結論だ。アイシャの傍にいるという約束を破ってでも、人族の国へ行かないといけない。
「私はこの子達を置いて、一緒に行くことはできないわ」
「すまない、アイシャ。いつもお前の傍にいると誓った俺だが、どうしても人族の国へ行かないとだめなんだ。許してくれ」
アイシャの元を一時的に離れてでも真実を知りに行かねば、俺自身前に進むことができない。
「それなら私が一緒に行ってあげるわ。ユヅキは私がいないと何もできないものね」
「えっ、カリン。でもな、俺はな人族の国へだな、地球の事を聞きにだな……」
「里帰りしたいって事でしょう」
里帰り? 人族の俺が人族の国へ行くんだから、そうなるのか。
「あ、ああ、すまんな。カリン」
「そこは、ありがとうでしょう。いったい何をウジウジ考えているのかと思ったら、里帰りするかどうかを考えていたの? さっさと言えば良かったのよ」
単なる里帰りじゃなく、俺はこの世界にいる人類に会いに行くんだ。この何十億年も過ぎた地球で生き残った人類。いや生き残ったのでなく、俺と同じようにこの世界に飛ばされた人類か。
「師匠。またこの村に帰ってくるんですよね」
「ああ、そうだな。だが時間が掛かるかもしれないな」
単に移動だけなら数ヶ月かもしれんが、人族の国で何が待っているか分からない。帰って来れるかどうかも分からないんだ。
俺の言葉に不安を感じたのか、チセが俺にしがみついてきた。
「あたしはアイシャを残して、師匠について行く訳にはいきません。師匠、必ず帰って来て下さいね」
「チセ、大丈夫よ。ユヅキはちょっと里帰りするだけだもの。その後は私がちゃんと連れて帰るわよ」
「カリン。ユヅキさんの事を頼むわね。ユヅキさんもできるだけ早く帰って来てね。あなたはこの子達の父親なんですから」
地図を見るとここから南に馬車で25日程行くと、共和国と帝国との国境に着くみたいだ。その先は分からないが、南の端までは相当な距離があるはずだ。街道はあるだろうが魔の森を通過したり、見知らぬ土地を行くことになる。命の危険もあるだろう。
その先にある人族の国。それが国なのか、別の国の一部で人族が暮らしているだけなのかも分からない。どんな状況でも対応できるように考えて旅の準備をしたい。
まずは村長の家に行き、村を離れ人族の国へ行くことを伝える。
「そうか里帰りにのお。この村のことを気にする必要はない。今なら自警団だけで村を守る事ができるでな。気を付けて行ってくるといい」
「すまないな村長。帰るまで半年以上、もっとかかるかもしれない」
「そうじゃのう。帝国の向こうまで行くとなるとそれぐらいかかるかのう。じゃが今帝国との国境付近で揉め事が起きていると聞いたぞ」
村長の言うには、トリマンの町の商人が帝国になかなか入れないらしい。前回の買出しに行った村人が、そんな噂を耳にしたと言っている。
それでも俺は帝国を抜けて、何としても人族の国へ行かないといけない。これは絶対だ。
家に帰り旅の準備をしていると、タティナが家に訪れた。
「ユヅキが人族の国に行くとカリンから聞いた。あたいも連れて行ってくれないか」
「タティナは帝国出身で向こうの事詳しいみたいだし、一緒に行きましょうよ。ねっ、ユヅキ」
カリンが気を使って、タティナに話を持っていってくれたようだな。
「だがタティナ、いいのか。俺の個人的な事だぞ」
「ユヅキ達とパーティーを組んで仕事ができるなら、どこででも同じことだ。それにユヅキを見ていて人族に興味が出てきた。人族の国がどのような所か見に行きたい」
「そうか、それなら俺も助かる。一緒に来てくれ」
俺は村長の家で聞いた帝国の話をした。タティナが言うには、帝国では皇帝が代わるとか内紛がある時には、一時的に国境を閉鎖するらしい。
大概は完全に閉鎖することは無いそうだ。特定の商人とかは入れるので、徒歩で一緒に入る事もできるだろうと言っている。
「1年ほど前に里に帰った時は、普通に国境を越えて里に入れた。里でもそのような話は聞かなかったな」
帝国内で何かあったのかもしれないが、帝国から遠いこの村では情報は伝わってこない。
「ユヅキ。帝国で何かあるというなら、身軽な格好で旅をした方がいいだろうな」
基本的には乗り合い馬車での移動になるが、国境が閉鎖されていれば、そこから馬車で帝国内に入ることもできなくなる。
その時々に応じて、徒歩だとか馬を走らせるとか、移動方法を変えられるようにした方がいいそうだ。
「それに船で行けるなら、船で行った方が早いな」
「えっ、船で人の移動はできないんじゃないのか」
「何を言っているんだ。人族がいれば船に乗せてくれるはずだ。ユヅキも国を出る時、船に乗せてもらったのだろう」
そうなのか? 前に港町で聞いた時は、船での移動は厳しく制限されていると聞いていたが……。俺はこの世界で船に乗った事はない。だが人族の国を出てこの国に来たことになっているから、一度は船に乗った事になるな。ここは話を合わせておかないと。
「タティナやカリンが一緒でも大丈夫なのか、心配になってな」
「まあ、金は払わないとダメだろうが、あたい達ふたりぐらいなら大丈夫なはずだ」
タティナは旅の途中で船に乗ろうとして、人族がいないならダメだと断られたそうだ。カイトスの港町は近くだ。行って聞いてみてダメなら、そこから陸路に切り替えても大差ないか。
持っていく荷物は武器などは当然だが、野営ができるように寝たり料理ができる道具などを持っていく。できるだけ厳選して軽くなるようにしないとな。
食料などは町で買うが、非常食として干し肉や小麦粉などを用意しておく。背中に担げるような形にするが、あれこれ持っていこうとすると重くなってしまった。
「カリン、この程度の荷物なら持てるか?」
「ちょっと重いわね。ずっと持って歩くのは無理ね」
カリンは力が無いからな、俺達が分担して持たないといけないが長旅だ。無理して動けなくなっては元も子もない。
そんな旅の準備をしていると、チセが俺の部屋にやって来た。
「師匠……長い旅になるんですか?」
「そうだな、少し長くなるかもしれない。すまないがその間、アイシャを頼むな」
「師匠。これはあたしのダイヤの指輪です。師匠が持っていてくれませんか、あたしだと思って……」
やはり不安にさせてしまったか。
「それじゃ、俺のダイヤのイヤリングをチセが持っていてくれ。俺の代わりだ。俺はちゃんと帰ってくるさ」
ダイヤのイヤリングを渡して、涙を浮かべるチセの頭を優しく撫でる。チセと出会ってから、これほど長く離れることは無かったからな。寂しい思いをさせてしまうが許してほしい。
「師匠。あたし待っています……必ず帰って来て下さいね」
チセが部屋を出ていった後、カリンが入ってきた。
「あのね、ユヅキ。チセは私とアイシャにあなたとの結婚について相談していたのよ」
「えっ、俺との結婚をか?」
「年明けにでも打ち明けようとしていたみたいよ。ちゃんと帰って来て、受け止めてあげなさいよ」
「そうなのか、それで指輪を俺に……」
帰って来れないかもしれないと思っていたが、なんとしてもこの村に帰って来ないとならなくなったな。
俺は指輪をネックレスの鎖に通して首にかける。なんだかチセから勇気をもらったような気がした。




