第87話 ~とある世界~ 俺の世界
「……ちゃん、お兄ちゃん。もう朝だよ」
ここはどこだ? 誰かが俺を呼んでいる、懐かしい声だ。
「うんん……ん。陽香里か。今日は日曜日だろう」
「何言ってんのよ。今日は美宇と一緒に水族館に連れて行ってくれるって言ってたじゃん」
「ああ、そうだったな」
先週オープンして、人気になっている水族館に連れて行ってくれと妹達にねだられて、今日行くと約束していたな。
「おはよう、お兄ちゃん。一緒にご飯食べようよ」
「今日は美宇がご飯作ってくれたのか」
「うん、そうだよ。ほら、お姉ちゃんも座って、座って」
「父さんと母さんはどうしてる」
「お父さんは、今日非番でまだ帰ってないわよ。お母さんは昨日遅くに帰って来たからまだ寝てるわ」
「でも今日の夕食は外食しようって言ってたよ。後で携帯すればいいんじゃないかな」
朝食を終えて出かける準備をする。外は少し寒いようだな、厚着していくか。
しかし休みの日のこんな朝早くに出かけるなんて、ここ最近無かったな。まだ9時過ぎじゃないか、鐘3つだぞ。3つ? 3つって何だっけ。
「ほら、お兄ちゃん。早く、早く」
妹たちに急かされ、自動運転の車に乗り込む。今日は寒くエアコンの効きも悪いな。父のお下がりでもう古い車だ、買い替えたいが俺の給料ではまだ無理か。
「陽香里。俺じゃなくても友達とかと一緒に行けばいいだろう」
「美宇がお兄ちゃんと一緒に水族館行きたいって言うから、私がチケットを取ってあげたの。そのついでよ、ついで」
「本当はね、お兄ちゃんが休みの日は寝てばっかりだから、久しぶりにどっか行きたいねって話してたの。それで人気の水族館に行こうってなったんだよ。ねっ、お姉ちゃん」
「最初に水族館行きたいって言ったの美宇じゃん。私は卒論があるから忙しいけど、付き合ってあげてるんだからね」
まあ、たまにはいいか。昔から両親は忙しくしていたからな。こういう家族サービスは俺の役目だ。
「おおっ、この水槽でかいな」
「ほんとね、ジンベイザメが3匹も泳いでいるわよ」
「ねえ、ねえ、お兄ちゃん。あそこの大きな魚、マンタだよね」
「そうだな。あれは、ナンヨウマンタのメスだな。こいつもでかいな~」
妹ふたりに手を引かれて、色んな水槽を見て回る。
深海の生物や、南極に住むペンギンなんかも見ることができた。
「面白かったね、お兄ちゃん」
「ああ、こんなに大きな水族館だとは思わなかったな」
屋内にあるフードコートの椅子に腰掛け、おしるこを注文し食べる。
「お兄ちゃん。そういう甘い物、好きよね。大の男がそんなんでいいの」
「何言ってるんだ。陽花里だってさっきペンギン見て、子供みたいにはしゃいでたじゃないか」
「だ、だってあれはカワイイもの。女の子なら許されるのよ」
「お姉ちゃん。女の子って言っても、来年卒業してもう社会人になるんだよ。そんなんでいいの?」
「うるさいわね。まだ学生なんだからいいのよ」
陽花里も22歳だ。まだ結婚は早いにしても、恋人ぐらい家に連れて来てもいい歳なんだがな。
まあ、俺が知らないだけで恋人はいるのかもしれないが。あまり俺の世話ばかり焼かずに自分の将来の事も考えてほしいものだ。
「あっ、お母さんから連絡が来たよ。今日の夕食はイタリアン料理でも食べに行きましょうだって」
「それはいいな。みんなでレストラン行くのも久しぶりだな」
「そうよね、お兄ちゃん。いつも外で食事して帰ってくるものね」
「あれは営業で仕方がないんだよ。俺も好きでやってるんじゃないんだ。まあ、お前も働くようになったら分かるさ」
世の中、そんなに甘くはない。自分の好きな事だけをして生きてはいけないんだ。あれ、そんな生活のことを何て言うんだっけ。
夕方。父さんと母さんと待ち合わせして、予約したと言うレストランに向かう。
「どう、ここのお魚料理美味しいでしょう」
「ほんと美味しいわね。さっきのカルパッチョも美味しかったけど、この貝とお魚の料理もいいわ」
久しぶりに家族全員での食事だ。陽花里も美宇も美味しい料理を目の前にして、はしゃいでいるようだ。
「お母さん、よくこんなお店知ってるよね。いったいどこで見つけてくるの」
「職場の同僚に詳しい子がいて、聞いたりしてるのよ。ユヅクンもこんな料理好きでしょう」
「ああ、確かに美味いな。そういえば俺の知り合いにも、美味い魚料理の店を知っている娘がいたな」
そうだ、港町で何件もの美味い店を知っていたな。その娘の名は何と言うんだったか……。
「夢月、お前最近生活リズムが乱れているようだが。休みもしっかりとれてないんじゃないか」
「父さんだって夜勤とかあるじゃないか。俺だって仕事なんだよ」
「お父さんもユヅクンの体の事を心配してるのよ。あまり無理はしないでね」
母さんに心配を掛けたくはないが、仕方がないんだよ。そういう職場なんだから。
「でも今日はお兄ちゃんと一緒に水族館行けて面白かったわ。また来週もどこか行きましょうよ」
「いや、いや。毎週は疲れるよ」
「ねえ、お兄ちゃん。前みたいに山に登って星を見に行きたいな。またお星さまのお話聞かせてくれないかな」
そういえば最近、星を見てないな。接待で夜に街中を歩く事もあるが、ここ何年も夜空を見上げることなどしていないぞ。
今日は1日中歩き回って疲れたな。酒も入っているし朝までぐっすり寝れそうだ。
明け方、何か騒がしい。何だ。
「お兄ちゃん!! お母さんこっち来て、お兄ちゃんが……」
遠くで誰かの声が聞こえる。これは女神様の声か?
「あなたは・・ ここではない世界・・ で生きるのです。 今のわたしには・・」
あれ、なんだ、またこの感覚だ。暗い中、星のような光が飛び去って行く。




