第79話 チセのレンズ1
「師匠。そろそろレンズを作ろうと思うのですが」
「おおっ、やっと作れるようになったのか」
「はい、材料も揃ってきました。それと物見やぐら専用に遠見の魔道具があった方が便利ですので」
チセはいつも単眼鏡を持ち歩いている。そういえば時々村の自警団が森を監視するときに貸していたな。
「それなら双眼鏡の方がいいな」
やぐらに常備するなら双眼鏡を設置した方がいい。
「ソウギャウンギュウ?」
こちらでは発音が難しいか。現物も見たことが無いだろうしな。
「遠見の魔道具を2個くっ付けた物でな、両目で見るんだ」
「これを2個ですか……遠見の魔道具の双子ちゃんですね」
まあ、それでいいだろう。
双眼鏡を作るとなると、全く同じ焦点距離の物を2つ作らないと駄目だ。難しくはなるが、せっかく作るなら挑戦してみてもいいだろう。
「でもまずは、肝心のレンズ作りからですね」
レンズを作ったことのある職人は、チセの育ての親であるザハラだけだ。その際の材料の見本と、レンズ作りの道具はチセがもらい受けている。
今まで炉がなかったし、材料がなかなか揃わなくて諦めていたのだ。
朝からガラス炉を立ち上げて、レンズの元となるガラスを作っていく。無色透明で気泡の混じっていない均一なガラスが必要となってくる。
「ガラスの材料はこれで合っているのですが、完全に透明にするのが難しいですね」
今までガラスの原料となる砂は村の川砂を使っているが、今回は港町の浜から持ってきた砂を使うそうだ。後はそれに混ぜる灰と白い石の粉などだが、これも吟味して良い物を使うと言っている。
それでも、ほんの少し不純物が混じって僅かに青や緑の色がついてしまう。何度か溶かして不純物を失くして透明なガラス材に仕上げていく。
「これでどうでしょうか」
厚めの板ガラスを作り横の断面から覗いて、60cm程のガラスを通して景色を見てみる。まだ気泡は混じっているが、色の無い透明なガラスになっているな。
「これなら大丈夫じゃないか。やっぱりチセはすごいな」
この透明なガラスを砕いてレンズ用のガラス材とする訳だが、この世界、これほど透明なガラスを作れる職人はそういない。トリマンの職人に頼んでも、無理だと断られたからな。チセの技術には驚かされる。
ガラス材は不純物が混じらないように、新しいルツボに入れて再度溶かす。気泡のない均一なガラスにするためには、溶かす温度が重要になってくるそうだ。
その見極めはチセに任して、俺は炉に炭を入れたりふいごの操作などを手伝う。熱したガラスを型に流し込んで、レンズの元となる円形で厚みのあるガラス板が何枚も出来上がった。
「何とかできましたね。後はゆっくり冷やしてから明日もう一度確認しましょう」
冷やす時間も他のガラスよりはゆっくりと冷やすようだが、今までのガラス職人としての経験で温度や時間を決めているそうだ。ガラス職人としてのチセは、既に一流の技術を身に付けているようだな。
「ありがとうな、チセ。これでレンズができるなら望遠鏡も夢じゃなくなる」
「いえいえ、あたしのためでもあるので。お義父さんの技術に迫りたいです。いずれは師匠の言うボウエン何とかも作りましょうね」
ガラスができれば、明日からレンズ磨きを始めるのだが、チセのお義父さんが作った道具を使ってレンズの形に削っていく事になる。
「この道具の使い方は教わったのか?」
「はい、この下の台にガラス板を固定して回します。上の棒に取り付けたガラスとの間に研磨剤を入れて、このように擦り合わせながらガラスを削っていくんですよ」
中心位置がずれないようにガラス板どうしを削る。下の台に固定したガラスが凸レンズになるようにできているな。
「これは球面レンズを作る道具だな」
「キュウメン? レンズですか」
「ああ。一般的な形で多く作られている物だから、うまくできる確率も高いな」
レンズの曲面は放物面や性能のいい非球面もあるが、製作が難しい。手作業なら一番簡単な球面になるだろうな。
「あたしの持っている遠見の魔道具もその球面レンズなんですね」
「ああ、この道具で作られた物なら、そう言う事になるな」
だが球面の1枚レンズだと色収差があり、周辺が歪んだり色がついてぼやけたりする。実用上問題ない程度だが、ちゃんとした物を作りたい。
今回は凸レンズと凹レンズの2枚を組み合わせたアクロマートレンズを作るつもりだ。そのためにも基本となる球面型の凸レンズを作る技術を身に付けたい。
レンズを磨くには、下の丸い皿のような台を水平に回転させないといけない。しかしこれを手だけで回すのは大変だな。何か道具を作るか。
「コーゲイさん。ろくろを貸してほしいんだが」
「ユヅキか。ろくろなら色んなのがある。これはあまり使ってないから持って行ってくれていいぞ」
古いろくろだが、軸受けに油を塗るなど調整してもらった物を気前よく貸してくれた。このろくろを使って、レンズ作りの回転台を使いやすい物にする。
「師匠。この石のろくろと、レンズ用の回転台を革ベルトでつなぐんですね」
「そうだ。これで安定した回転台になるはずだ」
ろくろの台の上には重しとなる岩を括り付けている。ろくろを回すと、それがフライホイールとなりしばらくは回り続けてくれる。
「時々は手でろくろの方を回さんといかんが、これならレンズの研磨に集中できるぞ」
これでダメなら、水車に繋ぐことも考えたが安定して回ってくれているな。
明日からは本格的なレンズ研磨の開始だ。




