第35話 配管工の少年
風呂釜に必要な接着剤を買うため、配水管を専門に扱っている工房へと赴く。
「これが接着剤です。温めて柔らかくして使ってください」
その接着剤は樹液から取った樹脂のようで、素焼きの器に入っていた。聞くとこの器を火で直接温めて、柔らかくなった樹脂を接着剤として使うそうだ。
説明を聞いていると、奥で怒鳴り合う声がしてふと工房の中を見る。獣人の少年とここの親方らしきドワーフが何か揉めているな。なんだ?
「親方。オレをここで働かせてくれよ」
「お前のような未熟なやつはダメだ。お前ドワーフでもないだろうが」
「オレの父ちゃんはドワーフだ。ちゃんと修業をつけてもらっているからすぐ働ける」
「ああ、お前のおやじの事はよく知っているよ。お前達を置いてこの町から逃げ出した奴だ」
「なんだと、この野郎! オレの父ちゃんはそんなんじゃねぇ~」
少年がドワーフの親方に殴りかかったが、あっさり取り押さえられてしまった。
「このガキが! そうやってすぐ手を上げやがって、衛兵に突き出してやる」
どうも険悪な雰囲気だな。しかし年端もいかぬ少年を衛兵に突き出すのはやりすぎじゃないか。
「おいおい、こんな子供相手にそこまでやらなくてもいいじゃないか」
「何だ、お前は!」
「ここに来た客だが、少し大人げないだろう。他の客も見てるぞ」
親方は客の目を気にして、掴んでいた少年の腕を離した。
「大体、こいつがしつこいのが悪いんだろうが」
「オレをここで働かしてくれと言っただけだ。それなのに父ちゃんの事を馬鹿にしやがって」
「なんだとこの野郎!」
「ほらほら、子供相手に見苦しいぞ。少年も喧嘩腰になるな」
「お前には関係ないだろう!」
俺に向かって殴りかかってきた。そのパンチを躱して避ける。
もう一度パンチを繰り出すが軽いサイドステップで躱す。こんな子供の攻撃など当たるはずもない。
「この少年を預かる。親方、それでいいか?」
「そんなガキ、さっさと外に放り出してくれ」
少年を小脇に抱えて店の外に出た。ジタバタと殴ってくるが、痛くもかゆくもない。
「おい、少年。工房の親方に手を上げちゃだめだろう。働くことができなくなるぞ」
「あいつが悪いんだ。何度も働かしてくれって頼んでも、ドワーフじゃないからダメだって言って」
半泣きの少年は、豹の獣人で茶色い斑点のある短い髪をしている。まだ成人もしていないようだ。12、3歳といったところか。
「あそこじゃなくても、他でも働けるんじゃないのか」
「他の工房も行ったけどダメなんだ。でもオレ、配水管の事しか教わっていないから他の仕事もできないし。でも姉ちゃんだけじゃ食っていけないんだよ。このままだと母ちゃんが死んでしまう」
さっきも言っていたが父親はいないようだ。姉弟と母親だけのようだが、その親も具合が悪いらしいな。少年を地面に降ろして事情を聞いてみる。
「お前のお母さんは、病気か怪我をしているのか?」
「よく分からないんだ。足を怪我して働けなくなって、その後だんだん弱っていってるんだよ」
少年は思い詰めた表情で、母親の様子を訴えてくる。どうも切羽詰まった感じだな。こんな子供では何もできないだろう、少しは手助けしてもいいか。
「俺は治癒魔法が使える。お前のお母さんを診てもいいか」
「おじさん、お医者様なのか……。でも、オレの家、金無いし……」
「医者じゃないから、金などもらわんよ。それにおじさんでもない。俺はユヅキという」
「オレはネクスっていうんだ。それなら早く家に来てよ。ユヅキおじさん」
だからおじさんという歳ではないんだがな。せめてお兄さんと呼んでほしいものだ。ネクスは治療してもらえると聞いて急に元気になり、俺の手を引いて家に案内してくれる。
案内された家は木造の平屋で、お世辞にも綺麗な家とは言えない物だった。スラム街という程ではないが経済的に苦しい人達のようだ。
「ネクス。帰って来たのかい」
「母ちゃん。お医者様を連れて来たよ」
「お医者様?」
「ネクスのお母さんだね。そのまま楽にしていてくれ」
粗末なベッドの上で横になる豹族の母親、痩せてやつれた顔をしている。
入って来た俺を見て、かなり警戒しているようだな。当たり前か、子供が見知らぬ者を連れて来たんだからな。
「家にお金はありません。何が目的で来たのか知りませんが、帰ってください」
「俺は医者ではないが、白銀の冒険者だ。治癒魔法が使える」
胸元のプレートを見て、母親はけげんな顔をする。胡散臭いのは変わらんだろうが、冒険者としての身分保障はある。白銀ともなれば街中では上位の冒険者だ。
「冒険者? お金を出せばなんでもするという……。この家にお金はないんですよ」
「分かっている。この子と配水管の工房で出会って、あんたが死んでしまうと聞かされてな」
「また、この子は……母ちゃんは大丈夫だよ」
見る限り顔色は悪く、衰弱していることは確かだ。死ぬ死なないは分からんが、このままでは危ない事は分かる。経済的にも切迫しているようだし、薬なども買えないようだな。
「足に治癒魔法をかけたい。どうだろうか?」
「母ちゃん、この人に治療してもらってよ。お願いだよ」
必死に願う息子に促されて、怪我した足を見せてくれた。
光魔法をかけながら患部を見ると、内出血した跡がある。骨折もしていたようだが、ほぼ治っているようだ。それよりも体調自体がかなり悪そうだ。内臓の疾患か? 水瓶を見たが少し濁っていて、底に泥のような物が沈殿している。
隙間風の吹く部屋は、夜になると冷え込むような環境だ。俺はネクスと共に家の外に出て言い聞かせた。
「お前のお母さんの足はもう治りかけている。だが水や食事といったものが大事だ。水はどこから汲んでいる」
「あそこの溜め池からだ。オレがいつも汲んでいる」
見るとやはり不衛生だ。他には無いかと聞くと、遠くの公園の水があると言う。家にあった水瓶の水を捨てて、公園の水飲み場まで行き水を運んでやった。
この距離、子供では少し辛いだろうな。
「ネクス、明日の昼頃また来るよ。それまでお母さんには柔らかい食べ物を食べさせてあげなさい」
2食分程度のお金を渡して俺は一旦ここを離れ、カリンが待つタイル工房へと向かった。
「何してたのよ。村の人は先に宿屋に行ったわよ」
「すまなかった。一緒に宿に行こう」
宿で今日の出来事をカリンに話す。
「あんたね。そんな子供はこの世の中に大勢いるのよ。どうするつもり、その子だけを助けるっていうの?」
分かっている。だが手を差し伸べないと悪くなる一方だ。こんな俺でも少しは助けになれるはずだ。施し気分で助けようとした訳じゃない。だが……。
「お金をあげたんだって。次もお金目当てであんたに寄ってくるかもしれないのよ」
その場合またお金を出すのか、それとも突っぱねるのか。どちらにしても中途半端だ。俺の行動は偽善ではないのかと、カリンは言いたいのだろう。
たまたま俺が見かけた親子だけを助ける……それは不公平な事なのか? 他の子ども全てを助けなければ、ネクスの母親を助けてはいけないのか? この世を救う正義の味方じゃないと、あの親子の手助けをしてはいけないのか? どうするのが正解なんだ?
「カリン……俺は今日見た親子を救いたい」
ぽつりと呟く。
「そう……それなら私もその親子を助けるよう努力するわ。もし助けられなくて恨みを買うようなことになっても、私も同じように恨まれましょう」
「そうか、すまない。カリン」
「そういう時は、ありがとうって言うのよ」
「ああ、ありがとう。カリン」
カリンが優しく、背中から抱きしめてくれた。




