第164話 アルヘナ暗部
「お呼びでしょうか。御領主様」
「お前らに挽回のチャンスをやる。あの犯罪者を殺してこい」
「犯罪者と言いますと、人族の男でしょうか?」
「そうに決まっておるだろうが。お前らがちゃんと始末しておれば、こんな事にはならなかったのだ」
「いつ行けばよろしいでしょうか?」
「今夜だ、今夜行って殺してこい。もし失敗すればお前達の命はないものと思え」
「了解いたしました。御領主様」
この人に仕えて、このような事ばかりだ。思い付きで命令してくる。前も急に人族の仲間を誘拐しろと命令してきた。どこかの貴族がやった失敗の肩代わりなのか恨みなのか、そのようなことで我々が動かされる。
具体的な内容の指示もなく命令だけだ。我らも事前に色々と情報収集はしているが、それなりの準備がなければ、成功するのは難しいというのに。
我らが女ばかり3人ということで最初から侮られていた。性奴隷とでも思ったか、そちら方面の要求もしてくる。2人にはいつも苦労を掛けている。我らは情報収集のために女を武器として使うのであって、領主の快楽のためではない
そういえば人族に接触したノインが、耳やシッポは触るのに事に及ばなかったと嘆いていたな。あの男はよく分からん奴だ。
「オリビア様、御領主様は何と」
「人族の暗殺命令が出た。今夜だ」
「これはまた性急な。さっきまで我らは軟禁状態にあったというのに」
誘拐を失敗した我らを、人目に付けぬように屋敷から出る事を禁じられた。裁判も終わり外に出れば、今度は人族と戦闘状態にあると言う。
「今回、失敗すれば我らの命は無いそうだ。成功させねばなるまい」
「はっ。我らふたりはいつでもオリビア様と共に」
このふたりとは、幼い頃より鍛錬してきた仲。同じ隊となりここ何年か任務を熟してきた。ここの領主に派遣されたのが運の尽きか。これが終われば転属を願い出るのも良いかもしれんな。
さて、我らも仕事にかかるか。先ずは状況を聞かねばな。第1兵団長が言うには人族は東門を出た左手、崖の岩陰に馬車を停めそこを拠点としているらしいな。崖の上にひとり警戒している者は見えるが、馬車はここからでは見えない。
「やはり近くまで行かないと、ダメなようだな」
「門を出てすぐに林に入り、後方に回りましょう。獣にさえ注意すれば接近は可能です」
「襲撃は、夜半に警備が交代した後、寝静まった時でよろしいでしょうか」
「ああ、それまでは相手の様子を覗う。準備でき次第、出るぞ」
「はっ」
陽が落ち暗くなった門を出て林に入り回り込む。無事奴らの馬車が見える位置にまで来る事ができた。
馬車の向こう側にある高台の位置には、焚火をし夜間警戒する者がひとり。
拠点となっているのは、2頭立ての中型の幌馬車。4人の寝泊まり以外にも、武器や食料なども充分積み込める大きさだ。
2頭の馬は外され、幌付きの荷台部分の周りには侵入防止用の土壁を張り巡らせているようだな。だがあの程度の土壁、我々であれば飛び越えるのは容易だ。
「オリビア様。崖の上で夜間の警戒をしているのは、ドワーフの娘のようですが、先ほどこちらを見ていたように思えます」
「この距離、この暗がりでこちらを見つけるのは不可能だわ、スレイルの見間違いじゃなくて」
「いや、あのドワーフは遠見の魔道具を使っている。これ以上の接近は危険だな。このまま監視が交代するのを待とう」
夜半、監視を交代したのは弓使いだ。すると馬車の中は人族の男と魔術師か。そういえば人族の男はドラゴンを飼っていたはずだが。
「ドラゴンの姿が見えないようだが」
「崖の上で監視している弓使いの横の木にとまっています」
なるほど、一度誘拐された者に護衛を付けたか。小さいとはいえドラゴンだ。魔獣登録の際、炎を吐く姿を見たがあれは強烈だった。我らが身に着けている、魔法耐性のあるこの隠密用の装束で防ぐことができるかどうか。
誘拐の際には、近接戦闘のできない一番弱い者を狙った。あの時は計画通り人族と魔術師を引き離せたが、今回はその2人を相手にしないといけない。巨獣を倒したというふたり、正面からやり合えば敗北するのは必至。
「馬車の様子はどうだ」
「変わりありません」
「ここからではよく見えないが、馬車の下に敵が潜んでいる可能性がある。その対処にノイン」
「はっ!」
「スレイルは、私と共に馬車の中の男と魔術師を始末する」
「はっ!」
「監視に気づかれる前に事を終えるぞ。その後は3方向に散開して帰還する。抜かるなよ」
素早く馬車を防御する壁まで進む。侵入を防ぐために、魔法で堀を掘りその土を使った土の壁か。
人の背丈以上あるが、1人が足場になり1人を中へ、1人は壁の上に残し残る1人を引き上げて3人とも侵入に成功する。辺りを警戒するが、伏兵はいないようだな。
崖上の弓使いに気づかれぬように、音を立てず慎重に馬車へと近づく。ここからは時間勝負だ。手早く事を終わらせるぞ。ふたりに目配せし行動を起こす。
馬車の下には木の箱があるが、それはノインに任せて、我らふたりは馬車の後ろの入り口の幌を切り裂き、中に乗り込む。
だが中には誰もいなかった。
「罠だ! 散開しろ!」
馬車の中は暑く重い空気、人の姿はなく木箱だけが置いてある。我らの動きは見破られていたのか? いつからだ?
馬車を飛び降りたが、そこにはノインが地面に倒れ込んでいた。どこから攻撃された!? すると横にいたスレイルが私に寄り掛かる。
「オリビア様……」
「スレイル、どうした!!」
体が麻痺したかのように倒れ込む。毒矢か! だが我らに毒は通じないはずだ。毒耐性の訓練は受けている。
急にめまいがした。手足がしびれて意識が遠のく。何だこれは! 一体何が私の身に起こっている!?
この場から脱出する事もできず遠のく意識の中、私は崖に立つ人族の男を見つけた。その目は赤く光り、背中に黒い翼を持ったその姿は、昔話に出てくる人族そのものではないか。
私はこんな怪物に戦いを挑んでしまったのか。後悔の念と共に意識が薄れていった。
◇
◇
「ユヅキさん、上手くいったみたいね」
「ああ、キイエもアイシャの護衛、よくやってくれたな。偉いぞ」
「キーエ」
肩にとまるキイエの頭を撫でてやる。
「アイシャとキイエはここにいてくれ。チセ、すまないな。あの土壁を2ヶ所ほど壊してくれ」
「はい、師匠。でもあの3人は何もしてないのに、なぜ倒れたんですか?」
「あの馬車の周りは一酸化炭素……目に見えない毒の空気でいっぱいになってるんだ。それを吸っちゃうとああなってしまう」
「えっ、私達は大丈夫なんですか?」
「壁を壊して、中の空気を入れ替えれば大丈夫さ」
チセに壁を壊してもらい、馬車の周りで倒れている暗部の3人を縛り上げる。
◇
◇
「姉さま……。オリビア姉さま。気がつかれましたか」
「ソニアか、ここはどこだ」
「ここは、冒険者ギルドの地下室です。スレイルとノインも一緒です」
「……私達は、あの男に敗れたのだな」
「オリビア姉さま、もうこれ以上領主の側に付くのは、止めていただけませんか」
「そうだな、実際に戦って人族の……あのユヅキという者の恐ろしさが分かったよ。我らが束になっても勝てる気がしない」
オリビア姉さまは一族の中でも優秀で、若くして隊を率いる長としてこの地に派遣されている。それを生きたまま捕らえるなど至難の業。私の願いを聞き届けてくれたユヅキ様には感謝の言葉しかない。
しかし任務に失敗した姉さま達には、一族の制裁が待っている。
「族長には、私からも取り成します。一度里に戻っていただけますか」
「ユヅキ氏に私達の助命を願ったのはソニアなのだろう。今回失敗すればどのみち無かった命だ。お前に預けよう」
「ありがとうございます。姉さま」
人族には手を出すなと、我ら一族には古き言い伝えがある。それを無視し命令したのは領主の方。事の顛末を説明すれば、族長も許してくださるはずだわ。
ユヅキ様には借りができてしまった。私にできる事は何でもしよう。姉さまの命を救ってくれたあの方には恩を返さないと。




