第106話 アルヘナへの帰還
1ヶ月ぶりの我が家か。この世界の1ヶ月は45日。前にこの町を出た時はちょうど良い気候だったが、今は少し冷たい風が吹いている。
「チセ。今日からここが俺達と一緒に住む家だ」
「2階建ての大きな家なんですね」
家族向け用の家としては一般的だが、チセのいた町の工房と併設された平屋の住宅からすると大きいかな。
「チセの部屋は2階の私の隣よ。ついて来なさい」
カリンがチセを2階に案内する。俺も荷物を降ろして、かまどに火を入れてお茶の用意でもしようか。
こうしてアイシャとふたりテーブルに座ってお茶を飲むと、ホッとするな~。
「ああ、そうだ。チセ用の椅子が無いな」
「そうね、早速買いに行かないとダメね」
「このテーブルも4人だと少し狭くないか。ついでに買っとくか」
善は急げだ。まだ陽の高いうちに買いに行くか。チセを呼びに2階に上がろうとすると、チセが勢いよく階段を降りて来た。
「師匠、あたしの部屋すごいです。広いし机も椅子もベッドもあたし専用のがありますよ」
まあ、元々は下宿人用の一人部屋だからな。
「気に入ってくれたか。今から食堂のテーブルとチセの椅子を買いに行くから、一緒に行こうか」
「はい!」
元気に返事するチセを連れて、俺達は街中を案内しながら専門店街の家具の店に行く。
「この町も、高い建物が多いですね」
「隣町のスハイルと同じぐらいの規模の町だからな。人も沢山住んでいるぞ」
ドワーフの町しか知らないチセには、何もかもが珍しいだろうな。
アイシャが「あっちが教会でね」などと説明しながら街中を歩いているうちに、目的の家具店に到着した。
店には色々な家具が置いてある。そのうちチセも自分の部屋に置く家具がいるだろうが、今は1階の椅子とテーブルだ。
家にあるテーブルと、同じ大きさで同じ高さのテーブルはすぐ見つかったが、チセに合う椅子がなかなか見つからない。
「チセって、中途半端に小さいからね。早く私みたいに綺麗な大人に成長しなさい」
「カリン、なに言ってんですか。あたしはドワーフの中では標準の身長なんですからね。カリンも高い方じゃないでしょう。胸も小さいし」
「な! 私はまだまだこれから成長するんだからね」
まあ、カリンは放っておいて、椅子をどうするかだが……。
座面の高い椅子を買っておいて職人の所で足を切ってもらうかな。木工職人のグラウスなら何とかしてくれるだろう。
さて家具は買ったものの、このテーブルをふたりで持ちながら家まで運ぶのは歩きにくいな。荷車を持ってくれば良かったか。
「大丈夫ですよ。これくらいならあたしひとりで運べます」
チセがテーブルを肩に担いでひとりで運んでいく。さすがドワーフ族だな、力が強いし肩にある鱗で痛くもないようだ。
ただ見た目の小さな女の子が、大きなテーブルを肩に担いで街中を歩いていると、さすがに目立つな。周りの獣人達が驚いた顔で振り返っている。
家に着いてテーブルを運び込んだ後は、チセの椅子を調整しに行かんとな。
「アイシャ達は、夕食の準備をしておいてくれるか」
「ユヅキ、ユヅキ。オフロ沸かしてもいいかな」
「おお、そうだな。久しぶりに風呂に入れるな。カリン、頼んだぞ」
「うん。それじゃいってらっしゃい」
俺とチセが椅子を持って、グラウスの工房に向かう。
「ねえ、師匠。さっきのオフロって何ですか?」
当然ドワーフの町にも風呂は無いからな。まあ、説明するより見た方が早いな。風呂は後のお楽しみという事でいいか。
そうだ石鹸を買っていたな。俺も風呂に入るのが楽しみだ。
「グラウス、居るか?」
「お~、ユヅキじゃないか。ドワーフの町に行ってたんじゃないのか」
「ああ、今日帰って来たばかりだ」
「すると後ろのお嬢ちゃんは、そのドワーフの子か?」
「ユヅキ師匠の弟子でチセと言います。よろしくお願いします」
「ほほう、ユヅキのね~。で、何の師匠なんだ?」
まあ、そう言うだろうな。俺にもよく分からん。
「今日はこの椅子をチセに合うように、高さを調整してもらいに来たんだ」
「それぐらいならお安い御用だ。今すぐにしてやるよ」
テーブルの高さを言って、チセに座ってもらい足を切る長さを決める。
グラウスはのこぎりで4本の足を切っていくが、さすがに手際がいいな。
「どうだい、お嬢ちゃん。グラつかないかい」
「はい、大丈夫です。すごいですね」
チセが、やたらと感心していたな。その後、グラウスは仕上げにヤスリをかけてくれる。
「今から使うんだろう。足先にニスを塗らんといかんのだが乾くまで半日以上かかる。明日朝にまた持って来てくれんか」
「分かった、急に来てすまなかったな」
「いいってことよ。じゃあ、また明日な」
俺は料金を払ってグラウスの工房を後にする。その帰り道。
「あの方、いい腕していますね。簡単に切っていましたが、椅子の足を全部同じ長さでまっすぐ切るのはすごく難しいんですよ」
腕のいい職人だとは思っていたが、ドワーフ族に褒められるとは、やはりグラウスは一流の職人のようだな。
家に着くと既に夕食ができていた。2卓並べたテーブルを囲んでみんなで食事だ。
「いただきます」
「いただき……?」
「チセ、この家での食事前の挨拶だよ。多分この家だけだがな」
「人族の挨拶ですか? 何か意味はあるんですか?」
「まあ、色々な意味があるんだが、食材になってくれた生き物の命を頂きます、とか食事を作ってくれた人への感謝とかだな」
「へぇ~、面白いですね」
まあ、この世界にはない考え方かもしれんな。この家ではこの挨拶が定着しているから、チセにも同じ事をしてもらってもいいんだが。
「ドワーフ族のお祈りなんてものがあったら、それでもいいんだぞ」
「工房で大事な物を作る前にお祈りすることはありますが、食事の時には特にないですね。ですのであたしもその挨拶をしますね」
再度「いただきます」と言って、食事を始める。
「チセ、別に全部ユヅキに合わせなくってもいいんだからね。ユヅキ時々変なことするし、意味分からないこと言ってるから」
「うるせえぞ、カリン。俺の国の習慣なんだからな。風呂なんかはカリンも喜んでるだろうが」
「まあ、あれはね。気持ちいいしね」
そうだろ。前の世界の習慣でも、いいものはいいんだからな。
「そのオフロって何ですか? あたしがお店に行く前にも言ってましたよね」
「オフロはね、お湯に浸かる水浴びなのよ。体も綺麗になるし、温まってホッカホッカになるの。ご飯食べたら一緒に入りましょうね」
「お湯の水浴び?」
「一緒に入れば分かるわよ。私達が先でいいんでしょう、ユヅキ」
「チセと3人一緒に入ればいいさ。買ってきた石鹸もあるし綺麗になるぞ。それよりもカリン、ちゃんと風呂沸かしたんだろうな」
「フロ釜に火を入れたままだわ。今頃沸いてるわよ」
カリンにはあまり任せられんな。後でちゃんと見とかないと。
夕食後、風呂に手を入れてみたが案の定、薪が足りなくて少しぬるいようだ。
「追い炊きをするから、アイシャ達は少ししてから入ってくれ」
アイシャ達はぬるめのお湯が好きだから、少し火を入れるだけで大丈夫か。
「アイシャ、風呂の湯加減はどうだ~」
「ありがとう、ちょうど良くなってきたわ」
風呂釜から声をかけると、浴室から返事が返って来た。俺の時はもっと沸かして熱くしないとな。今日は俺が最後だし熱めにしても怒られんだろう。
「師匠、おフロすごいです。こんなにいっぱいのお湯に浸かれるなんて。そういえばフロ釜ってどうなってるんですか?」
チセが洗い場の窓を開けてこちらを覗き込んでいる。窓から身を乗り出した少し日焼けした肌に、肩から背中にかけ白銀の鱗が見える……おいおい、横から胸も見えているぞ。丸いおわん型の胸で、二の腕から先端が見え隠れする。
「チセったら、そんなことしたら見えちゃうでしょう」
「え~、大丈夫ですよ。師匠、その釜も師匠が作ったんですよね」
「あ、あ~そうだぞ。今度風呂を沸かすときは、チセに薪を焚べてもらおうか」
「はい、喜んで」
「ほらチセ、窓を閉めなさい。ユヅキ、覗いちゃだめだからね」
覗かんよ。お前の貧相な体を見てもつまらんしな。3人で何を話しているのか、風呂場からははしゃぐ声が聞こえる。
俺は風呂の火を弱火にして、居間に戻ってゆっくりくつろぐ。
これからもこういう毎日が、いつもになっていくんだろうな。賑やかで楽しい異世界での日常だ。
お読みいただき、ありがとうございます。
【設定集】目指せ遥かなるスローライフ! を更新しています。
(イメージイラスト(チセ)他)
小説の参考にしていただけたら幸いです。




