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翌朝、目が覚めると時計は五時を回っていた。
寝過ごしたと慌てて台所に向かったわたしを待ち受けたのは、焼き上がりを待つパンの山。窯には既に火が入っており、一回目の焼成は既に開始していた。
「ごめんなさいヨハネ。寝過ごした」
「おはようアマネ。今日は全部僕がやっておいたから、飲み物の支度でもしててくれ」
ヨハネの言うとおり今日売りに出すパンの準備は既に終わっており、後は焼くだけである。
わたしはヨハネに全て押し付ける形になったことで、申し訳ない気持ちで一杯である。
変に興奮して寝付きが悪いからと、夜更かしをしてしまった自分が嫌になってしまう。
「そんな気まずそうな顔はしなくていいさ。実を言うと今朝は目が冴えてしまったんだ。だから勝手だとはわかっていたけど、先にやってしまったよ」
「ダメじゃない。ちゃんと寝ておかなきゃ。カーゴを街まで引くのだって楽じゃないでしょうに」
「心配無用さ。向こうに到着したら休憩出きるし、何より僕は三日くらいは寝なくても平気だからね。アマネの方こそ寝坊するくらいだから、一日でだいぶ疲労が貯まっているようだし」
「そ、それは……寝付けなくて寝るのが遅かったからで……」
「今日はたまたま僕が早起きしたから全部やっておいたけど次は逆になるかも知れないから、その時はアマネがフォローしてくれればそれで構わないさ」
わたしとしてはどう謝ろうか思っていたので、ヨハネの言い分にわたしはこれ以上謝れない。
むしろヨハネの方が早起きしたと言うのが建前で、実際はイヤらしい気持ちを発散するために徹夜でパンを作っていたなどわたしには知る術などない。
ここはヨハネに従って次から気を付けようと思ったわたしは、焼き上がりを待つパンに目を向けた。
よく見ると既に窯には焼いている最中のパンが入っている割には妙に数が多いのは気のせいだろうか?
「あれ……多くない?」
「パンの数のことかな」
「うん」
「時間に余裕があったから、お試しで試作品も持っていこうと思ったんだ。クロサキイチゴのいちご大福パンと、あんこだけのあんパンをそれぞれ三十個ずつ。相談もなしに勝手に作ってしまったのは謝るよ」
「構わないわよ。昨日もいちご大福パンは完売したし、マリーちゃんには好評だったしね。でも値段とかはどうしようか」
「それはアマネの好きにしていいさ。今までと同じ二百で売っても、七十は粗利があるんだし」
「なら同じ値段にしましょうか。値上げして売れ残る方が怖いし」
勝手に作ってしまったとヨハネは言うが、わたしとしてはヨハネがその気なら構わなかった。
店主は確かにわたしなのだろうが、わたしが惚れ込んだヨハネが自信をもって作ったパンに不満などあろうものか。
不安があるとすればヨハネの蓄えを開店資金としてだいぶ消費していることだが、いざとなればモトベさんもいるので心強い。
わたしは昨日の売れ残りで手軽な朝食を用意すると、それを片手に備品の確認に勤める。粉末のスープやコーヒは充分だし、ジャムも今日いっぱいは持つだろう。
あんパンもあるのならばバターは多めの方が良いか。
後はモトベさんから預かった携帯電話を忘れずに持てばオーケーだ。念のため着信を確認したが履歴はない。
「これでよし!」
準備が整ったのは六時半。
出発は七時なので、三十分ほど休憩を挟んでホームを発つ。
休憩中、椅子に座って眼を閉じるヨハネはどこか気だるそうで、その様子にわたしは色香を感じ取った。
ヨハネとわたしが啄むように互いを求めあう関係になった場合、その行為の後にも彼はこんな顔になるのだろうか。
それを想像してにやけるわたしは、ずいぶんとむっつりすけべになっていた。
公園に到着したわたしたちはモトベさんへの挨拶を済ませると、テキパキと開店準備に取りかかる。とくに今日はヨハネが朝から頑張っているので、ここから先は自分がやらねばとわたしは張り切る。
テーブルの上には各パンが七個ずつ。英雄の数字で揃えて験担ぎだ。
「今日は張り切ってるな、お嬢ちゃん」
そんなわたしの様子を、自分の準備が整ったモトベさんも気にかけた。
「張り切っているのはヨハネの方ですよ。気合いが有り余ったからって、あんパンとクロサキイチゴのパンまで焼いてしまうほどなんです」
「ほう。ちょっと興味があるな」
「持っていきますか?」
「おうよ。今朝は朝飯もまだだから丁度いい」
モトベさんはあんパンとクロサキイチゴのいちご大福パンを手に取ると、お代替わりだとベリーのジャムを一瓶置いていった。そろそろ補充したいとは思っていたところだが、こちらから切り出す前に用意しておくあたりは屋台の顔役として一目おかれているだけのことはある。
ちなみに味の感想としてはクロサキイチゴは「木苺と比べて売りが弱い」ということで可もなく不可もなくと微妙な反応だが、あんパンはとても気に入ってくれた。
バターを塗って食べる小倉トースト風の食べ方が彼の好物なんだとか。
その後、モトベさんとのやり取りを見ていたランニング中のお父さんを皮切りに、じわじわと今日のパンが売れ始まった。
今日はパンの数を増やしたので売れ残らないかが気がかりだったが、プレーンなあんパンがモトベさんらおじさん世代の男性に受けがよくてそれは杞憂だった。
数が少なかったこともあり、お昼前に真っ先に売り切れてしまう。
逆にクロサキイチゴのいちご大福パンはやや売上が遅く、あんパンが売り切れた時点で五個しか売れていないので、これだけは売れ残りそうなペースだった。
試食の反応を見るに、木苺のものと比べてあえてクロサキイチゴを選ぶ利点がどうも弱いとお客に判断されたようだ。マリーちゃんのようにクロサキイチゴの塩梅を好む人はどうやら少数派らしい。
「アマネ殿! こんにちわでござる」
その後、お昼を過ぎて客足が緩くなったところを見計らった様子で、男性を伴ったラチャンが店にやって来た。
「いらっしゃい。今日はクロサキイチゴのいちご大福パンもあるんだけれど、おひとついかが?」
「アマネ殿も商売上手でござるね。折角なので二ついただいていくでござる」
ラチャンは代金を支払って二つ手に取ると、片方を横にいた男性に渡した。ここまですれば彼がラチャンの連れなのはわたしにもわかる。
「そちらの方は?」
「紹介するでござるよ。拙者のいい人、カッツォでござる」
この男性が先日少し話題になったラチャンの彼氏のようだ。見るからにガテン系のガッチリとした逞しい肉体は、豊満なラチャンと釣り合って見えた。
「アンタがアマネさん?」
「ええ」
「俺はカッツォって言うが、まあアンタと同じ屋台の人間だからヨロシクな」
聞けばこのカッツォはモトベさんとは舎弟のような間柄で、主にモトベガレットの平日の営業を任されているそうだ。
見た目や口調からは苦手な下品かつウェーイな雰囲気を感じたので警戒したが、話してみるととても生真面目な青年のようだ。
今日は休日ということでラチャンとは熱いデートの最中で、ベタベタとくっついている姿は傍目にも気恥ずかしくなる。
だが満面の笑顔なのはそれだけラチャンの事が好きで、一緒にいて幸せだというサインだろう。
そういう点ではとても羨ましい。
「───そう言えばアンタらは山に住んでいるそうだけれど、不便じゃね?」
談笑の最中、わたしとしては不意打ちに感じる質問をカッツォは投げ掛けてきた。
「そこはホームが山の中なので仕方がないですよ」
「そのホームってやつもラチャンが言うにコンテナハウスだって言うじゃん? こっちに運んだ方が楽じゃね」
カッツォの言うことには一理あるのは言うまでもない。
片道二時間なので移動するだけでも一苦労なのだから。
「確かに楽にはなりますけれど、材料に使う山の幸を確保するのには便利なのでケースバイケースですよ。それにお金がないうえにあのホームはけっこう大きいので、街中に運んでも置ける場所が無さそうなので」
「そうか。残念だな」
わたしを誘う彼の言葉は本心なのだろう。
断ってしまったが、もしヨハネよりも先に出会ったのが彼ならば、彼の言葉に従っていたのだろう。
繰り返すが、彼は見た目とは裏腹の好青年なのは間違いない。何となくだが、彼はヨハネに少し似ているようだ。