呼び鈴
公園での屋台デビューな二日間を終えた翌朝、わたしはにやけた表情で目を覚ました。
夢の中ではヨハネに愛の告白をして彼を押し倒しての一夜を過ごしたのだから無理もない。
だが、しばらくしてそれが夢だとわかると、わたしは肩を落としてしまう。夢じゃなければなあと、夢だったことが残念だからだ。
瞳を閉じたときには素直になれるのに、直接だとどうしても表に出せないこの気持ち。
友人が同じ様な悩みをしていたときには少し意地の悪い言い方もしたことがあるが、あのときは本当にごめんなさいと今さらわたしは謝った。
その頃、街ではあの子が学校で悶えていた。
「どうでござったか?」
「どうって……まあまあかな」
ここはバーツク大学にある講堂の一つ。
マリー・シュヴァルツランツェはヨハネからの返事を待ちながら、上の空で授業を受けていた。
そんな彼女の横にいる褐色の友達、タ・ラチャン・ワドダは小声でマリーちゃんに話しかけた。
まだこの時点で生娘なわたしよりも進んでいるこのインド風デカパイ娘は、やや上から目線でマリーちゃんを弄る。
「と言うことは、会えたようでござるね。なかなか似ていたでござろう?」
「うん」
「それにしては反応がタンパクでござるな」
「うん……」
「もしかして恋煩いでござるか?」
「なんでそうなるんだ」
「解らないのも無理はないでござるよ、このレベルの話は」
「レベルて」
ラチャンはマリーちゃんの態度が「折角アピールして、デートのお誘いをしたヨハネから返事が無いことに気を揉んでいる」と看破していた。
恋愛上級者を気取るこの娘は彼氏と夜の性行為三昧なだけで、言うほど恋愛上手な訳ではない。それでも恋愛経験があるのは確実なので、マリーちゃんの心中を見抜くに至る。
「おそらくはデートのお誘いで連絡先を書いたメモを渡したが、彼からの返事が来ないとかでござろう?」
「なんでわかるんだ」
「拙者の額にあるサードアイには丸見えでござるよ。拙者もカッツォが夜のお誘いをしてくれない日が続くと、同じ顔になるでござるし」
「そ、そうなのか?」
「左様。なのでこういうときは、自分から攻めるでござるよ。幸い月曜なら午後は暇でござるし」
「でも住所も知らないんだぞ。いったいどうやって」
「たぶんカッツォに聞けばわかるハズでござるよ。なので午前中はお勉強に集中するでござる」
「普段は不真面目なラチャンの口がよく言うよ。でもありがとう」
「どういたしまして」
このラチャンがどういうツテでわたしたちの居場所を探すのかの話は少し脇にどけよう。
遅い昼食を兼ねて、普通のいちごを使ったいちご大福パンの試作を行っていたわたしたちの元に、マリーちゃんはやって来た。
焼き上がったパンを早速食べようとしていたわたしは、突然の呼び鈴に驚く。
このホームに呼び鈴なんてついていたのだろうか?
いや、それ以上に誰がここに来たのかと。
恐る恐るドアの隙間から外を眺めると、そこにはなーいすばでいなふたりが並んでいた。
片方は厚ぼったい唇をした褐色の女の子。そしてもうひとりは昨日店に来た友人のそっくりさんである。
住所を教えたわけでもなしに押し掛けられたと言う意味では不審者ではあるが、とりあえずわたしたちに危害を加えることが目的では無さそうなので、わたしは扉を開けた。
「どちら様ですか?」
「あれ、ヨハネさんは?」
「だからどちら様かって聞いているんですけど」
わたしはヨハネのことしか眼中にないマリーちゃんに、つい風悪く当たってしまう。まだヨハネの気持ちが自分にあるとわからないこの当時のわたしとしては当然の反応だろう。
そんなわたしの態度を見て、横にいたラチャンは少しニヤリと口角を上げた。
そして腰を落とし、時代がかったポーズで見栄を切る。
「申し遅れて後免つかまつる。拙者はガレイの国より来てバーツク大学に通う学生、タ・ラチャン・ワドダと申す。此度我らはアマネ・ミレッタ殿の僕人、ヨハネ殿に御用があって参上つかまつり候」
「は、はあ?」
聞いたのはこちらなので不躾には返せないが、マリーちゃんの態度から察していた「ヨハネに用がある」という用件を、時代劇みたいな言葉で伝えるこの女は何者だと、わたしは呆気にとられた。
「とりあえずここで待ってて。ちょっとヨハネに聞いてくるから」
わたしはとりあえずヨハネに事情を説明し、その上でふたりを中に招いた。
話を聞いてヨハネもまさかこのふたりが危険人物だろうとは思わなかったようだ。
「いらっしゃい。マリーさんと……キミは一昨日の子だね。最初に買ってくれたときの硬貨は大事にさせてもらっているよ」
「憶えていたでござるか」
「僕は物覚えが良いほうでね。ところで、キミたちはどうやってここに?」
ふたりを応接するヨハネは早速疑問に切りかかった。
ヨハネにちょっかいをかけるために押し掛けただけならまだ理解できるが、教えてもいないこの場所を知られているのはたしかに不可解だ。
「おおまかな住所はコーウェンの叔父御から聞いたでござるが、山に入ってからはマリーが用意した馬のお陰でここまで来たでござる」
「失礼ながら、警察でも使用している最新式サイバネホースで追跡させてもらいました。微弱ながら道路に残されたパンの残留臭気や、ジェットブーツが通過した際に残るイオン反応からここまで追跡をして」
「サイバネホースねぇ」
ヨハネは種を聞いて、今まで見せたことのない冷たい表情で顎を指で持ち上げた。
このときのわたしは知り得ないが、後にヨハネの経歴を知った後では、彼がサイバネホースを警戒しても仕方がなかろう。
「少し見せてもらっても良いかな? 待っている間、そこのパンは好きに食べて構わないから」
「ありがたいでござる。昼抜きだったから、拙者お腹がペコちゃんでござったよ」
「構いませんが、わたしも御一緒します」
「そうか。ではアマネはそちらの彼女の相手をお願いできるかな?」
「どうぞご自由に!」
サイバネホースを改めたいと申し出たヨハネに対して、マリーちゃんは彼に小判鮫のように付きまとった。
本音を言えばわたしも彼女が変なことをしないように監視したかったが、ラチャンをひとりにさせるわけにはいかないと、ヨハネがお願いするのも当然だろう。
わたしは少し怒った口調で返事をして、プリプリとした態度でラチャンをもてなす。
ふたりが外に出ると、そんなわたしのプンプン具合もすべて受け入れるという風な態度で、ラチャンはわたしに寄り添う。
マリーちゃんもだいぶ大きいと思ったが、このラチャンはそれ以上の豊満さだ。なので、そんな彼女におっぱいを押し付けられたら百合の気があるのではと心の中で警戒してしまう。
「硬くならないでも良いでござる。ええと……アマネ殿? それともミレッタ殿?」
「タラちゃんでしたか? お好きなほうでいいわよ」
「ではアマネ殿と呼ばせていただくでござる。拙者のほうは名前の『タ』はジャポネ語では接頭語の様なものなので、ラチャンと呼び捨てて欲しいでござる」
「わかったわ。ところでどうしてさっきから胸を?」
「御立腹の様子でござったので、落ち着くようにと。拙者の恋人はこれですぐ機嫌が良くなるでござる」
「いいわよ、そんなことをしなくても。恋人さんと違って、わたしたち女の子同士だし」
「これは結構同性にも効くでごさるよ?」
「もう怒っていないからやめなさいって」
「そう言うことなら」
ようやく納得してラチャンが離れた頃には、呆気にとられていたわたしの怒りは収まっていた。
故意か意図的か判断に困るが、狙ってやっているのならこのラチャンという娘はなかなかのやり手なのだろう。
「馴れ合いたいわけではござらぬが、まずはマリーのことを許してあげて欲しいでござる。拙者、アマネ殿とは面識がなかったので、まさかおふたりがそういう関係だとは露知らず」
「ちょっと待ってよ」
先程までの過剰な押し付けを止めたとたん、今度は謝りだすラチャンの態度にわたしは呑まれていた。すっかり彼女のペースだ。
「恋人同士、あるいはその手前……最悪でも片思いしている同居人でござろう?」
「それは……そうだけど……」
「マリーにヨハネ殿のことを教えたのは拙者でござる。なので謝らなければ義理が通らぬのでござるよ」
わたしとしては義理と言われてもだ。と言うか、うっかりヨハネへの気持ちを認めてしまったのだが、そんなに見え見えなのだろうか。
「ああ見えてマリーは一途な娘でござる。なにせ大昔の写真を便りに、似た人を探していたのでござる」
「もしかして、その目当てのそっくりさんがヨハネなの?」
「左様。だからあの子も浮かれて舞い上がっているでござる。しばらくは妹が兄にベタベタ付きまとっているとでも思って、温かく見守ってあげてほしいのでござるよ。ヨハネ殿がマリーに惚れることまでは止められないでござるが、その心配は無さそうでござるし」
「そうかしら」
「拙者のサードアイがそう告げているでござるよ」
「は、はあ」
本当にサードアイなんていうものがラチャンにあるのかはわからないが、わたしは彼女の言葉を信じて矛を納めていた。
ジャポネにいた頃は疑っていたが、日本に帰ってきてフェイトちゃんの秘密を明かされてからは、なんとなそれを信じてしまう。