旧知
その後、ヨハネが出掛けてから三十分ほどが経過した。
わたしがヨハネの帰りを待っている間、当のヨハネにはちょっとしたことが起きていた。
頼んだ食材を買った帰り道。そろそろマリーちゃんの住むアパートに到着するというところでヨハネを見つめる黒い視線。
それに気づいた彼は、警戒しつつ自分から探りを入れた。
「今晩は。なにか僕に用かな?」
ヨハネが声をかけたのは露店商の占い師だ。
このあたりでは頻繁に来ているのかは解りかねるが、その目線はヨハネをじろじろと見つめていた。
目の前のお客さん候補に目を血走らせているだけかもしれないが、ヨハネからすれば不審な仕草だ。
「それはお前さんの方ではないかな? 見かけない顔だが、おまけして一回五百ルートで占ってやろうか」
「それはご親切なことで。でも残念ながら宵越しさ」
宵越しとはお金をもっていないことを示すエドマエの言い回しだとか。
それを聞いて占い師も少し困った顔で小首を傾げると、溜め息をひとつ吐き出す。
「はーっ! ならお試しでロハでいい。ちょっと見せてはくれないか」
「それでも断るよ。キミに施しを受けるような貸しはないし」
どうにもヨハネを引き留めたいと焦る占い師。
この場にいればわたしでも怪しむほどに彼は挙動不審である。
ヨハネも当然、彼の行動を怪しいと睨んでいる。
だからその誘いを断っている。
「そう警戒することもないだろう。キミらしくない」
そんな警戒心バリバリのヨハネを驚かせる声が彼の背中に突き刺さった。
懐かしく、そしてもう二度と聞くことは無いと思っていた彼の声。まだヨハネがただのオートマタンだった頃に出会った腐れ縁のそれが。
「まさか……グーデリアンなのか?」
「それはこちらのセリフだヨハネ。その顔のキズの通り、キミはもうとっくに死んだと思っていたからな」
振り向いたヨハネに飛び込んできた顔は、マリーちゃんならよく知る男のものだった。
ルンテ風黒麦料理専門店、公女の口付けの支配人。
フランツ・グーデリアンの姿がそこにあった。
「オットーくんはご苦労だったな。あとは私に任せて、いつもの通りにしていてくれ」
「了解しました」
フランツの指示を受けた占い師は安堵の息を吐く。
「さて……引き留めたままではキミに悪いだろう。歩きながら少し話がしたいのだが」
「久しぶりとはいえキミには僕と話すことは無いと思うけれど? 僕はいろいろ聞きたいことがあるけど」
「キミの質問はまたの機会に回してとりあえず聞け。まず、昔はあれこれケンカしたものだが、もうあんなもの時効だ。元凶ののあの男はとっくの昔に死んだわけだしな」
「わざわざそれを言うためだけにしては手が込んでいるじゃないか。さっきの彼に迂闊に手を差し出していたら、何をされたやら」
「なにもしないさ。彼にはキミを引き留めてもらっただけだ」
「その言葉は信じていいんだよね? 前のキミならスタンガンで気絶させたりは平気でやったろうに」
「お前……いくらなんでも理由も無しにそこまではしないぞ、私でも」
「前にやられたことは忘れないさ」
このヨハネとフランツはいわゆる昔馴染みの関係である。
そして二人が昔馴染みと言うことは、当然ながらフランツも人間ではない。
かつてのシュヴァルツランツェ家が愛娘マリーの警護用に別注したフォーチュナー社製オートマタンのエクストラナンバー。運動神経特化型オートマタンがフランツの正体だ。
この事は公国でも公王を始めとして一握りの存在しか知らず、マリーちゃんですら知らない人間の一人である。
公王はフランツを信用しているからこそ彼を人間として扱っており、そしてオートマタンだと知られることで不利益が起きないように彼の正体を隠蔽していた。
「私とて今は人間として振る舞っている。だから同様に人間として過ごしているキミの正体を暴いて、とやかくするつもりはない。あの時代を知っていれば当然の配慮だ」
「有難い。でも話と言うのはそれではないだろう?」
「本題はマリーお嬢様のことだ。お前も気づいているかもしれないが、お嬢様はマリー様の玄孫だ。見ての通り瓜二つの外見だが、それ以上に困ったところがある」
「まさか……僕に好意を抱いているのが問題なのかな」
「当たり前だバカ。キミがマリー様を邪な眼で見ていたのを私が知らないとでも? しかも当時と違ってキミを縛る枷はもうないのだから、お嬢様に何をするやら」
「心配しすぎさ。何もしないって。あの子は僕が憧れていたあのマリーではないのだから」
「据え膳は残すながエドマエ流儀だろうに。お嬢様が下手にアピールしようものならお前は絶対に手を出す」
「それはあくまでも独り身の流儀さ。心に決めた相手以外には不貞を働くつもりはないよ」
「ほう、それは良かった。相手は例の新しい御主人か?」
「まあね。でもアマネは御主人ではないさ。彼女はあくまでも僕の同居人で今の仕事の協力者。持ちつ持たれずの対等な間柄さ」
「随分と仲がよろしいようだな」
フランツが合流してから五分ばかし。
ゆっくりとした歩みでも流石にもうアパートは目前に来ていた。
「キミの事だから嘘ではないだろう。だが、だったら今日はどうしてお嬢様の家に? てっきりあの子も一緒に酒池肉林でもやり出すのではないかと心配していたんだぞ」
「冗談を。それに彼女の家を監視していたのに気づかなかったのかい? マリーは風邪を引いたようなんだ。僕とアマネは彼女の看病のために家を訪ねたし、今手に持っている食材も彼女に食べさせるためのものさ」
「昨日はそのような兆候などなかったし、今日はたまたま室内で何かに興じているだけだと思い込んでいたのが下手に出たか」
「彼女も一人暮らしをするくらいだし、変に根回しをするのも気を悪くしただろうね。難しいお年頃だ」
「それは否定しない。むしろマリー様くらいズボラの方が、私としては楽なくらいだ」
「マリーはけっこうキミに面倒をかけていたしね」
「ふふ……懐かしいな」
ゆっくりと牛歩していた二人だが、流石にもうアパートの敷地の中だ。腕時計をちらりと確認したフランツはそろそろ時間だと言わんばかりに話を打ち切るとそのまま踵を返す。
「さて、そろそろ私はお暇しよう。キミは早く部屋に戻ったほうがいい。彼女を待たせるのは失礼だ」
「そういうキミは来ないのかい?」
「自分で言ったではないか。こちらから世話をするとお嬢様は気を悪くする。それにキミがついているのなら大事ないだろう」
「随分と信用してくれたものだ。昔なら『マリーに何をするか』と食って掛かっただろうに」
「お嬢様とマリーが別人だとわかっているのなら不安はない」
「どういたしまして。それではまた後日」
「ああ」
ヨハネは玄関前でフランツと別れると、コンコンとマリーちゃんの部屋をノックした。
その音に気づいたわたしはヨハネらの会話など知らぬまま、ようやく戻ってきた彼を部屋に招き入れた。
マリーちゃんも一緒とはいえ彼女は寝ているので実質一人でのお留守番。それにマリーちゃんの部屋という初めての場所というのも新鮮すぎた。
暇をもて余して魔が差していたわたしの体は少し火照っていた。




