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恋煩い(前)

 日曜日の午後三時。

 病床に伏せる私の元に見知らぬ電話が訪れる。

 デバイスに登録されていない番号だが、熱でうなされていた私は反射的に応答してしまう。


「もしもし、マリー。僕……いや、ヨハネだ」

「ひゃ、ひゃい!?」


 声の主は憧れのあの人で、私は驚いて変な声で返事をした後に咳き込んだ。ゲホゲホという嗚咽は耳障りではないだろうか。


「大丈夫かい?」


 だが彼は私の様子を案ずるだけで不快には思わなかったようだ。

 心配してほしくて咳き込んだ訳ではないが、その優しさが嬉しい。


「だいじょうぶ……れしゅ」

「声がガラガラだね。風邪かな」

「どうやらそのようです」


 心配する彼に風邪だと伝えたが、さすがに風邪を引いた理由までは答えられない。

 風呂場で昂った体を湯上がりに持て甘し、昨日のアクシデントで抱きついてしまったときのことを思い出しているうちに湯冷えしてしまったなど恥ずかしくて言えようものか。


「なら長電話は良くない。また連絡するね」


 私が風邪を引いたと理解すると、ヨハネはすぐに電話を切ってしまった。私が早く良くなるようにと配慮したのだろうが、出来れば電話口でもいいから慰めて欲しい。

 そう思ってしばらく悶々としていたところに再び彼から連絡があり、どうやらお見舞いに訪ねてくれるようだ。住所がわからないと言うことで教えた私は彼の来訪を待つ。

 先程まで熱にうなされて虚ろだった意識も今やハッキリしている。病気でうなされていたのが嘘のように彼の来客を待つ自分は気分が明るい。

 病も気持ちひとつでこうも楽になるのかと思いつつ、元々熱で体温が上がっていたのもあって体は火照り始めていた。


「コンコン」


 誰かが玄関の戸を叩く音が聞こえてきた。


「はい」


 私は彼が来たものだと思って玄関に向かうと覗き穴に眼を向けた。

 確かに彼の姿がそこにある。


「いらっしゃい」


 鍵を空け、ドアを開いた私はそのままた倒れこんだ。

 不可抗力を装っての行動だが、実際気分は良くないのでさもありなんか。

 だが寄りかかった相手は思ったよりも小さくて、そして柔らかかった。

 困惑した私から少し離れた位置に彼がいる。ではこれは誰かと気付いた時にはもう遅い。


「むにゅん」

「ちょっと! 大丈夫?」

「あ、アマネさん……だ、だいじょうぶれしゅ」

「大丈夫じゃないじゃない」


 少し考えれば予想できたことだが、お店を開いた帰りに来てくれたのならば彼女が居ても不思議ではない。

 むしろ自然だ。

 悪い人ではないのだろうが、私の恋心にとっては障害なのは言うまでもないアマネさんも一緒に見舞いに来ていたようだ。

 鼻水が詰まっているので解りにくいが、彼女からは女の子の匂いがしていて私の鼻をくすぐっている。それが妙にこそばゆい。


「ちゃんと寝ていないと」


 アマネさんは私を抱き抱えると、そのまま何食わぬ顔でベッドまで運んでしまった。私より少し小柄なのに軽々と持ち運んでしまう彼女の膂力は見た目とは程遠い。

 もし抱き抱えてくれたのが彼ならばと少し思ってしまうが、こんな体調でそこまで望んだら彼に風邪を移してしまいそうだ。さすがにそれはダメだろう。


「ありがとう」

「まったく。意外と手間のかかるんだから」


 悪態の割にはアマネさんはにこやかでどこかお姉さんのようだ。私と年齢は変わらないのに。


「だいぶ熱が出ているわね。念のために体温を測っておきたいけれど、体温計はあるかしら?」

「だったら僕が測るよ」

「できるの?!」

「ちょっとした隠し芸さ」

「あ……」


 熱を測ろうとしたアマネさんに変わってかざされた彼の掌はひんやりとしていて、その冷たさが心地よい。


「三十八度を越えているね。アマネの言うとおりだ」

「ねえマリーちゃん。病院には行った?」

「ううん」


 私は首を横に振った。


「ダメじゃない。わたしもこの仕事だから体調管理には気をつけている方だけれど、風邪を甘く見たら危ないんだから」

「このくらいなら寝ていれば大丈夫ですから。咳もあまり出ませんし」

「そういう過信が良くないのよ。お年寄りなんかに多いんだけれど、そのまま肺炎になって亡くなったりもするんだし」

「う、うう」


 私は優しくされて思わず涙ぐんでいた。そう言えば公国でも風邪を引いたときには、こうして兄が看病してくれたモノだったなと。

 兄はアマネさんと同じように私を心配してくれたが、公務についてからはあまり会えていない。

 ましてやジャポネに来てからはその機会すらあろうものか。

 表向き一般人としてここにいる以上、フランツさんら公国の人間に迷惑をかけてはいけないと思っていたが、こうして迷惑をかけてしまったうえで肌に安心を得ている自分がいた。


「風邪の時は安静にして、その上でちゃんと水分と栄養を取らなきゃいけないわ。この様子じゃダメダメじゃない」

「飲み水ならそこに」

「ただの水か。出来ればスポーツドリンクの方がいいんだけれどね。それに食事がスナック菓子だけって、これじゃ余計に治らないわよ」

「そう言われても今は他になくて……熱が引いてきたら買い出しに行くつもりで……」

「冷蔵庫にはろくに食べ物は無いみたいね。まったく……こう言うときくらいは誰かを頼ればいいのよ。友達だっているんだし」

「え?」


 私はアマネさんのお説教にきょとんとしてしまっていた。

 私の中で病気の時に友人に頼るなんて考えが頭になかったからだ。

 言われてみれば独り暮らしの私が頼れる相手は他にはいない。しかし、友人だからといってもそこまで頼って良いものだろうか。


「今日のところはわたしたちが来たから良いけれど、今後は誰かを頼りなさいね。なんならまたヨハネ頼るとか」

「でも……それだとなんだか悪いですし」

「迷惑を気にする余裕があるんだったら、逆に友達が病気の時はあなたがその子を支えてあげなさい。友達なんでしょ?」

「そうかもしれませんね」


 一晩でここまで重い風邪にかかるなどなかなかないが、叱られた通りにこういうときこそ誰かを頼るべきだったのだろう。

 本当の素性を隠している後ろめたさもあって、私はどこかでラチャンらと一線を引いていたようだ。

 そのくせヨハネさん一人だけが来てくれたのなら、一晩中ベッドの上で優しく看病してくれるのだろうなと勝手な期待を寄せていたのだから自分のことながらはしたない。

 これでは公女としても、ラチャンやネイの友人としてもの失格ではないか。

 アマネさんに告白していたら、それこそ水くさいと思われそうな内容で私は自分を恥じる。


「マリーちゃん?」


 心の変化の影響なのか、私はそのまますやすやと眠ってしまっていた。

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