明日は目を開け
蛇退治の報酬は、清貧を基本とする私には目玉が飛び出るほどの額だった。
渡された布袋の重みに怯えながらも、頭の中でぐるぐると欲望が回る。
「これだけあれば……これだけあれば…………」
「何に使うの?」
「思いつかない……」
どうやら私に染み付いた貧乏性は非常に頑固であるらしく、ぽんと大金を渡されたところで何も思いつかない。
元の世界であれば服や本を買うという選択肢もあったけれど、この田舎に本はほとんどないし、服は基本的に布からの自作だ。
私にそんなスキルはないので、最初の頃は村の人たちからのお下がりを着ていた。
今は、簡単なワンピースくらいなら縫える。
縫製は非常に無様だし、近くで見られるのはご遠慮してもらいたいレベルだが。
かといって、お金はだらだらと使えばあっという間になくなってしまう。
もらった報酬とて、数ヶ月分の稼ぎ程度だ。
十分ありがたいのは、確かなのだけれど。
一生遊んで暮らせるわけでは、勿論ない。
「何かないの、たとえばアクセサリーとか」
「確かに、いざという時に換金できるものは良いですね」
バートはいつも良いアイデアをくれる。
全部とは言わないが、一部はモノにして身につけておくのが良さそうだ。
いざという時に売れば、有事の際のあてになる。
「何か誤解がある気がするけど、まあいいや。明後日に街に行く馬車が出るから、一緒に乗せてもらおうか」
この村は比較的農業が盛んで、作ったものの一部を街で売っている。
片田舎が外貨を稼ぐ、貴重な手段だ。
街に用事がある人間は、ご一緒させてもらうこともままある。
私たちが行こうと決めた日は、幸いにも他の便乗者は出なかった。
あまり沢山の希望者がいてしまうと、お互いに気を使う。
急ぎの用事ではないので、譲ったって全然構わないのだけれど。
くコ:彡
「街に出るのは、初めてなんじゃないか?」
今回の村代表であるノンゼルさんが、年寄りの穏やかな竜を竜車に繋げつつのんびり言う。
竜は人間よりもはるかに長命で、今やこの村の誰よりも古株なのだと聞いた。
そんな彼(彼女かも)の牽引力は老いてもなお力強く、村で一番頼りになるとの評価もある。
「はい、初めてです」
「用事ないもんねぇ、はい、ヒロちゃんどうぞ」
くたびれた幌付きの荷車でも、聖騎士バートは妥協しない。
手袋に包まれた手を私に差し出して、しっかりとエスコートしてくれる。
先に乗っていた野菜たちの隙間に、二人して体をねじ込む。
御者台のノンゼルさんが竜に声をかけて、おきまりの道をゆっくりと進み始めた。
進行方向とは逆を向いて座っているために、見える景色は遠ざかっていく村だ。
牧歌的な景色が流れていくのを、少し弾んだ心で眺めた。
移動時間はおよそ三時間、野菜を傷つけないために無茶な走行はしない。
早朝の牧歌的な空気を味わいながら、流れていく雲を幌の隙間から眺めた。
年季の入った車輪は道の凹凸に敏感で、時々いきなり大きく跳ねる。
私の柔な尻が削れていくのを防ぐべく、バートに抱え込まれる羽目になってしまった。
聖騎士と言う割に鎧をつけてもいない彼の、布越しの筋肉を感じる。
硬いような弾力があるような、不思議な感触だ。
竜車の振動には慣れているのか、少しもバランスを崩す気配がない。
「重くない?」
「まさか、ヒロちゃんもうちょっと食べた方がいいくらいだよ」
確かに近頃は随分引き締まってしまったが、そう言われるとこそばゆい。
まるで少女漫画のような、台詞ではないか。
肉を失った分弾力も失った気がするので、骨が当たってバートが痛くないかと、ちょっと心配になった。
「街に着いたら、まずはご飯を食べようか。屋台でもいいし、食堂でもいいけど」
「屋台がいいです、色々食べたくて」
「いいとも」
益体もない話をしながら過ごしていると、竜車が止まった。
周囲にはまだ人の気配はなく、明らかに道の途中だ。
「ノンゼルさん?」
幌に遮られて左右は見えないが、御者であるノンゼルさんの背中は見える。
彼に向かって疑問の声をかけると、困ったように私たちを振り向いた。
促されて、竜車の前を覗く。
舗装されていない街道の上に、行き倒れている影があった。
凝った衣装は街の人のものだろうけれど、土埃で汚れてしまっている。
長い金髪が地面が散っていて、彼あるいは彼女に意識がないことを示唆していた。
「大丈夫ですか?」
竜車から降りて、声をかける。
しゃがみこんで観察してみると、端正な顔立ちが見えた。
年の頃は、十代後半だろうか。
若鹿のような体つきからは、性別が予想できない。
軽く揺すると、小さくうめき声が上がった。
「ヒロちゃん、よくわからない人にすぐ近寄っちゃだめだよ」
「この人、動けないみたい」
「気絶してるね……でも、命に別状はないんじゃないかな」
色々と素人である私よりは、バートの見立ての方が信用できるだろう。
一緒にしゃがみこんだ彼が無造作に、金髪の若者をひっくり返す。
薄い胸が規則的に上下していて、それにホッとする。
「おい、起きろガキ」
軽くだが、バートが若者の頬を叩く。
その言葉の乱暴さにも、少しぎょっとした。
彼に何か言おうと口を開閉しているうちに、金の長いまつ毛が小さく瞬いた。
「うう……」
「あ、意識が」
若者がよろよろと体を起こし、青い目にこちらを映した。
けほ、と小さくえずいたので水筒を渡す。
蓋を開けて、飲ませてあげた。
「ありがとうございます……」
中性的な声からは、ますます性別がわからなくなる。
とはいえ、別にこの若者に強い興味があるわけでもない。
どうでもいいことかと思い直して、声をかける。
「どうしてこんなところに?」
「ヒロちゃん、聞くと巻き込まれるよ」
面倒くさそうな声音で、バートがたしなめる。
しかし、目の前に落ちていたのだ。
無視するというわけにも、いくまい。
「バート、私も行き倒れのところを拾ってもらったんです」
そんな私が、どうしてこの若者を放置できようか。
「……わかった、おい子供。もう歩けるな?」
さっきから、バートの棘がすごい。
どうしてこんなに、ツンケンしているのか。
ネレスタさんを相手にしていた時以上の、心狭男っぷりだ。
「その服、王都の貴族さんですかね。一体何があったんです?」
王都の貴族さんなのか。
ノンゼルさんの言葉に驚きつつも、若者を見た。
毛艶よし、顔よし、スタイルも服も良し。
手のかかった美しさを見れば、その事実も納得できた。
さぞかし、毎日良いものを食べているのだろう。
「……説明はしなくていい。どうしたいかだけ、言え」
ノンゼルさんの心配そうな視線を受けても、バートの圧は緩まない。
私と同年代かそれ以下の若者にするには、やや酷な態度だ。
若者は、困った顔で黙り込んだ。
「とにかく、こんなところで行き倒れっぱなしもないでしょう。カドゥレまでなら、乗せて行けますが」
「いいのですか?」
そう言いながらも、若者はバートの方をちらりと見た。
現状、彼が一番若者の存在を厭っているのだ。
重々しいため息をひとつついて、バートが頷いた。
「我が君も、貴様のことを案じているようだからな。反対はしない」
出発時のご機嫌さもどこへやら。
ちょっぴり怖いバートの横へ若者を乗せ、私たちはカドゥレの街へと再び出発した。