二世帯住宅
昨晩の騒ぎでくたくたに疲れて、いつもより少し遅く起きた朝。
慌ただしく朝の身支度を済ました直後に、いつも通りに扉が叩かれた。
「開いてますよ」
「おい神代、お手柄だったそうだな!」
いつも通りバートが入ってくるものと思っていたが、扉を開けたのは祭司のネレスタさんだった。
よほど興奮しているのか、勢いよく放たれたそれが壁に鈍い音を立ててぶつかった。
酷い、この間蝶番を直したばかりだというのに。
「昨晩、宿屋にまでお前たちの騒ぎが届いていたぞ。あのつむじ曲がりの性悪騎士に、よく仕事をさせた!報酬は冒険者ギルドに預けてあるから、後で取りに行け!」
音量が、音量がでかい。
おまけに肩を持たれてがっくんがっくんと揺らされるものだから、視界も酷い。
「いや、昨日のアレは偶然でして……」
「わはは!謙遜までするのか!!」
「ネレスター?その辺にしといてやってくれないか」
高笑いする彼の後ろから、ひょっこりとバートが現れた。
時刻はいつもよりほんの少し遅い、彼もちょっとだけ遅刻したというわけだ。
とはいえ、遅れて困るようなことも特にないのだけれど。
「む、バートか。……今、どこから現れた?」
「どこって、お前が開けっ放しにしてた扉からだよ。そろそろ我が君を離せ」
バートが手袋をした手で、ぐいっとネレスタさんを引き剥がした。
流石に武人には敵わないのか、あっさりと両肩の手が離れる。
「待て、待て待て待て、外から来ただと?貴様……もしや」
「まともに使えるような部屋が、一室しかなくてね。年頃の婦女子と、同じ部屋ってわけにもいかんだろう?」
「……確かに入るときに廃墟かと一瞬思ったが、では貴様は一体どこで寝起きしているんだ」
「…………」
バートが、笑顔のまま黙りこくってしまった。
彼が寝起きしているのはご近所の老夫婦の家だけれど、何か問題があるのだろうか。
「よもや貴様……このボロ小屋に主君を一人残して、自分は悠々と宿屋で寝起きしているのではあるまいな?」
その通りだが、駄目なんだろうか。
「いやいや、さすがにそんな。近くの家に下宿させて貰ってるよ」
「この村で一番見窄らしい家に置いて、貴様は人間の家へでのうのうと……」
確かにうちはかなりのぼろ家だけれども、人間の家扱いしてもらえないとは。
しかしバートも異論はないようで、反論もせずにゆるく笑っている。
ネレスタさんの顔が、みるみる間に赤くなっていく。
照れではなく怒りなのだと、私にも理解できた。
「神殿にいる人間が一人なら、それは神代以外であってはならない。教義にもそうあるだろう?」
「それは神代を差し置いて、現世の人間が神殿の主人として振る舞わぬために定められたものだ、理解っていて悪用したな」
大の大人二人が、人の家でギスギスしないで欲しい。
というか、バートさんは神殿で寝泊まりするの嫌だったんだ。
気持ちは理解る。
最初の頃は床も腐ってたし、壁紙も破れたい放題だった。
雨漏り有り先住ネズミ有りの、無茶苦茶な家だったことは認める。
私が使っている部屋がギリギリセーフだったのは、奇跡だったと思う。
あと村の人たちが非常に親切で、神代を受け入れるとなった時に、一応の生活用品一式を用意してくれてたのも奇跡だった。
あれがなければ、私もご近所のお家に下宿させてくださいと頭を下げる他なかった。
「で、用はそれだけか?祭司様は忙しいんだろう、カドゥレを開けっ放しでいいのか?」
「話をそらすな、今はお前の背信行為についてだ」
「背信って、そんな大げさな……」
二人が、私が聞いたことないくらいの早口で、言い争っている。
かろうじて【カドゥレ】とだけ聞き取れた。
たしか、ネレスタさんが住んでいる街だ。
この村の人たちも、たまに買い物に行ったりしている。
私は神代としての手続きをさせられた時にしか、訪れていないが。
日本でいう都会よりも人間が少ない感じはするが、それでもここよりは拓けている。
若者たちの間では、カドゥレで買ったものを友人や恋人にプレゼントするのがトレンドだ。
なぜそこで手続きしたのにこの村で神代をやってるかというと、カドゥレには既に他の神代が存在したからだ。
神代が居る地は栄えることが多く、その恩恵をあまねく場所に注ぐために分散させておく決まりらしい。
本当は同じ地球出身として、一度顔を合わせてみたかったのだけれど。
機会もないまま、今に至る。
男二人の口論は永遠に続くかと思われたが、新たな客人が現れたことにより中断された。
「ヒロちゃん、今大丈夫かしら」
「ミランダさん」
開けっ放しだった扉から、第三勢力の登場である。
宗教家としての自負があるのか、彼女の存在に気づいた二人がぴたりと口を閉じた。
赤い口紅が素敵な彼女が、バスケットを抱えて出入り口に立っている。
「どうしました?」
「昨晩は本当にありがとう、お礼を言いたくて来たの」
「そんな、いいのに。ホカリさんの体調は、どうでした?」
「まだ立ち歩けるほどじゃないけど、三日もすれば完全復帰しそうな感じ。これ、うちで焼いたパンなんだけど、よかったら」
「いいんですか!」
出来立てのパンなど、滅多にありつけるものではないのだ。
いつもはパン屋さんの閉店間際に駆け込み、カチコチのパンを購入している。
私の経済状況を察した店主が、パンの耳をおまけしてくれるのが有難いやら情けないやら。
バスケットの上にかかった布を少しだけ避けると、小麦色の美味しそうな丸パンが顔を出した。
「蛇に呑まれた亭主を取り返してくれたんだから、足りないくらいだけどね。うちも裕福じゃないから、手作りもので申し訳ないんだけど」
「とんでもない、すごく助かります」
心からの言葉に、ミランダさんがはにかんで笑った。
その後ろでネレスタさんは目を見開いて、震えている。
さらに彼をみて苦笑いしているバートも視界に入り、混沌な感じだ。
「じゃ、あの人が回復したらまたお礼に来るから!またね」
ほっそりとした手をひらひら振って、ミランダさんが去っていく。
彼女があんなに丁寧な人だとは、知らなかった。
「……一般的よりやや質素な、普通に家庭のパンだ」
「でも普段食べているのより、かなり豪華です」
「なんたること……」
ネレスタさんが、愕然としている。
シティボーイの彼には、田舎の貧乏暮らしは意外なものだったのだろうか。
「補助金なし、収入の当てなし、信者もなしで、まともに暮らせるわけないだろう。ネレスタ、分からなかったのか?」
「いや、裕福な暮らしはできまいとは思っていたが……まさかここまでとは……」
私も最初は途方にくれたが、案外なんとかなった。
村の人たちの親切さは、この場合都会の裕福さよりもずっと私を助けてくれたのだ。
「今度こそ用事は終わりだろ。さぁ、帰った帰った」
バートのやや強引な誘導に、ネレスタさんが力なく頷いて去っていく。
客人たちが出て行った神殿の中を、なんとなく沈黙が支配した。
「……ヒロちゃん?」
いつもならここで冒険者ギルドへ向かうのだが、静かなままの私にバートが声を掛ける。
「もうすぐ、もう一室の改装が終わるんですけれど」
「うん」
「もし、バートさんが望むなら、今の下宿先のお家賃に報酬あててもいいですよ?」
文武両道コミュ力有りの圧倒的エリート人材が、パッとしない神代の部下として生きるのはあまりに気の毒だ。
この職に就くのだって、かなりの努力を要したはずなのに。
湯水の如くお金が湧いてくる訳ではないけれど、限りあるリソースの中ではせめて優遇したい。
そう思っての提案だったが、バートは驚いたようだった。
「ヒロちゃん、俺の職業言える?」
「聖騎士」
「そう、己の全てを賭けて神代に仕える存在だ。俺がどうしたいかじゃなくて、君が俺になにをさせたいかだよ」
「何をさせたい……」
「そう、ヒロちゃんが決めて」
「特にないかなぁ…健康で元気で居てくれれば」
「お、親みたいな目線で俺を見てるの……?」
こんな大きな息子を産んだ覚えはないが。
明らかに年上だし。
しかしそこまで全てを預けられるのなら、多少の意見というのは私にもある。
「じゃあ、下宿代払うよりは安上がりだし。申し訳ないけど部屋が直ったら、こっちに住んで欲しい」
「承知いたしました、我が君」
調子よく臣下の礼を取るバートを伴って、私は今度こそいつも通りに神殿を出た。