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しんこうのかかく

目の前を、小さな背中が歩いていく。

肩のあたりで切りそろえられた黒髪がそれに合わせて揺れており、なんとなくそれを目で追ってしまう。

平和で辺鄙な村に押し込められた、自分の主君である。

自国セイリアによって役立たずと判断された、気の毒な神代だ。

都会でならもっと楽な暮らしができただろうに、王都の奴らには情がない。

唖然とするようなボロ小屋を神殿として与えられても、少女は文句ひとつこぼさなかった。

雨漏りだらけの部屋で過ごさせるわけにはいかないから、手作業で修復にかかると神代はめきめきと大工仕事が上達していった。

これが若さか、と思うと同時に、セイリアの決定の冷たさを思う。

記憶を失った神代など、本来ならそれが戻るまで大切に庇護するべき相手である。

それがこの世界の、信仰のあり方だった。

彼女の権能が富や力に結びつかなかったとしても、それは変わらない。

この百年ほどで、世界は神代に対する信仰を失いつつある。

まだ年若い少女にすら、無情になれるほどに。


バートは、それがどうしても受け入れ難かった。


「本当に、引き受けなくてよかったの?」


「引き受けたかったですか」


「ううん」


「じゃあ、やっぱり問題ないです」


それだけ言って、神代はまたスタスタと歩き出す。

おそらくは、神殿の補修に早く戻りたいのだろう。

突然故郷を喪ってしまった身の上であるのに、彼女は驚くほど前向きだ。

本人の意思関係なく充てがわれた聖騎士ですら、自分の力で養おうと試みている。

高額な討伐クエストを受けろと命じられれば、聖騎士はその通りに動くのだが。

森にいるという大型蛇種は、見つけるのこそ手間かもしれないものの、バートの腕があれば退治はさほど難しくはない。

ほとんど確実に、相手の息の根を止められるだろう。


神代がバートの力量を、見誤っているのかもしれない。

だとしても、面倒な仕事を振られなくてホッとしているところがあるのも確かだった。


「今日の晩御飯、野菜炒めで大丈夫ですか」


「あぁ、もちろん」


元の世界では学生だったと言う少女は、成人して随分経つ大男を養おうと、懸命に仕事をしたり素人大工を行ったり料理をしたりしてくれている。

バートからすれば何処(どこ)に彼女が努力する義理があるのかさっぱりだが、そうしている神代を眺めるのは面白かった。

誰に評価されるわけでもないのに、健気なことだ。

幸いにして、彼女は料理の腕も悪くない。

特に安く仕入れて量のある食事に仕上げるのが、妙に上手かった。


道すがらに食料を買いながら、貧相な神殿へと戻る。

家へ戻った時には、辺りは少しばかり暗くなっていた。


「……作業は、明日に持ち越し」


不満げに、神代がこぼした。

彼女にとっては、室内灯(ルームランプ)のための油ですら貴重品なのだ。

夜は生活区域にしか灯をつけないと、決めている。

粗末な台所で料理を始める神代を視界の端に収めながら、武器の手入れを始めた。

彼女は、俺がせっせと手伝うことをあまり好まない。

一度理由を尋ねてみたら、お願いできるほど給料を払っていないからだと言っていた。

勝手に与えられた聖騎士相手に、律儀なことだ。


慎ましい食卓に、調味料の匂いが漂い始める。

嗅覚に刺激されてか空腹が強調された頃合いで、表の扉が叩かれた。


「開いてますよ」


相変わらず不用心に、神代が応答する。

向こうで扉が開く音がして、妙齢のご婦人が入り込んできた。

昼頃にやってきた、木こりの青年の伴侶である。


「ミランダさん、どうしました」


「ヒロちゃん、うちのダンナ見なかった?」


「昼過ぎに一度ここに来てはいましたけど……何かあったんですか」


落ち着かない様子で、ミランダが周囲を見回している。

労働で焼けた色の手を口元に添えて、細い眉を不安げにしかめた。


「帰ってこないの」


神代が、居住まいを正す。


「ここに来る前にね、他の人たちにも尋ねてみたのよ?でも、誰も見てないって……南東の森に向かっていったのが最後だって……」


南東の森。

そこは、ストゥ・ナーグが出たとされる場所だ。

神代もそれに思い当たったらしく、表情がこわばっている。


「本当なら、いつぐらいに帰っているはずなんですか?」


「そうね、まちまちだけど、2時間は過ぎているかしら……神経質かもしれないけど、ホラ、今日アレの討伐クエストが出たって言うじゃない」


「スト・ナーガ?」


耳にするのも恐ろしい、そう言いたげにミランダが身をすくめた。

実際、この村にいる人間のほとんどが、あの生き物に対して恐怖を抱いているのだろう。


「とにかく心配なの、ここに香銭置いて行かせてね」


「えっ?」


「だって、あなた奉献箱置いてくれてないから」


「いや、あの、私にそんな権能は……」


「でも神代でしょう、もしかしたら何かご利益があるかも……何の神様でもいいわ、とにかくあの人を守ってくれれば。じゃあ、私他の人たちにも聞いてくるから」


「あ、ちょっと」


神代の制止も聞かず、ミランダがさっさと出て行く。

おそらくは、ひと所に落ち着いていられる心情ではないのだろう。

しかし、おかげで神代の方にも動揺が伝染してしまった。


「ヒロちゃん?」


「バート…どうしよう……」


黒い目が、怯えた視線を置き去られた貨幣に向けている。

子供の小遣いにも満たないそれでも、神代には十分な脅威だったらしい。


「私には、人探しの権能も、守護の権能もない……」


「彼女もそれは分かってるさ、金額をごらんよ。験担ぎ程度のものだ」


「でも……」


神代の顔から、見る見る間に血の気が失せていく。

先ほどこの部屋に飛び込んできたミランダと、いい勝負だろう。


「バート」


「なんだい」


「完全に暗くなるまで、ちょっと森に行っていい?」


「君がそう望むなら」


窓の外を見れば、太陽が山々の向こうに沈み始めている。

夕食前の腹ごなしと考えれば、そう面倒でもないだろう。

香銭=お賽銭的なもの

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