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吸血鬼の国堕とし  作者: Flyer
序章:吸血鬼の誕生
3/5

猛る本能、そして一一

 

 ふらふらと歩いた。

 時折、何かよく分からないものに呑み込まれそうになりながら、歩き続けた。

 目的もなく、何をしようでもなく。


『吸血鬼は個人差はあれど、1日に適量、人の血を摂らなければ生きていけない』

『飢えて理性を失ってしまえば、本物の怪物の誕生だ。決断の時には逃げ続けてはいけない。自分の意志で決めるんだ』


 何だってんだ。

 街へ向かう道中、そして今も、ふとすると気づく。ぼーっとする頭の中に、聞いたことのないはずの言葉が浮かんでいるのだ。知識として頭の中にあるような気がする。

 言葉は声を持たず、誰のものなのかは分からない。

 だが、いつか聞いたことのあった言葉のような気がした。

 ふっ、いや、違うな。こんなものはただの妄想だ。




 そんなことより。

 ここは、街か。


 一晩中か、それ以上経ったか。その長い時間を俺はとにかく歩き続けた。何も食べず、飲まず、歩いた。無目的に歩いた。そして辿り着いたのは、俺が以前来たことのある隣街だった。


 がやがやと辺りを喧騒が包んでいる。ここはかなり栄えた街である。この大通りは勿論、どこでも人で溢れ返っているはずだ。


 以前来たときは馬車に乗ってだったが、まさか徒歩で着けるとは。

  俺は街並みと人だかりを眺めて、古い記憶を掘り起こす。

 ここへ来た記憶としては、、小さい頃、近所のおばさん一家も連れ立って家族で来た時のことが、印象深かった。

 その時、ご褒美か何かで食べさせてもらった屋台の鶏肉は、頰が落ちるような美味さだった。あれが、幸せの味ってやつか。


  あぁ、そうだ。あの鶏肉がまた食べたい。

  こんなに飢えてるんだ。あれを食べればきっと、心も身体も満たされてくれるはずだ。


  ……無理か。

  俺は今、金なんて持ってないんだった。


  じゃあ、この飢えは癒せないのか。

  落胆し、首を落として、地面を見やった。



 その時だった。


 一一茶番はよせよ。

  何?


  本音というやつが上っ面の俺に襲いかかる。

 

  そんな肉ではこの飢えは癒されない。分かってるだろう。『俺』が熱心に目で追っていたのは何だ?

  分からない。俺には何を言っているのかさっぱりだ。

  じゃあ、また分からせてやるよ。

  また?


  俺の不安が増幅していく。何か起こるのか、今から。一体何が。


「旦那、良い話があるんですが」

「お母さん! あれ買って!」

「そんなに声を潜めんでもいい」

「なかなかいい品じゃのう」

「この国に新たな時代が到来するとか、そこでこれが一一」

 

  突然、耳元で声がした気がして、ハッと声を上げた。耳の拾う音が大きくなった?

  と、聴覚が驚くほどに研ぎ澄まされていく。耳がおかしい。耳が聞こえすぎている。人間ではあり得ないようなレベルで耳が聞こえている。

 遠くの店の前で駄々をこねる少女と母親の会話や商人の秘密の会話などが鮮明に聞こえる。

 そして、異常なのは耳だけに留まらない。

 目も鼻も肌に感じる感覚も過敏になっていく。それらは、どんどんと研ぎ澄まされていく。


  そして研ぎ澄まされた五感は、当たり前のことを認識した。

  ここは栄えた街だ。だから、沢山の人間がいるのだ、と。

  どうして俺は気づかなかったんだ!?

  そう人だ。ここは、人で溢れかえっている。人つまり血が溢れているのだ、と。飢えを癒すのに最高じゃないか!

  新鮮な血血血血血!

  得体の知れない本能が騒ぐ。激しい飢えが俺を襲う。苦しみの中で村で体験した飢えを思い出した。またこれだ。血なんて興味ないのにぃ、どうしてなんだよぉ!



 気づけば、俺は人混みの中で立ち止まって、恐らくは血走った目で人々を追っていた。周りにどう映っているだろうか。そんなことに割く興味はなかった。

 全ての興味は、周囲の人間の何気ない仕草、体内に流れる血の香り、彼らの立てる音や話し声などに注がれていた。

 唾液が氾濫した川のように、口の中に溢れ出してくる。

 

「どれにしようかな」

  は? 何言ってやがる?

「何か質のいい血はないかな」

  俺の理性的な心は完全に無視され、ただ人間の一挙手一投足に注意する。やがて、周囲の世界を流れる時が遅くなったような感覚に支配される。

  全てが見える。


 なんだこれは?


 行き交う人を目で追う。自分の目の動きが、いつもより鋭い気がする。

 この感覚は一体なんなんだ?

 これはまるで一一一。


 狩りをしているようだった。

 見定め。選別。

 研ぎ澄まされた五感を駆使しての選別。


 女。男。子供。老人。少年。老婆。青年。


 

 行き交う人々は、どれも新鮮な血血血血血血血血血血だ。生きていれば、血はその肌の下で駆け巡っている。それは見えないからこそ美しいのかもしれない。

 この光景は芸術的ですらある。美しい。この光景は美しい。

 沢山の食糧が、目の前で歩いている。『俺』はこいつらを求めてこのは街に来たんだ。


「ここは楽園か何かか? あぁ、俺は何を勘違いしてたんだ。この世界は、こんなにも美しいじゃないか」


 心臓の鼓動が次第に大きくなっていった。

 それは理性の部分の強い不安のせいだ。このまま、ここでこのどす黒い本能に、『俺』に、呑み込まれてしまったら、俺はどうなってしまうのか。


 血の選別などすぐに終わってしまうだろう。この街を行き交う極上の血を見つけ出した時、俺はこの本能を抑え込めるか? 今でさえ、均衡はぎりぎり保たれている状態なのだ。間違いなく、時間の問題だ。


 今はまだ近くをすれ違う人間の選別を『俺』は進めているが、


「いいもの見つけたぁ」


 その時、『俺』の眼がきらりと光った。

 ごくり。


  広がっていた視界が一瞬にして、ある一点に集中される。


 一点に集中すれば周囲への関心が一気に失われていく。五感が急速に衰えていくようだった。平衡感覚に異常を来たし、上下左右すら分からなくなるようだった。それほどに一点を、穴が開くほど凝視する。


 『俺』の熱い視線の先には、体外に流れ出した新鮮な血があった。

 二つ結びの一人の少女が、膝の擦り傷から少量の血を滴らせて、母親に抱き上げられている。

 全て見ていた。彼女は、はしゃいで一人で走り回った挙句に転んでしまったのだ。


 なんて平和で幸せでありふれた光景。


 だが今の『俺』にとって。


 それは、均衡を崩す劇薬となりえた。


 生者の血血血血血が外に流れ出している。血は外にあっても美しい!


 理性で押さえつけていた身体が勝手に動いた。ゆっくりとだが確実に。もう、押さえつけることは出来ない。血を目前に押さえつけることなど。たとえ、目前にあるのが、たったの一滴の血であろうとも。

 そんなに『俺』は我慢強くない。


 ごくりと何度も喉を鳴らし、涎を口の端から垂らしながら、『俺』はふらふらと親子の方へと向かう。


 人混みの中で何度も何度も人と肩がぶつかる。

  その度に、

「おい!」

 攻撃的に突っかかろうとする者も多いかったが、


 一一一引っ込んでろ、下等生物が。

 その意を込めて、視線だけで圧迫した。

  ふん、聞き分けのいい人間だ。


 いやでもダメだろ『俺』。そんなぞんざいに食糧を扱っちゃあさ。

 食べ物はお粗末にしちゃぁいけない。まあ、飲み物だけど。



 途中からは、『俺』にぶつかって来る者もいなくなった。

 ゆっくりと確実に進む。

 そして、程なくして地べたに座していた母親と抱かれた少女を『俺』の影が覆った。


「な、なんで、しょうか?」


 母親は、そばに立った『俺』を見上げて困惑した表情を浮かべる。

  見知らぬ男が近寄って来たら、警戒もするだろう。気の利いた台詞でもいってやれば安心させられるが。別に安心させる気もない。

 何も答えない。

 言葉は要らない。そんなものは蛇足に過ぎない。

 『俺』は少女の膝を凝視した。膝の擦り傷からは新鮮な生きた血が滴っている。

 『俺』が欲するのは、そう、その血だけだ。


 無意識にのうちに愉悦でニヤリと口角があがった。それは、どれほど悍ましい表情だったのか。当人である俺には分からない。が、その恐ろしさを彼女の反応が物語る。

 母親は、突然恐怖に顔を歪めて、娘を守るように胸に強く抱いた。


 震えた声で何か言いながら、立ち上がろうとする。

 が、腰が抜けてしまったようで立ち上がれない。

  相当な怖がりようだった。

  不思議でしかない。

 どうして、そんなに怖がる。

 ただ血をいただこうというだけじゃないか。


「ママ、どうしたの」

「マリア、だ、だ、大丈夫よ」


 胸に抱かれた少女に彼女はそういうと、周囲にそして俺に助けを乞うような表情を向けた。

 その表情は。いつかの誰かのものに酷似していた。

 強く記憶に張り付いて離れないその表情。


  それは嫌な感情を起こさせ、理性が舞い戻ってくる。

 それを、俺に向けるってのか。

 やめろよ、俺にそんな目を向けるな。

  気づけば大声で叫んでいた。


「や、やめろぉぉぉぉぉ!」




 周囲がざわついたのを、鈍った耳で拾った。

 周囲を意識すると、五感が先程までの鋭さを取り戻していく。俺は周囲から注目を集めていて、俺に対する様々な声が鮮明に聞こえて来る。


「あの人、なんか危なそう」

「衛兵呼んで来るか?」

「あいつ、何する気だよ」

「変態かありゃ」

「おい、聞こえるっつの」


 それらの声は、俺を罵倒するものの数々だった。

 

「俺たちでやるか。あんなひょろっちいの」

「吊るし上げてやる?」

「聞こえないとこだけにしときなよ、あの人普通じゃないし関わらないほうが……」


  それらの声は、 俺を嘲笑するものの数々だった。



 

 黙れよ、雑魚どもが。

 

  どうしてだろうか。目の前の血だけを欲しているのに、今は何故だかこの声が耳障りだ。飢えが極限に達して、神経が逆立っているのか。まあ、心の負担をここまで溜め込んだのだから当然だろうな。


 視線を巡らせれば大通りでは変わらず人が行き交うが、道の端にいる俺は明らかに避けられている。

 歩きながらちらりとこちらを見る者や、止まってこちらを見る者たちが一定数いた。

 

  年齢、性別、容姿、血の質、多様な人間がこちらを見ているが、浮かべる目の色は、あの母親の浮かべた目と同じもので、全てが共通していた。


 ……あぁ、気持ちが悪い。本当に気持ちが悪い。吐きそうなくらいに。


 お前らの目が気持ち悪くて仕方がない。消し去りたいほどに。


 人の目など、どうでもいいはずなのに。

  神経が逆撫でされる。とにかく気が立っている。


 どうして、俺をそんな目で見る。

 それは、お前らがしていい目じゃないんだよ。

 それは、本物の怪物を見た時に初めてするべき目だ。


 こんな平和な街で、のうのうと暮らすようなお前らが。

 あの絶望も知らないお前らがぁ。

  俺を、そんな目で見るのは間違っている。

 その行為は間違ってる。俺は奴らとは違うだろ? 何故奴らと同じように、そんな目を向けられなければならない。

  俺が奴らに向け続けるはずのそれを、お前らがしていいはずがない。



 どうやめさせる? 言えばやめてくれる?

  いや、人間はそんなに単純じゃない。じゃあどうする? 諦めるか? いや一一。

 人間を従わせる、簡単な方法を俺は知っているじゃないか。痛いほど体験したじゃないか。

 それは限られた者にしか出来ないことだが、今の俺にはそれを可能とする力ががある。

 俺はずっと、未知の力に歓喜していたのを知っている。


 ふふっと酷薄な笑みを浮かべる。


「お前ら全員殺してやる」


 飛び出したのは、憎悪を孕んだ、ゾッとするほど寒い声。

 誰の声なのか自分でも一瞬分からなかったが、言葉は『俺』の考えをしっかりと代弁してくれている。

 死人は俺をそんな目で見ない。殺してしまえば手っ取り早い。

 滅茶苦茶な暴論。だが殆ど本物の怪物に近い『俺』には正しいとしか映らない。


「ひぃっ!」


 目の前の母親が小さく悲鳴を上げた。さらに強く少女を抱く。

  彼女の視線と『俺』の視線が交錯した。

  彼女の双眸が宿すのは、恐怖と絶望。ただそれのみ。そしてそれに対して『俺』が抱いた感情。

 はははぁ!いい! いいぃ! 凄くいい! その目は、最高じゃないかぁ!

 

  全員の血でこの通りを真っ赤に染めてやったら、どんな気分になるだろうか? もう良いじゃないか。これ以上耐えようとしなくても良いじゃないか。



 もう苦しいのは嫌だろ? 疲れただろ? もう十分に耐えて耐えて耐えて耐え続けて来たじゃないか。

 もう苦しみから解放されてしまえば、良いじゃないか。

『自分の意志で選べ』って言ってたじゃないか大事な誰かが。

 ここで化け物になっても、それはきっと俺の尊い意志だろ? だからさっさと蹂躙する側にまわれよ。

 虐げられるのは地獄だったが、虐げるのはきっと心地いい。気分がいい。そして気持ちがいい。


 気持ちがいいんだろうな、血に染めたら、血と血と血と血と血と血で溢れかえって! 血の花が咲いて! あぁ!あ! あぁ一一一。

 歪んで狂って壊れていく意識の中で、失ってしまった母のような温かい香りがした。

 その香りを求めて俺は一一一。


 








 次の瞬間、気づけば『俺』は何の変哲もない建物の屋上に登っていた。未だ飢えは収まっていない。

 飢えた腹をさすりながら、研ぎ澄まされた目で、ある場所を探す。


 『俺』の視界が探すのは、どこよりも芳醇な香りの漂う場所。比べものにならないくらい美味な血が、そこで流れている。

 きっとそこに楽園がある。

 『俺』は化け物のように、そこを目指して屋根を渡っていった。 




当初より序章が少し伸びそうですが(すいません)、続きも是非お願います!

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