終わりの始まり
村は、阿鼻叫喚に包まれていた。
「は?」
俺は状況が掴めず、辺りを見回す。
どこもかしこも同じような光景だ。武装集団が、逃げ惑う村人を惨殺している。馬の上から槍で心臓を一突きしたり、剣で大きく斬ったり。
こんな残酷なことが起きていいのか?
なんだ? 何が起こってる?
このよく分からない状況に囲まれているせいか、よく分からない思考が脳内を駆け巡る。
いや、今はそれより。
「はっ! 親父ぃ! 母さぁん!」
親父も母さんも村にいるはずだ。
二人は無事なのか。
目の届く範囲には二人の姿はなかった。
早く家の方へ向かわないと。
二人を探すために、足が勝手に動き出す。
色々なルートがあるが、足が向かったのは広場の方角だった
しかし、これはどうなってんだ。
どうして、領主の所有物である騎士団が、俺たちの村を襲う?
魔物から俺たちを守ってくれるはずのその剣で槍で、なんの理由があって殺す。
走る先々で、白い鎧の騎士団が村人を殺している光景が、どこまでも続いている。死の寸前の村人の救いを求めるような視線とぶつかっても、俺は走り続けた。
仕方ないんだ。俺如きが助けになどなるはずがない。
武装し訓練された武装集団に対して、ただの田舎の村人に一体何が出来るというのか。
何も出来ない。だから、こんなことになっているのだ。
俺の前を走る者が、袈裟切りされ叫び声をあげる。
後ろを走っていた者が、馬に乗った騎士に串刺しにされた。
それらを見て、鼓動が速くなる。
次は俺か。いや、まだだったか。でも、これではいつか俺の番が来る。それも実感できるほどすぐに。
すぐそこに死が迫っている。
そんな少しの死の前後などになんの意味があるというのか。
それでも人は死を少しでも先送りにしたい生き物のようだ。
俺もその例に漏れず、俺の番じゃなかったと、胸をなでおろして、走り続けることしかできない。
一刻も早く、この地獄から抜けだしたくて堪らない。
親父や母さんがいるかもしれない家の方では、まだ襲撃を受けていないかもしれない。
そこに辿り着ければ、この地獄から一一一。
異質な空間に俺は足を踏み入れていた。
そこは、この村の中にあって何故か静謐な空気に包まれている場所だった。
いい香りがして、逸っていた鼓動がゆっくりとしていく。何故か国の端に涎が垂れた。
その広間の真ん中の小高い丘の上に、情熱的な赤の鎧に包まれた一人の男が立っていた。
美しい。その光景はただただ美しかった。
ずっと見ていたいそんな気もちょっとの間したが、ここで立ち止まるわけにはいかない。
この広場の先に、俺の家がある。
だから、走り出そうとして一一。
ぐにゃり。
何かを踏みつけた。
それは嫌な感触だったから、恐る恐る下に顔を向ける。
踏みつけたものを見て、俺は初めて気づいた。
ここは紛れもない地獄だと。
残酷も極まれば美しく見えるのか。
広場には、夥しい量の死体が散らばり、血が流れていた。俺の踏みつけた足下にも、死体があった。
死体の積み上がられてできた山の上に、男が立っていた。
そして、その男の情熱的な赤の鎧が、その返り血で真っ赤に染まってできたものだと気付く。
こんなものが美しい? 俺は一体何を。
「……これを、全部やったのか?」
「悪いが、ここは通させねぇ」
それは死を意味しているのだと一瞬で理解した。背筋を寒気が走る。さっき走っていた中でここに辿り着けたのは俺一人で、運が良かったなどと思ったが。
そんなことはなかった。
死が先送りになった代わりに、ここで死に絶えた多くの先人と同様に、真の恐怖を体験する羽目になったのだ。
そしてもう少ししたら、俺もこの死の芸術の一部になってしまうのだろう。
俺はあまりの恐怖に尻餅をつく。
「……この、死神」
この男には、そんな名がぴったりだと思った。
男が骸の積み上げられた広場の中心から、ゆっくりと歩いて来る。俺が、俺たちが、恐怖で逃げられないことはもう知っているようだ。
一本の剣を抜け出す。
その剣は、何か特別な力を宿しているようだった。
「聖騎士が、……なんで、どうして、こんなことを」
「こんなん見て、喋れるたあ元気がいいな、ガキ。中々見込みのあるやつかもしれんが、残念だ。この村な連中は例外なく皆殺しにしなくちゃならねえんだ」
皆殺し。
その言葉を聞いて、急速に身体の力が抜けていく。
広場の先にも、もう既に襲撃は起こっているのだろう。さきに少し抱いた希望が頭の中で音を立てて崩れる。
この先へ進めたとしても地獄。
村の中は全部地獄ということだ。
白い鎧の騎士団が村人を殺す地獄が延々と続く。
さっき見続けた強者が弱者を蹂躙する地獄が。
そして、きっと親父も母さんも既に一一一、
「親父、母さん。どうして、どうして、こんなことが起こる?」
尻餅をついたまま、下を俯いて半ば独り言のように呟く。
死神の足音が一定のペースで進んできた。
足音と同時に声が飛んでくる。
「……この村には、名も忘れ去られた吸血鬼一族が住んでいる。その系譜を潰すには、これでも確実じゃねえが、この村の皆殺しが手っ取り早い」
聖騎士が説明を始めたのだ。俺たちが死ぬ理由を。
俺には、何を言っているのかさっぱりだった。
吸血鬼? そんなものただの伝説上の生物だろうが。そんなくだらない理由で俺たちは殺されるのか。
そんな無意味のせいで俺は死ぬのか、皆んなは死んだというのか。
「吸血鬼は、根絶しなきゃならねえ奴らなんだ。奴らは、この広場のような惨状を見て、涎を垂らすような屑。光により集まる蛾のように、群がってくる。だから、俺はここにいる」
聖騎士がゆっくりと歩みながら何かを言っているが、あまり頭に入ってこない。
だって、もうすぐここで、俺は死ぬのだ。
訳もわからず、吸血鬼だのなんだのと言う頭のおかしい聖騎士によって死ぬのだ。
何も分からない。聞けば混乱するだけ。
唯一分かったことといえば。
きっとずっと最初からこの世界は残酷だった、ということぐらいだ。
ただこれまで見過ごして来た、この理不尽な構図が今になって脳内を駆け巡る。
常にこの世界のどこかでは、強者が弱者を蹂躙してきた。それはこの世界の当たり前の仕組みだ。
人がいつか死ぬように、嘆いても何の意味もないこの世界のルールの一つだ。そのルールに従って俺は今から死ぬ。俺もこの残酷な世界のただの一部に過ぎなかった。分かってはいたが、今身を以て実感した。そう、分かったことといえばそれぐらい。
「……この世から、全ての吸血鬼を駆除することを誓う」
聖騎士はいつの間にやら話を終えたようだった。
顔を上げて見れば、満足気な表情をしている。
どこまでも勝手な人間だ。
延々と俺たちの死の理由を説明していたようだが、納得するはずがない。
こいつらが俺たちを殺した奴らだ。
でも、もうどうでもいいか。こんな世界なら、さっさと死んだ方がマシだ。
「……さっさと、……殺せよ」
俺は首を差し出した。
全身が恐怖に震えたが、もうどうでも良かった。
地獄から逃げたい。
この世界は地獄なのだから、死ぬことでしか地獄から逃れることはできない。
殺してくれれば、解放されるということだ。この地獄から。
こんな世界生き残っても意味などない。
元々地獄だし、皆んな死んだだろうし。
死んで、正解だ。
そう、正解だ。
安らかに眠ろう。
諦めの直後。
聖騎士の剣が無慈悲に俺の首を刎ねた。
※※※※
「……マルラン様、吸血鬼は現れたのでしょうか?」
「いや。全員が紛れなくただの人間だったはずだ」
聖騎士マルラン=フォン=クイールが俯く。
「ならば、我々はただ村人を皆殺しにしただけ一一」
「言うな。この事実は俺たちだけが知る事実だ。下の者にも上の者にも、吸血鬼は討伐されたと報告しろ」
彼は、雰囲気の暗い騎士団を眺める。
「人間性を捨てるのは、俺だけで十分だ」
「そうですね。奴らはきっと、ついてこなくなるでしょうし」
「強い覚悟がなければ出来ないことだ。俺は、必ず吸血鬼をこの世から根絶する」




