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沼の街の物語  作者: 紅雪千雨
一章【ライル=デューランド】
2/4

1・ライルという男

 周囲は薄暗く、幹の細い太いを問わず木々が立ち並ぶ森。

 俺は軽装と言える様な薄手の鎧を身に纏い、左手には盾を、右手には剣を握って立ち尽くす。

 目の前には人の背丈など軽く越えている、巨大なライカンスロープ。ライカンスロープは何らかの理由で正気を失い、魔物と化した獣人の総称で、その代わりに獣人の時とは比べ物にならないほどの力を持っている。

 目前のそいつも、元は人間と同じ背丈ほどだったのだろうが、今は背を軽く逸らしてやっとその狼のような頭が見えるほどまでに巨大化していた。もちろん、巨大化している以上、筋力も比例して強くなっているだろう。


 俺の背後には、気を失って倒れている女が一人。今回の、『奪還目標』だ。

 冒険者ギルドからの依頼により馴染みのパーティで人探しを請け負った俺だったが、現状結果は最悪といえる。

 結論から言えば、失踪した女は奴隷商に拉致されていた。そこまではいい、奴隷商は許可証を持っていない違法な輩ではあったが、商品となる女を無闇に傷つけたりはしないし、違法であることを自覚しているから交渉次第で何とかなる可能性も十分にあった。

 だがその奴隷商を森の中で追い詰めて穏便に交渉しようとしたところで、突然横っ腹からライカンスロープが乱入してきた。

 理由なんて知ったことではないし、考えても意味のないことだ。結果として不意を付かれたことにより、5人いた俺のパーティのうち2人は死に、1人は気絶、俺は幸い無傷だが、残りの一人は最寄の町に伝令に向かわせた。

 即ち俺は今から、人一人の力なんてゆうに超えているこの化け物相手に、一対一で女を守りながら、戦わなければならない。


「ゥルル――」


 ライカンスロープが喉を鳴らしてこちらを見据える。正気を失っているとは言うが、知性まで失くしてはいないのが、こいつらの厄介なところだ。

 俺の剣を、盾を、鎧を観察しているのが分かる。ザクザクと、質量すら伴うほどの殺意のこもった視線で、こちらの戦力を分析しているのだろう。


 まあ、多分、俺は死ぬだろう。自暴自棄とかじゃなく、どう考えても死ぬ。それは、治安を守る王国騎士の前で裸踊りしたら即刻牢屋行きになるくらい、当然なことだ。

 このサイズのライカンスロープなんてものは、5人パーティが十分準備をし、警戒をし、十全の状態でようやく死人を出さずに勝てる、というレベルの存在だ。俺一人がこの状況から、華麗に打ち倒すなんてことはまずありえない。

 だが、どうしようもなく逃げられない理由がある。それは依頼だからという責任感でも、粘れば仲間が戻ってくるという希望でもなく。


「……情けねぇ。死因が一目惚れなんて、お袋には言えねぇな」


 そうとも。俺は奪還対象である彼女に一目惚れをした。数分前の一目惚れだろうがなんだろうが、惚れた女を後ろに回して退くなんて、男が廃る。

 一目惚れが原因死んだなんてお袋にはとても言えないが、惚れた女を見捨てて生き延びたなんてことは、親父にはもっと言えない。

 これも血筋なのだろう、親父はお袋を貴族様と殴り合いの決闘して手に入れてるし、爺さんは戦場で出会った敵兵を傷だらけになりながらも負かして自分の嫁にしている。

 きっと女難の血筋だ。だが、親父も爺さんも女難なんて正面から殴り倒した人だ。俺がそれに屈するわけにはもっといかない。


「さぁて、犬っころ。覚悟はいいか? 俺は不思議と、晴れやかな気分だよ」


 強がってはみたものの、九割九分の死を目の前にして恐怖がないわけがない。

 今も心の中では、生存本能とも言うべき何かが、逃げろ逃げろと煩く警鐘を鳴らし続けている。

 それを無視して無理矢理黙らせながら、突撃の構えを取る。時間を稼ぐとか、応援がくるまで保たせるとか、そんな気持ちでどうにかなる相手ではない。

 死ぬ気で殺す気でやって、初めて多少の時間稼ぎができるかどうかだ。諦めを、捨てろ。


「っしゃああああああ!!」


 吐息を裂帛の気合に変えて、盾を構え、駆け出す。

 体が熱い。死の恐怖に怯え凍えるよりはマシだが、頭まで熱くなってはいけない。どうせ死ぬにしても、鎧袖一触にされるわけにはいかないのだから。

 ライカンスロープは俺の突撃を見て取ると、爪を振り下ろす。俺から見て左前方、爪の形をした死が迫ってくる。


「ふっ!」


 迫る爪に盾を合わせようと左腕を上げる。爪の角度を見極め、盾の角度をずらし、受け止めるのではなく受け流す。

 力では人はライカンスロープに勝つことはできない。ならば技でもって対抗するしか術はない。

 爪が、迫る。極限状態になった頭が活性化し、まるで爪がゆっくりと動いているように感じる。


 いや、まずい。このままでは、爪を受け流せない。受け流すことのできる角度に達していないことが直感的に理解できる。

 修正が間に合わない。爪が、力が、死が、左腕に、いや、俺の命に叩き付けられる。

 左腕の肉に爪が食い込み、ほぼ同時に衝撃で骨が折れ、砕けていく。不思議と痛みはないが、自分の腕という、あって当たり前のものが破壊される様から、目が離せない。


 痛みはないのに、恐怖だけが頭の中を侵食していく。

 気合を入れたところで、かっこつけてみたところで、無理なことをできるようにはならない。俺はどうしようもなくここで死に、後ろにかばった彼女も救えない。

 命を掛けて望んだことですら、俺は成すことなどできない。


 俺は、無力だ――




「……ん」


 すぅ、と世界が薄れるように断絶し、意識が浮上するような感覚とともに目が開く。

 窓から差し込む陽光と、それに照らされる白い壁と天井が視界に入り、現状を認識させてくれる。


「ああ、夢か……」


 夢。そう、夢だ。ライカンスロープに左腕を破壊されたなどというのはただの夢。今だって目線を向ければ立派に動く左腕が俺には付いている。

 だがライカンスロープと真正面からやりあったのはまるっきり夢というわけじゃない。こんな夢を定期的に見るようになってしまったのがいい証拠だ。


 ライカンスロープとやりあった俺はひょんなことから居合わせたとある人に助けられた。後ろにかばっていた女性諸共に。

 ただまあ、左腕は無事だとしても、そのとある人が居合わせるまで保たせた代償というものを、俺は支払うことになったわけだ。


「三年……そうか、もうそんなに経っちまったか。慣れるわけだな、こいつにも」


 ベッドから起き上がり、ゆっくりと立ち上がる。左脚のあるべき場所から、ギシ、と鈍い音が響く。

 目線を向ければ、そこには肌色の脚なんかではなく、白銀の、脚を模した形の鋼が、太ももの途中辺りから伸びていた。歯車やらシャフトやら、門外漢の俺には全く分からない機構で構成されたその鋼は、いわゆる義足というやつだ。

 これが、あのライカンスロープとやりあって生きて帰ってきた代償。左腕ではなく、左脚。それが、俺の命の対価だった。


 義足には特殊な付与魔法がかけられているらしく、耐久度も、脚としての性能も、生身よりずっと高い。

 それゆえに、義足になった当初はその性能を持て余して転んだり、逆に天井に頭をぶつけるのが日常茶飯事だった。

 それが今や、何事もなかったかのようにふらふらと街を散策し、仕事にありつけるくらいには慣れてしまった。いやもちろん、これからの人生ずっと付き合っていかなくちゃならないものなのだから、慣れるのはいいことなのだが。


「っと、やべえな。そろそろ時間だ」


 窓から差し込む陽光、その大元である太陽は既に中天を過ぎて西へと傾いている。即ち、世間様としてはむしろ、仕事終わりまでもうひと頑張りといったところだ。

 だが生憎と、俺の仕事はその世間様でいう仕事が終わってからが本番である。昼夜逆転なんのその、人様が休み遊ぶときが俺の鉄火場だ。


 簡単なシャツと上着を羽織り、義足に引っかからないように注意しながらズボンを履く。上等なものではないが、端から見てみすぼらしくは見えない程度の、中級品だ。

 華美な装飾やデザインは一切ない。黒一色、それで十分だと思っているし、それがいいと思っている。ズボンと靴を履いてしまえば義足などほとんど見えなくなるが、それでも好き好んで見せびらかす趣味はないのだから、目立たないのが一番だ。

 四肢のいずれかを欠損して尚、職について生きていけるやつは多くない。大概は家族に養われるか、そのまま行き倒れになる。俺は、運が良かった。


 簡単に身だしなみを整えて、家を出る。少々ぼろいが、しっかりとした作りの集合住宅。今の職場が借り上げている宿舎でもある。

 家を出れば、この街の喧騒が耳に入ってくる。日が落ちるまでは酒の匂いも、香水の匂いもしない。ただ食欲と興味をそそる料理の匂いと、喧騒だけが漂う、ぱっと見真っ当な街。

 しかしこれから数時間もして日が落ちれば、この街はがらりと顔を変える。喧騒の種類が変わり、酒と香水の混じった匂いが漂い、けばけばしい魔法灯の色が入り混じって妖しい街並みになる。


 沼の街『パルース』。世界一の歓楽街、欲望の掃き溜め、酒と女の集積場……そんな呼び名には、事欠かない街。

 そんな街が、今の俺の住処であり、仕事場だった。

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