校門前の揉め事
「スチュワート殿! これは一体……」
リチャード様はその紳士をスチュワートと呼んだ。あれがスチュワートかと、男をよく見る。長身で燕尾服越しでも鍛えられているのがわかる引き締まった体付き。ロマンスグレーの髪に切れ者だが誠実といった感じの二枚目。実際には五十歳くらいなのだろうが、白髪が生えていなければ姿勢と体格の良さから三十代でも通用しそうであった。
「よくある自由民同士の喧嘩でしょう。注意しておきます」
スチュワートは白々しくもそう言い切った。
「学校の前にわざわざ馬車を停めているのに……ですか?」
「元同僚らしいですし、色々とあるのでしょう。もっとも馬車を停めたのは私の用事ですが」
そしてスチュワートはお嬢様の方を見た。
「引き渡しを受けた資産についてなのですが----」
「前の馬車! 何時まで停まっているんだ!」
スチュワートがお嬢様に話しかけようとしたら、新たに来た馬車の御者が怒鳴った。貴族の馬車に怒鳴るとか、この世界的には不味いのではないだろうか?
「どうします?」
松尾さんがスチュワートに対応を聞いている。何とも腹立たしい光景だ。
「…公爵家の馬車だ。私が説明してくる。お前たちはお嬢さんが逃げない様に見張っていろ」
言い方が一々、癇に障る。
スチュワートが馬車に向かおうとすると、向こうの馬車のドアが開いた。一人の青年が優雅に降りたかと思うと、馬車のドアに向かって手を差し伸べる。すると、その手を取り、おっぱい……じゃなかった、一人の少女が降りてきた。
「これは~、これは~、皆さま~」
どこかで聞き覚えのある間延びした話し方である。そうだ、たしか補講の時に居た……メアリーとかいう子だったかな?
「これはメアリー様」
スチュワートが恭しくお辞儀をする。どうやら名前は合っていたらしい。俺の記憶も中々に大したものだ。
「わざわざ馬車からお降りにならなくても、私の方から説明にあがりましたのに……」
「いえいえ~、懐かしい顔も~ありましたので~、挨拶のついで~ですの~」
彼女はそう言って俺を向くとドレスの裾を持って軽く体を下げる。
「お久しぶりですわ~ 馬野~様~」
「あ……メアリー様、ご無沙汰しております」
名前を憶えられていた事に驚いたが慌てて返した。
「それで~……どうしたの~ですかぁ~?」
少女に似つかわしくないおっぱいの持ち主がスチュワートに尋ねた。
「あ……いえ、こちらの竜安寺貴子から引き継いだ資産のうち、目録中の酒類が大量に欠けていることから、どこに置いているのか聞こうと思いまして」
公爵令嬢が俺に挨拶したのを見て少々驚いたのか、スチュワートの返事が一瞬遅れた。……酒類ってアレだよな、俺とルゥが飲んでしまった奴だろ。
「あらあら、それは~それは~」
メアリー様はニコニコと聞いている。補講にも出ていたし、もしかしなくてもこの子って頭が弱いんじゃ……。
「それは~おかしいですわ~」
「おかしいですと?」
「はい~。だって~、それで~、竜安寺さんを~詰問するのは~筋違いですもの~」
「私は竜安寺家の財産を引き継いだのですから、正当な権利でございます」
間延び、間延びに話すメアリー様に苛立つ様子を見せずにスチュワートが淡々と応じた。
「違い~ますよ~。貴子さんは~財産を~放棄したの~ですから~。国庫に~収めたの~ですよ~。スチュワート様は~陛下に~言わないと~ダ~メ~ですよ~」
「……」
スチュワートが沈黙した。間延び間延びで何を言っているのかよくわからないが、論破したのか?
「では、陛下への正確な報告をする為に竜安寺貴子に手伝って頂きましょう。主の手を煩わせないのは臣民の務め、彼女も私の屋敷に来るのを拒みますまい」
スチュワートはそう言って、松尾さん達に目配せをした。誘拐する気だ。そう感じた俺はお嬢様の前に立った。
「ダ~メ~ですよ~」
再び間延びした声が聞こえた。邪魔するなってことなのか?
「馬野、どきなさい」
お嬢様はそう言うが退いてなるものか。松尾さん達が迫る。怖いが意地が勝った。
「彼女の言う通り、陛下の為にというのは臣民の義務ですからな。場合によっては反逆罪も----」
「違い~ますよ~」
間延びした声がスチュワートの歯切れの良い話し方を遮る。
「貴子さんは~ハガン候の従士なので~理由をつけても~勝手には~出来ませんわ~」
お嬢様を含めてここに居る一同の表情が驚きに変わった。
「……初耳ですが」
「昨日~受理されました~」
スチュワートは一転して、お嬢様に微笑みを向けた。
「そうですか……これは知らぬこととはいえ、竜安寺貴子殿には失礼をしました」
そして一礼、今度はメアリー様に対して「今すぐ馬車を動かします」と馬車に飛び乗った。それと同時に馬車が走り出す。
「メアリー様、ありがとうございます」
お嬢様は制服のスカートの裾を持ちメアリー様に一礼。中々に滑稽な挨拶である。
「事実ですから~。それにぃ~ハガン候とぉ~揉めるのはぁ~国策に反しますの~」
凄くアホっぽい喋り方なのに、もしかして頭が良い人なの?
「それでは私も~行きますわ~。皆さま~ご機嫌よう~」
俺がそんな風におっぱいさんの認識を改めていると、おっぱいさんを乗せた馬車も動き出した。
それにしてもスチュワートは、何が目的でお嬢様を誘拐しようとしていたんだ? 今更誘拐しても、お金にも権力にも影響しなさそうなのだが……。まさかロリコン⁉ いずれにしてもお嬢様は守らなければならないと考えていると、当のお嬢様は安寿の手を取った。
「馬野が世話になりました。わたくしからもお礼を言いますわ」
まさかお嬢様からお礼を言われるとは思っていなかったのか安寿が面食らっている。俺も驚いた。だって、馬糞を置きに行かせていたくらいなんだぜ? 実行犯は俺だけど。
「それと今までの事は申し訳ありませんでしたわ。この様な事を言えた義理ではありませんがリチャード様とお幸せになってくださいませ」
あ~……そっか、お嬢様はリチャード様のことを好きになろうとしていただけで、個人的に好きとか言う話じゃなかったんだよな。
「あの、貴子君……」
「リチャード様、何も仰らないでください」
そのリチャード様が声をかけようとしたら、お嬢様はそれを止めた。そして軽く微笑み残すと、今度は五月女の元に行く。
「や、やめてよね! そんなの竜安寺さんらしくないんだからさ」
何かを察したのか五月女がお嬢様を拒絶するが、お嬢様は気にせず口を開く。
「いいえ、これはけじめなので言わせてもらいますわ。今まで酷い物言いをしてしまって----」
「だから、ボク達はそういう関係じゃないって! 本気で怒るよ!」
「そうですよ! 竜安寺さんらしくありません!」
「……」
五月女に安寿が加勢する。生真面目で殊勝な人だかららしいといえばらしいんだけどな。
「そうですか。……そうですわね」
お嬢様は暫く、考え込んでいたが納得するように大きく頷くと、久しぶりに例の高笑い。
「それでは皆様ごきげんよう。馬野、行きますわよ」
うん。やっぱり、お嬢様はこうでなくっちゃ。絶対に無理しているんだろうけど。そう思いつつも、俺はお嬢様の背中を追いかけた。