執事
カイトがいなくなった室内に権蔵の大きな溜息が響いた。
「あれが先ほど言った障害です。しかも想定内では最悪の大きさの……」
権蔵はそう言って椅子に深く寄り掛かった。
「カイト様が執事の穴への推薦状を持っているのは父からバトラーとカイト様が会ったと伝えられた時から予想がついていました。有能さ、才能、バトラーとなるために必要不可欠な偏狭な主人への忠誠心。それらを備えた人材がバトラーに出会えば推薦状を渡されるはずですから」
推薦を断られた苦い思い出がよみがえる。
「ただ、カイト様の性格上アンリ様を置いて執事の穴へと行くことはないと思っていたのですが……。ウマさんの存在がよほどの刺激となったのでしょう。魔法力が高い者は風変わりな魔法に強く惹かれるとの噂は聞いていたのですが、ウマさんの魔法にカイト様がここまで影響を受けるとは父だけじゃなく僕にも予想外でした」
権蔵の顔から後悔がにじみ出ていた。
「なんだかよくわからないが、悪いことをしてしまったみたいだな」
「いえ、いいんです。父の命で派遣されてきたのですし、もし父がウマさんを送らなければ僕の方でもウマさんの派遣を要請していたでしょうから」
権蔵はそれから間をおかずに「ただ……」と続けた。
「カイト様がバトラーに成れずとも執事の穴出身という権威を手に入れたら、彼の行動に抵抗できる術はなくなりますね。そして彼は必ず僕らが変えたファームル伯領の全てを元に戻します。それがどれだけ多くの人を不幸にするとしても……です。そして僕らもほぼ間違いなくここから追い出されるでしょう」
「それならアンリ様の魔血病の克服を手伝う必要もないんじゃないか?」
いいように利用されているだけという言葉を辛うじて飲み込んだ。
「いえ、僕らにその選択肢はありません。現状メリットが多く、手を引くことのデメリットの方が大きいですから」
権蔵は即答するとそのまま続ける。
「大前提として現状黒字であること。ようするに儲かっているので我々の負担にはなっていません。撤退によるデメリットは今雇っている者を解雇しなければならないこと。これが一番大きく、最悪社会を混乱させたと領主や貴族たちに打ち首にされても文句は言えません。従業員の恨みも買いますし、だからといって事業を止めたのに雇い続ければ赤字になります。他にも『黒字でも気まぐれで手を引く商人』と信用を失う可能性も高いです。また、可能性が低くても竜安寺商会の破綻後に保護してもらえる期待が少しは残っている以上は魔血病の克服に手を貸すのは悪くはないのです」
「追い出されるのにか?」
「確実に追い出されるわけではありませんし、もし追い出されたとしてもなんらかの形で多少の保護を受けられる可能性がありますから。……しかし今更手を引けば、間違いなくカイト様の恨みを買います。貴族やその郎党に喧嘩を売っていいことなんてありませんよ」
「その割にはカイトへの指摘は喧嘩を売っているように見えたが?」
「カイト様は私情では動きません。自分自身が不快に思ってもアンリ様に不利益となる可能性があれば動かないのです。いや、そもそも自分自身に関することで快、不快などという感情が働くか不明ですが。良くも悪くもバトラーに推薦状をもらえるだけのことはあります」
どうせ俺は推薦状を貰えなかったよ。……っていうよりは貰えなくて納得である。お嬢様を助けようと思っていた気持ちは数年で揺らぐし、多くの人を犠牲にしてでもお嬢様を助けようとするかと問われればはなはだ疑問だからだ。
「ただいまー!」
そのとき玄関から元気な子供の声がした。そしてほどなく幸子さんと手を引かれた節子ちゃんが部屋に姿を現す。
「あら、こんな場所でどうしたの? お仕事中かしら?」
部屋を覗き込んだ幸子さんの第一声である。
「いえ、もう終わったので大丈夫ですよ」
権蔵はにこやかに答えた。
「ウマー! これお土産! ウマの料理よりも美味しいよ!」
節子ちゃんが串に刺さった毒々しいほどに赤い野球ボール大の何かを俺に差し出してきた。節子ちゃんのお気に入りらしいのだが馬鹿みたいに甘いうえに人間には毒なんだよな、あれ。毒は俺には関係ないけど。
「節子、ウマさんに失礼じゃないか」
権蔵が節子ちゃんをたしなめる。
「だって美味しくなかったんだもん!」
そしてふくれる節子ちゃん。
「ウマちゃんごめんなさいね」
幸子さんが代わりに謝ってきた。
「いえいえ、いいんですよ。……節子ちゃん、お土産ありがとね」
幸子さんの謝罪を軽く流してお土産と称する馬鹿みたいに甘いなにかを受け取った。
「ウマ! 隙あり!」
そして俺の指を折らんと挑む節子ちゃん。
「ふふん、残念でした」
それをエネルギーの相殺で無効化する俺。おそらく満面の笑みだっただろう。そして不機嫌さを滲ます節子ちゃんに構わずに笑顔のままで毒を頬張った。
「うん。美味しい。ありがとう」
時空コンピュータが毒の無効化を告げる中、甘すぎるとの感想を押し殺して笑顔を崩さずに節子ちゃんにお礼を言った。
節子ちゃんは嬉しそうに微笑むがすぐに幸子さんの影に隠れた。
「もう、節子ったら恥ずかしがって」
「色々な感情を覚えてきた証拠ですよ」
呆れる幸子さんに嬉しそうにはにかむ権蔵。
……ああ、俺にもこの人たちの為にできることがあったな。




