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帰宅

 お嬢様の後を追ってたどり着いた先は以前の屋敷では無く、新しい家だった。新居は大通りに面した結構な大邸宅だ。……少なくとも日本の感覚では余程の高級住宅街でも中々見受けられない立派で広い白亜の大豪邸だろう。

「帰りましたわよ」

 俺が玄関を開けるとお嬢様はそう言って靴を脱がずに家に入る。以前の屋敷では靴を脱がなくても、そんなものだと思えたが、このレベルでは何とも落ち着かない。俺ってつくづく日本人だと確認すると共に、幾ら立派でも以前と違って、これは『家』なんだと思った。


 勝手がわからず、お嬢様に鞄と共に付いて行くと花代さんがやって来た。

「おかえりなさいませ」

 花代さんはお嬢様にお辞儀をすると、後は自分がやると俺から鞄を受け取ろうとする。

「後は自分でやりますわ。花代は馬野を案内しなさい」

 お嬢様は花代さんを制止すると俺から鞄を受け取るや廊下の先へと進んで行った。

 そんなお嬢様の背中を見つめ、花代さんがポツリと一言。

「お嬢様は一人で着替えられるのかしら?」

 確かに、お嬢様は一人で着替えたことなさそうだからなぁ。それに例の豪奢なドレスとか一人で着るのは大変そうだし。


 部屋は十部屋、二階建て、庭無し。花代さんに案内された家の構造だ。俺も狭いながらも個室を与えられた。

 そして今、俺は花代さんと居間で紅茶を啜っている。

「あの、いいんですかね……」

「何がだい?」

「俺達がお嬢様を待たずにこうやってお茶を飲んだり……」

 今までは直立不動でお嬢様を待っていたので何とも妙な感じだ。

「今までみたいな所有の関係ではなくて、雇用の関係だからなんだって」

「『なんだって』ってことはお嬢様の指示で?」

「あたしも今まで通りの方が楽なんだけどねぇ」

 花代さんはそう言ってティーカップに口を付ける。不必要に厳格なお嬢様らしい指示だ。

「他の人は?」

「お嬢様に仕えるのはあたし達の他はバトラーさんだけよ。バトラーさんは元のお屋敷で残務処理中ね。もっともバトラーさんだっていつまでお嬢様に仕えていられるかわかったものじゃないわよ」

「え⁉ バトラーさんもそのうち辞めちゃうんですか?」

 花代さんの言葉が少々意外であった。バトラーさんは死ぬまでお嬢様に仕えそうなものなのに。

「そりゃ、バトラーさんは名誉職とはいえ男爵位を持つ貴族様だからねぇ。本人が仕えたくとも世間が許さないわよ。自由民に貴族が仕えるなんて前代未聞だもの」

 そこまで言って花代さんは少し考え込む。

「だけどバトラーは二君に仕えずって聞くし……どうするのかしら? まさか主家が滅んだって扱い……なんて考えたくないわ」

 花代さんは何を想像したのか考えを打ち消すように大きく頭を振った。

 バトラーさんも辞めるとなると俺よりも役に立ちそうなベアトリクスさんや松尾さんを雇えば良いものを……行く当てのない俺としては助かるけど。そんな事を思いながら紅茶を飲む。

「だけど、よくこんな家を直ぐに用意できましたよね」

「ああ、この家はバトラーさんのよ。あたし達の給金もバトラーさんが払うみたい」

 持ち出しで面倒を見るとは執事も大変である。だけど、俺の場合は借金で働くわけだから、お嬢様が出していることになるのかな? いや、借金……債権は資産に入るんじゃないのか? それならお嬢様が資産を放棄した時点で債権も放棄することになるわけで……まぁ、いいか。ここにはここのルールがあるんだろうし。


 そんなことを話していると、白いロングのワンピースに黒いジャンパーを羽織った美少女が入って来た。一瞬誰かと思ったがお嬢様だった。見慣れぬ姿で認識出来なかったのだ。

 一テンポ遅れで慌てて立ち上がった俺をお嬢様が制止した。

「座ったままで構いません。今までとは関係が違うのです」

 正直にいうと俺とお嬢様の関係がわかりません。

「今、お茶を淹れますね」

 花代さんが台所に行こうとするが、それまたお嬢様が制止する。

「わたくしは白湯でお願いします。わたくしは喪に服さなければなりませんから」

 俺達が紅茶でお嬢様がお湯とか止めてください。こっちも飲みにくいです。そしてそれに反応したのは花代さんだった。

「いやですわ、お嬢様。貴族でもないのに喪に服して節制なんてしたら笑われてしまいます」

「ですが……」

「お嬢様が白湯を飲むならあたし達もそうします」

「いえ、あなた方は関係がないので----」

「あたし達だけ紅茶なんて飲めませんよ」

「……」

「庶民には庶民のルールがあるのですから、そういう関係を望まれるのならば、ルールに従って貰います」

 花代さんがおばちゃん独特のパワーでお嬢様を押し切ると台所へと消えていった。……庶民のルールか。俺も学ばないとなぁ。


 音もなく椅子に座ったお嬢様と二人っきり。さてどうしたものだろう。

「馬野、わたくしは我儘でしょうか?」

「トンデモナイ!」

 意外なことにお嬢様から話を振ってきただけでなく、思ってもいない質問をされ、声が上ずってしまった。お嬢様程自制的な人は多くはないだろう。

「何故そんなことを仰るのですか?」

「例えば先ほどのピエール様の申し出……。もちろん額面通りには受け取れませんが、実際に家名の再興、わたくしの為に働いてくれていた人達の再雇用を考えれば申し出を受けていた方が良かったのではないかと……」

 お嬢様は申し訳なさそうに口にする。

「俺には難しい事は分かりません。しかし良くも悪くもお嬢様は家を背負うことがなくなったのですから、自分のためを考えて、自分のために行動しても良いのではありませんか?」

「そんな無責任な……いえ、ごめんなさい。そう言われてもわかりませんわ」

 お嬢様は一瞬だけ色をなしたが、すぐに冷静になり、困ったような表情を見せた。

「そうやって生真面目にならなくても、自然に、自分が思うままにすれば良いのだと思います」

 お嬢様の自分が思うままは、やっぱり責任を負うことなんだろうなと思いつつ月並みな回答しか出来なかった。


 問答が終わると花代さんが淹れたての紅茶にクッキーを盆に載せてやってきた。この世界にもクッキーなんかあったんだと、今更の驚きである。そして驚く人がここにも一人。

「その茶色いのはなんですの?」

 目を丸くしたお嬢様が花代さんに質問をぶつける。見たことがなかったらしい。

「クッキーという庶民のお菓子でございますよ」

 花代さんが笑顔で応える。バターとかを使っているけど、ここじゃ庶民のお菓子らしい。牛なんて見たことないのに……。馬がいるんだから牛がいても不思議はないけどさ。

 興味津々に見ていたお嬢様だが、我に返り、クッキーから目を逸らした。

「お爺様の喪も明けてないのにお菓子なんて言語道断ですわ」

 そして横目でチラリとクッキーを見る。

「あら、お菓子と言っても質素なものですよ。それこそ、昨日までのお嬢様の喪中食よりも全然安いのですし」

「ですが……喪中に楽しもうという、その気持ちが問題なのです」

「大旦那様はお嬢様には楽しんで欲しいのではないですかね?」

 花代さんに乗じて、そっぽを向くお嬢様に大旦那様の気持ちを騙ってみる。いや、たぶん実際そうなのだろう。お嬢様の為にパンケーキを用意していたくらいだ。

「たとえお爺様がそうであってもですね……」

「貴族ではないのですから、誰が咎めるというのです? それに食べ物は“美味しい”と感謝して頂いた方が命を捧げた食物の為にもいいですよ」

「物は言い様ですわね」

 全くもってそうである。クッキーって何か命を消耗してたっけ? ああ、卵を使ってたか。だけど無精卵なら……。

「そこまで言うのなら、一つだけ頂きますわ」

 お嬢様はそう言ってクッキーを口に運ぶ。咀嚼後、一瞬頬が緩んだ気がする。

「ま、まぁまぁですわね。庶民もなかなかの物を食べていることですわね」

 お気に召したらしい。そうなんだよな。日本だったら友達とファストフードを放課後に食べてるくらいの年齢なんだもん。偉そうにそう思った俺は高校にすら行ってない引きこもりだったけど。

「学校の南門近くの喫茶店なんかも評判らしいですよ」

 以前にバトラーさんに言われて、五月女に虹色軟膏を届けたお店を思い出したので伝えてみる。

「庶民生活に慣れる為にも、一段落着いたら行ってみるのもいいかもしれませんわね」

 お嬢様が満更でもなさそうな表情で頷いていた。


 お嬢様が気持ちを切り替えるほどのクッキーはどんなものかと、俺も食べてみる。甘すぎる、パサパサ、粉っぽい。うん、美味しくない、っていうよりも……不味い! 俺の舌はこの世界の庶民とは合わないらしい。“美味しい”って思った方が命への感謝になるだって? 飽食時代に生まれ育った俺には方便でしかないんだな、やっぱり。

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