ウマとカイト
カイトが俺の目では追いきれない攻撃を次々と繰り出す。俺はというといくら攻撃を受けようとも一ミリとして動かない。打撃が駄目ならとカイトは時として掴もうとしてくるが、エネルギーと摩擦係数を抑えられ滑って上手くいかないようだった。
何をしているかというと、今日も今日とてカイトとの朝練である。権蔵の危惧が事実なら俺がなすべきことでの最優先はファームル伯との距離を縮めることであるが、これがなかなかに厳しい。珍しい食べ物を用意するだけでは、貴族、それも超守旧派の名門貴族の当主相手にはお目通りも叶わない。そこから陳情をして特別な便宜を図ってもらえる関係にまで進めるとなると中々に絶望的である。美味しい飯や変わった食べ物程度で心を動かされるのならば、変化を嫌うこの世界の中でも突出した保守性なんて維持できていないだろう。そういう意味では当然といえば当然の結果なのだが、俺としてはなんとももどかしい。
そんなわけで権蔵に期待されている逃亡後の用心棒のために……というわけでもないのだが朝練なのである。
もっとも鍛えたところで意味があるのかないのかは不明である。なにせ種としての基礎体力が段違いだからである。たとえボクシングのチャンピオンでも素手では豹には逆立ちしても勝てないのと同じだ。しかもここの連中はその豹さえも一捻りで倒してしまいそうであるのだから人間じゃどうしようもない。武井壮辺りに攻略法を聞いてみたいところである。ただ、カイトに関しては慣れてきたのかある程度は対応できるようになってきてはいる。
カイトとの朝練でわかったことは富蔵さん辺りまでなら相手の動きに合わせて攻撃の無効化などをしても間に合ったが、それよりも上のレベルであるカイトとなると反応が追い付かないということだった。
それではどうすればいいかというと、事前に攻撃を予測して打撃等の衝撃に合わせてエネルギーを消滅させるように予約しておくのだ。老紳士に対しておこなったように、そもそもの動きを質量化する方法もあるのだが、あれは室内で、かつ、そこで戦うことが分かっていたから事前に準備ができていたという特殊条件下ならではの方法であった。
今、俺が涼しい顔でカイトの攻撃を無効化してる方法は、老紳士に対しておこなった方法の縮小、汎用化バージョンである。具体的には俺の周りに薄くナノマシンを散布し、一種の索敵用、警戒用の空間を数センチから数十センチに亘って展開するのである。その方法は何でもよい。例えば汗と共にナノマシンを散布してもよいし、臓物をぶちまけたのならば血や肉片とともに散布するのもいいだろう。とにかく、何らかの方法で一種の結界を作るのである。
次にその結界に触れた物質の運動エネルギーや方向等々を時空コンピュータに分析してもらう。以前のような敵意等の意思を介在した攻撃としてではなく、意思の介在しない純粋な物質の動きとしてその衝突の瞬間や威力を計算し、処理する方法だ。
この方法にもいくつか弱点があるのだが、その最たる例が……。その時、俺の目の前で連打を加えていたカイトの動きがふいに変化した。同時に俺の体が吹き飛んだ。うん、これ。フェイント等の意思の介在するイレギュラーな運動の急な変化に弱いのだ。そして、無様に背中から胴体着陸である。
「うわっ‼ 大丈夫ですか!」
血反吐をまき散らした俺にカイトが心配そうに駆け寄ってきた。当然ながら心配には及ばない。
「大丈夫、大丈夫」
俺としては120点な爽やかな笑顔をカイトに送ると何事もなかったかのように立ち上がった。
「毎度、毎度のことですが驚かされますよ」
カイトの言葉に嘘は感じられず、素直に感心している風であった。
「しかし、攻撃が全く効かないかと思ったら急に軽くなって吹き飛んだり、大ケガをしたのかと思ったら一瞬で治ったりで底が見えませんね……」
底が見えないも何もそれが全てなんだけどなぁ。
「ところで……ちょっといいですか?」
カイトはいつになく深刻な口調で切り出した。
「ウマさんはなんで竜安寺なんかに仕えているのですか?」
質問の意味が解らなくて、思わず首を傾げてしまった。
「ウマさんの実力は一商人に過ぎない竜安寺には過ぎたるものです。もったいないですし、彼らも自分たちを貴族と勘違いしてしまうでしょう。そのようなことは彼らにとっても不幸なことです」
竜安寺なんかというだけあって貴族至上主義を隠そうともしない。いや、この世界ではそれが普通なのだろうし、その中でも極めて保守的な風土であればなおさらなのは想像に難くない。それこそ雇われている者を目の前にしてもそういう言い方をしても何も思わない程には普通なのだろう。
もっとも、その様な風土に染まっていない者がそれを聞いてどう思うかというのは別の問題である。事実、俺はかなり不愉快だったし、それが表情にも表れていたのだろう。
「ご気分を害されたのならば申し訳ないです。謝ります」
表情を読み取ったカイトが先に頭を下げてきた。
「しかし、あなたのような方がどこかに仕えるのならば貴族にすべきです。そうしなければ社会の秩序と安寧を害する行為に他なりません」
頭こそ下げたものの、その論調は一層に厳しいものであった。そんな自分の方こそ『社会の秩序と安寧』などという大上段にものを考えて、それに資するよう活動しているのかと逆に問いたくもなるものだろう。
「そういう君はなんでファームル伯に仕えてるの?」
そう考えた時には、すでに言葉に出ていた。これで食うためなんて言われた日にはどんな反応を見せるべきか。
「わたしですか?」
カイトは聞き返されることを想定すらしていなかった様子である。
「それは唯一、アンリ様のためです」
そして間を空けずに平然と言ってのけた。
「アンリ様に仕えるためにわたしはここにいるのです」
カイトは恥ずかしがるどころか、むしろ誇らしいと胸を張って再び言った。
「あの……それって?」
たしかアンリ様ってファームル伯レオン様の奥さんで、いわゆる人妻って奴だよな? アンリ様の顔は見たことがないけど、カイトに襲われた時の会話からおしめを換えるほどに年が離れているんだよな?
「なにを考えているのか想像がつきますが、わたしはアンリ様に対してあなたが思っているような想いはもったことがありません」
俺の想像が下種の勘繰りであり、今すぐにやめてもらいたいと言わんばかりの厳しい表情であった。そして長い息を吐いた。
「なるほど。あなたはわたしの様に誰かの為に竜安寺に仕えているというわけではないのですね」
カイトはまるで理解したかのように俺にそう言い放った。まだ存在しないお嬢様のためと言い返すわけにはいかず、いや、そもそも最近ではお嬢様のためという気持ちも薄らいでいたのだからカイトの言う通りなのかもしれない。そんな迷いもあってカイトに対して即座に反論できなかった。
「主を持たぬままに仕えるあなたには理解ができないでしょうが、わたしはアンリ様に心服しているのです。アンリ様の理想はわたしの理想であるし、アンリ様が大切に思うものはわたしも守っていきたいのです」
沈黙を弱さと判断したのかカイトは俺に反論の機会を与えずに続ける。
「あなたもわたしと一緒にアンリ様に仕えませんか? ここファームル伯領はアンリ様の理想郷です。知っての通り、食べ物は美味しく、自然は豊かで、治安は良く、領民も穏やかです。平和すぎて少々退屈かもしれませんが住むには理想的な場所だと思いませんか?」
カイトの言い分ももっともだった。接待モードなのだろうが屋敷での生活は日本での引きこもり生活以上に豊かであり、俺が知る限りのこの世界のどこよりも平和で食べ物も美味しかった---もっとも食べ物関してはこちらでいう貴族向け、俺から言わせると日本人向けって意味だが---。
「わたしの調べたところでは竜安寺商会に未来はありませんよ。当事者の一人であるあなたはもっと詳しいでしょう。悪あがきのために権蔵ともどもここにやってきたのでしょうから」
カイトは権蔵や俺の動きはお見通しだと、さらに勧誘を仕掛けてくる。
「あなたも竜安寺家には世話になったから恩義も感じていることでしょう。当家では竜安寺商会を支ええることはできませんが、権蔵や先ごろやってきた幸子、節子母子くらいなら保護ができます」
カイトの話はいつの間にか竜安寺商会の破たん後に移っており、奇しくも権蔵の危惧していた幸子さん達の身の安全の話にまで進んでいた。
「富蔵さんは?」
「彼の保護は無理です。彼を保護してしまうと遺産争い、領有権主張諸々で不要な問題や疑念を抱え込みかねませんから」
富蔵さんが貴族のハーフなので警戒しているのだろう。
「もちろん、権蔵たちの保護の件もあなたが仕えればという前提ですが」
カイトはそう念押しした。
……悪い話ではないと思った。正直、俺はここでの生活が気に入っている。散歩がてらに屋敷の周りを見て回るとのんびりとしているが人の好い人たちが多い。食べ物は俺好みだし、待遇だってものすごく良い。幸子さん達を最悪の事態から守れるのも理想的だ。
問題は俺のスケジュール表にそんな話がなかったことだ。下手をすればお嬢様が生まれない世界になりかねない。そしてなによりも富蔵さんが保護されない。ようするに満額回答ではないのだ。
「しばらく保留したいのだが?」
「迷ってる相手には急かす方が良いのですが、あなたには真意から仕えて欲しいのでしばらくは待ちます。ただ、いつまでも……というわけにはいきません。こちら側の都合もありますし、そちら側の……竜安寺が破たんしてからでは保護等が間に合わなくなるかもしれませんからね。決断は早めにお願いします」
カイトは積極的に急かす感じではなかった。そしてもう一度「よく考えてみてください」と頭を下げた。




