幸子と節子
「なんでウマの指すぐに取れてまうん?」
権蔵の代わりに俺を出迎えた関西弁訛りの幼女が首を傾げて俺を見ている。血塗られた指を片手に純真な表情を浮かべるその様子は差し詰めサイコホラーの類であろう。
「節子! ウマさんが困ってるじゃないか!」
そこに常識(?)的な注意が飛んできた。いや、指を千切った事実に対しては軽すぎる注意ではあるが、同様の事実に対してほのぼのモードで微笑みを向けられてた半年前に比べれば遥かに常識的な対応だろう。
そんな常識人である権蔵から逃げるように節子お嬢様は俺の後ろに隠れた。
「ウマさんも節子を甘やかさないでください。勘違いして困るのは節子なんですから」
そしてなぜか注意される俺。指を千切られた被害者ですよ?
そんな被害者の影から加害者が権蔵に対してあっかんベーと舌を出す。
「アイツ嫌い! ウマ、アイツをやっつけて!」
かような下知を下されても無理でございますよ? 幼女なお嬢様の方が俺よりも強いし、権蔵お兄様も俺よりも強いですもの。
「せっちゃん! お兄ちゃんに対してその言い方はないでしょ!」
そこにおっとりとした雰囲気を漂わせた叱り声が響いた。店の奥からやってきた幸子さんが発したものだった。
「こんな人知らないモン!」
怒られた節子ちゃんは幸子さんからも逃げるように店の奥へと消えていった。それに対して幸子さんは「もうっ」と諦めともとれる不満の声を漏らした。
「ウマちゃん、お久しぶり。せっちゃんが挨拶もしないでごめんなさいね」
「挨拶代わりに指を千切られました」なんていう訳にもいかずに「いえいえ、俺の方こそ挨拶が遅れました。お久しぶりです」なんて深々とお辞儀をした。
「せっちゃんったらウマちゃんに会えるって随分と楽しみにしてたのよ。権蔵ちゃんには全然懐かなくって、ここに着てからずっとあの調子なんだけど」
「そりゃ、あの年になってから『お兄ちゃんよ』なんて見ず知らずの人間を紹介されたら仕方ないですよ。ウマさんもそう思いますよね?」
権蔵はそう言って俺に同意を求める視線を送ってきた。
「でもねぇ……」
幸子さんは困ったように頬に手をついてため息を漏らした。
「そのうち理解できますよ。僕だって連絡でしか知らない妹を会ってからすぐに妹と認識できたのは理性のおかげなんですから。節子もそのうちに慣れますって」
「だといいんだけどねぇ……」
そして幸子さんは再びため息をついた。
「ところで富蔵さんは?」
愚痴っぽい空気に巻き込まれてはたまらないので俺は幸子さんに別の話題を振ってみた。
「あ~……それはですね……」
「そうそう! ウマちゃん聞いてよ! ダーリンったら酷いのよ!」
幸子さんの代わりに答えようとした権蔵を遮り幸子さんがまくし立てた。
「ウマちゃんを勝手に行かせたものだからせっちゃんと一緒に無視してたの。そしたら三か月くらいしたらせっちゃんを連れて権蔵ちゃんとウマちゃんの所に行けって拗ねたのよ! 全くこんなのってある? せっちゃんはウマちゃんに会えるって喜んでたけど……やっぱり、わたしはねぇ? 酷いと思わない?」
目を潤ませた幸子さんが早口で訴えてくる。俺に言われても困るんだけどなぁ。
「まぁまぁ、母さん落ち着いて。そんなにまくし立てられても……ウマさんが困ってるじゃないか」
権蔵が俺の気持ちを代弁してくれた。そこに幼児の声が聞こえた。
「ウマー! これ直して~」
節子ちゃんが奥からオルゴール片手戻ってきたのだ。
「ほら、節子。僕が直すから……」
俺の代わりに返事をした権蔵に対して、節子ちゃんはオルゴール盗まれないように全身でかばった。
「せっちゃんたらウマちゃん以外にはそれを触らせないのよね」
先ほどまでの訴えはどこへやら幸子さんは目を細めて俺と節子ちゃんは見る。
「随分と懐いちゃってウマちゃんから集めた指の骨も大事に集めてるのよ」
なんてほのぼの口調で続けますが、それはホラーですよ? そんな感想を抱いた俺の耳に権蔵が口を寄せてきた。
「あのオルゴールは……あの手のお守りは特定箇所で壊れる様になっているので、そこさえ直してしまえば修理の手間もなく、普通に廻り続けますよ」
それができれば苦労はないって。直す……元の状態に戻すのにも苦労はないけどね。
俺は節子ちゃんからオルゴールを受け取ると今まで通り購入時の状態に戻した。壊れやすい箇所が解らなければ直すこともできない俺は元に戻すことしかできないのである。
節子ちゃんはオルゴールを受け取ると嬉しそうに曲を鳴らす。耳にタコができるほど聞かされた物悲しいメロディーが辺りに流れた。
「……それで直るんですか?」
それを見ていた権蔵は呆れたと驚きが混じった口調で呟いた。今度からは中身を覗いたりしてから戻そう。その方が直したっぽいから。
「さて、節子……」
権蔵がそう声をかけると節子ちゃんは今度は幸子さんの後ろに逃げた。権蔵はやれやれといった感じで軽く息を吐くと今度は幸子さんに声をかけた。
「それじゃあ、母さん。節子をお願いします。僕はウマさんと少し話がありますので」
「や! せっちゃんもいる!」
それに節子ちゃんが反発した。
「せっちゃんはウマちゃんとバイバイするのが嫌なんだもんね」
幸子さんの問いかけに節子ちゃんが無言で頷く。きっと慕われているのだろう。なんだか照れるものだ。これで指を引き千切らなければ可愛らしい子供なのだが……。
「う~ん……困ったな」
権蔵が頭を掻いた。それを見かねたのか幸子さんが節子ちゃんに優しく語りかけた。
「これから権蔵ちゃんとウマちゃんは難しい話をするみたいだから奥に行きましょう……ね?」
節子ちゃんは駄々をこねるように何度も首を横に振る。
「ウマちゃんも困るのよ? ウマちゃんを困らせたいの?」
節子ちゃんは再び首を横に振った。
「それじゃあ、一緒に行きましょうね」
幸子さんは優しく節子ちゃんの手を握ると奥へと誘導していく。節子ちゃんは未練がましく俺の方を何度か振り返りながら歩くと最後は渋々といった感じで小さく手を振って奥へと消えていった。
「さて、ここでは何ですから、僕らも店の奥に行きましょう」
権蔵は店員に「執務室には誰も近づけるな」と言付けて俺を店の奥へと招いた。
執務室は非常に簡素な作りであった。貴族の屋敷での生活に慣れたからという訳でもなく質素なのである。塗りもなされていない土壁に学校にあるような机と椅子。それに布張りのソファーとそれに合わせた木目調の小さなテーブル。それらが六畳程度の空間に収まっていた。
「母と節子がナウル伯領に向かわず、こちらに来た理由を話さないといけませんね。……これはウマさんの仕事にも関係することなので」
俺を座らせるなり権蔵はそう切り出した。
「理由は簡単でナウル伯の継嗣が噂以上の変態、外道であったことです」
権蔵は随分と真剣な口調である。
「僕や父が集めた情報や父がナウル伯領近郊で直接見聞きしたことから導いた総合的な判断なのですが……。ナウル伯の跡取り殿は年齢が長じるにつき暴虐性に歯止めがかからなくなったようで……母や節子を見れば良くて慰み者、最悪残虐な手段で面白半分で虐げられる結果となったでしょう。現に多くの領民や出入り商人の子女が毒牙にかかったり帰らぬ者となっていますから。母と節子をこちらに向かわせた父の判断は正しいと思います」
権蔵はあっさりと言いながらも、その視線は俺の一挙一動を観察しているようだった。
「僕の考えではナウル伯はマサラ子爵に代わる後ろ盾にはなりえないと思っています。したがって、ファームル伯の勢力を伸長させつつ、かつ、我々との関係を一層深めて後ろ盾になってもらう他はないといえるでしょう」
そして俺を真っ直ぐに見据える。
「経済や産業、文化の方は僕がなんとかします。ウマさんにはファームル伯家との繋がり強めるように一層努力して頂きたいのです」
権蔵はファームル伯とは一度しか食事をしてない俺にそう依頼してきた。そして俺の自信のなさを見抜いたのか権蔵はふと目を逸らした。
「……もっとも、上手にいっても大きな障害がありそうなのですが」
権蔵はそう漏らすと話を続けた。
「その問題は後日、母さんたちがいない日に細かく説明します。僕としての理想はファームル伯の勢力が強くなり、かつ、竜安寺商会の後ろ盾になってくれることです。それが駄目なら早急に竜安寺商会を畳むべきだと思っています。元大富豪の夫人や貴族の血が流れていると噂されているだろう節子は物好きな好事家に狙われるでしょうが、そこら辺は僕らが頑張って守るしかないでしょう」
権蔵はなんとも嫌な話をしてくる。
「ですが、父の考えは違う可能性が高いのです。ナウル伯は現在の勢力、治水工事に伴う将来性ともに文句のつけようがありません。内容は知りませんが父の実家にあたる手切れをした貴族の家との密約のせいか、父自身の野心のせいか、あるいは従業員のためなのかは判りませんが、父はファームル伯の後ろ盾を得られなかった場合、竜安寺商会の解散を選択せずにナウル伯の後ろ盾を得ようとするでしょう。少なくとも現在の動きはナウル伯との関係を強める方向に動いています。それはファームル伯……こちらの不安要素が大きいのも影響してるのですが……」
権蔵は俺に決断を迫るようにしばしの間を空けた。
「もしファームル伯の勢力が弱いまま、あるいはその後ろ盾が得られなかった場合は僕は母と節子を連れて逃げるつもりです。ナウル伯に何を要求されるかわからないですからね。問題は逃げることができるのか、逃げた先になにがあるのか……明るい話にはなりそうにはないです」
権蔵は頭を下げた。
「人質をとったような卑怯な物言いで申し訳ありません。ただ、中途半端に成功してしまった以上は財産を放棄したから終わりという訳にいかないのです。自分たちの責任をウマさんに押し付ける形となっていることは否定しません」
だから、ファームル伯との関係を深めろと言われても食事だって一回しか一緒にしてないのに……。と、思っていたら権蔵の次の言葉そうではなかった。
「逃げる段になったらウマさんには可能な限りでよいので僕たちと一緒にいて欲しいのです。ウマさんがいれば並みの貴族程度なら問題なく追い返せますから。下種な条件を加えれば節子をウマさんの傍に置いてください。節子だって満更ではないでしょうし……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
あまりの展開に頭の回転がついていかなかった。
「節子ちゃんはまだ子供だし、そんな話をされても俺が困るよ」
「あと五年もすれば理解できる年齢でしょ?」
権蔵は不思議そうに聞いてくる。権蔵や富蔵さんの独立年齢を考えればこの世界ではおかしいことではないのか? いや、問題はそこじゃない。
「そんなことは気にしなくてもいい。……以前に富蔵さんから家族のように思っていると言われたんだ」
権蔵は神妙に俺の言葉に耳を傾けている様子だった。
「俺は結構うれしくってな。なにせ俺もそう思っていたところに向こうから言われたことだからな」
「……」
「ようするに家族同然なんだから、そんな遠慮はいらない。もし逃げるなら俺もついていくってことさ。今の俺にできることはそれくらいだしさ」
実際の実力は幼児に指を引き千切られたり『虫』の突撃で胴体に穴が開くレベルだが、この際それは脇に置いておこう。
「ウマさん……」
権蔵は俺の手を握り締めてきた。
「ありがとうございます。……いえ、よろしくお願いします」
権蔵はそのまま深く、深く頭を下げた。う~ん……安請け合いしちゃったけど、俺って何かできたっけ?




