挑戦
ファームル伯の屋敷の世話になってから三日目の朝を迎えた。
俺の今の心境を表現するのなら『ここの子になりたい』である。
なにがいいって、もうほとんど全てが最高である。
まず一つ目。ベッドがフカフカで何時まで寝ていても誰からも咎められない。ほんの少し前までカチカチベッドでもよい方で多くは野宿、それも『虫』や盗賊の襲撃というおまけ付きの毎日だったことを考えると天国と地獄以上の差がある。
二つ目は飯。この世界の飯の多くは味付けが酷い。いや、それでも食べられるだけマシな方でほとんどは毒、それも強酸性で歯が瞬時に溶けたり、強アルカリで肉が溶けたり、「ナノマシンがなければ即死だった」級の毒だったりで洒落にならないのばかりだった。それがここの飯はどうだろう? 東京の青山やら麻布やら六本木やらのお洒落な高級料理店でもなかなかにお目にかかれないだろう料理の数々。いや、東京には行ったことすらないし、高級料理店にも行ったことがないから全部想像なんだけどさ。おやつのクッキーやらケーキやらスフレやらもここはパリか⁉ ってレベルなわけだ。いや、海外には(以下略。
三つ目は環境。道中では風呂も碌に入れなかった。本質的には時空コンピュータとナノマシンの利用で清潔って意味だとお風呂に入らなくてもいいんだけど、精神的には入りたいじゃない? だけど実際は川で水浴びをするか、辺りに人がいないかビクビクしながら創造した浴槽にお湯を満たして緊張して入るかのどちらかだった。それがここではどうだろう? 若いメイドさんが個室で体を拭ってくれるわけだ。まぁ、力加減が地球人向けではないので普通の人間なら大けがをするだろう。若い女の子に手を出して大ケガってニュースは見るが若い女の子に体を拭いて貰って大ケガという話はとんと聞かない。いや、ニュースで大ケガを伝えられる諸兄においてはそのようなことをして貰ったウラヤマケシカラン奴が大部分であろうが、物理的に大ケガというのは流石にないだろう。いないよな? もっともこれについては大ケガは問題ではない。なにせケガはすぐに治せるし、そもそもエネルギーの打消しでケガ自体しないわけなのだから。むしろ女性免疫が低い俺にとっては個室で裸なのがなかなかの拷問である。よって丁重にお断りをして一人で入浴している。そう、入浴である。俺のリクエストに応えて広々とした湯船に並々と注がれたお湯を用意してくれたのだ。俺の家の風呂場の浴槽と違って精一杯に足を伸ばせます! ってレベルじゃないです。さすがに泳げないけど大の字になって沈むことができます! おまけにいい匂いのするなにかまで使ってくれています。花の香りと共にお湯からあがる毎日です。
人間の三大欲求は睡眠、食欲、性欲なんていうらしいけど、湯浴みの為に用意された女の子を性欲に入れれば全部満たされてしまうね。問題は俺の生存にはいずれも必要なくって完全な娯楽用の消費物と化してることなんだけど。問題なのかなこれ?
そして今日も上げ膳据え膳の一日が始まるわけだ。この世界に来る前のニート時代をより悪化させたような毎日で不安になるが人は易きに流されるし、そもそもがそんな人間だからニートな生活をしてたんだろうから多少は仕方がないよね? 孔子も性根がダメな奴はどうやってもダメみたいなことを言い残してた気がするし。
そんな感じで今日の朝食は何だろうかと期待して待っていたら、思いもよらない人物が部屋にやってきた。
「おはようございます。少しはここの生活にはなれましたか?」
カイトであった。
「なにか不便がございましたら何でも言いつけてください」
カイトはお辞儀をする。俺としては大満足の日々ですよ? いや、ゲームと漫画が足りないか。それは俺の方で用意した方がよさそうだけど。
「ところで、料理長があなたにお会いしたいそうです」
カイトは不便はないだろうと見越していたのか、俺のリクエストを聞く前にそう切り出した。
「ああ、そういえばそんな話だったな」
俺はここには料理の話で呼ばれたのを思い出すとともに、毎日美味しい食事を作ってくれている人がどんな人か知りたくなった。他にもお礼も言いたかった。「毎日美味しいご飯をありがとう」って。
カイトに案内された厨房は数十人が働ける広さであり、真っ白な石で作られていた。一切の汚れが見当たらない厨房は新品のそれとは違い明らかに数年、あるいは数十年、あるいはもっと使われていたと思われる摩耗が所々に見当たる。それでいて、道具の整備は行き届いており、その苦労を感じた俺は自然と嘆息を漏らしていた。
そんな部屋の中で角刈り頭の五十代の男が厳つい表情で俺の方を睨んでいた。根拠はないがその男が料理長なんだとなんとなく感じた。
男は俺たちの方に来るとカイトに頭を下げた。
「カイトさん。こんなところまでスイヤセン」
「いや、いつみても手入れの行き届いた厨房で感激させて貰っています」
カイトは男に顔を上げろといった仕草でにこやかに挨拶をかわす。
「それと隣の方が客人のウマさんです」
カイトの挨拶に合わせて男が俺を一瞥すると軽く会釈をしてきた。
「ウマさん。こちらが料理長の杉さん。さっそくだけど……」
「ちょっと待っておくんなまし」
紹介された杉なる料理長がカイトを制止した。
「あの竜安寺商会の紹介ですから味覚は確かなんでしょう。それにものは試しと庶民の舌では苦痛でしかない貴族用の料理を出し続けてもペロリと召し上がる。まぁ、事情は聞きやせんが貴族向けの舌を持っているのも間違いないでしょう」
杉は俺の一瞥だけすると以降はこちらを見ずにカイトに話しかける。
「ですがね、アッシはどうにもコイツがいけ好かないわけですよ」
初対面の人間にこんなことを言われるとなかなかにショックである。
「食事のマナーを覗かしてもらいやしたが、王都の今はやりの無礼風っていう奴で。アッシ達には合わないと思うんッスよ」
無礼風もなにもマナーを知らないんだから仕方がないじゃないか。
「それにこれ。こんな物を領内に流通させてる連中が信用できるとは思えないッスよね」
杉はそう言って『小さな棒』のようなものを取り出した。
「だけど、それのおかげで料理はしやすくなったんでしょ?」
カイトは表情を変えずに杉に応じる。
「ですけどね……こいつのおかげで火付け役だった爺様が一人解雇でさぁ」
杉は不満げである。
「まぁ、それはそれとしてですね。アッシとしてはこの方には竜安寺商会諸共に旦那様の土地から出て行って欲しいんでさぁ」
「杉! 出すぎだぞ」
カイトが杉をたしなめている。「料理美味しかったです」って言うつもりだったのに何でこんな目にあうのだろう?
「……ですけどね」
「杉」
「……」
杉は納得しない気持ちを隠さずにコンロの方へと向かった。
「……それじゃあこうしやしょう。今からアッシが料理を作りやす」
杉は『小さな棒』から熱線を飛ばすとコンロに火を着けた。なんだか見覚えがある棒と思ったら花代さんに使い方を教えてもらったマッチモドキだった。以前に権蔵に聞いた時にはなかったのに、ここ数年で開発されたらしい。
そんなことを考えている向こうでは料理長が手際よくチャーハンを作っていた。
待つこと数分。俺の前には黄金色に輝く米粒が盛られていた。
「コイツを食べて、口頭でそれを知らない相手にわかるように表現してもらいやしょう。旦那様や奥様へ地方の料理を説明するのには必要な技能ですし、アッシらもその説明を受けて料理をしなきゃならんのです。それができないなら用なしッスよね?」
杉料理長はカイトに確認を求める。カイトは「まぁ、理屈上はそうだな」って感じで頷く。これって俺が食レポしなきゃいけない流れなのか?
美味しそうなチャーハンなので仕方がなくという訳ではないのだが蓮華状の食器で口に含んでみた。
口の中でパラパラとほぐれるそれはまさにチャーハン、いや、上等なチャーハンである。あっさりとした油に口に広がるネギの香り。味付けは薄味、卵の味を感じることができる。これでスープなんかがあれば完璧だ。
「……」
「……」
チャーハンに舌鼓を打つ俺に視線が注がれる。何とも落ち着かない。
「どうですか?」
そしてカイトにコメントを求められる。
「えっと……お米粒が黄色くって美味しいです?」
料理長が嘲笑の笑みを浮かべた。いや、料理を口で表現するのって難しいんだよ? さすがに酷すぎた気もするけどさ。
「こいつはなんの役にも立ちませんぜ」
杉料理長がカイトにそう告げた。カイトはカイトでどうしたものかと思案顔である。
「ちょ、ちょっと待って!」
今の生活が気に入ってる俺としては追い出されるのは嫌だ。どうにか先延ばしができないかと思案した。
「そ、そうだ! 俺は作る方が得意なんですよ」
〝作る“じゃなくて〝創る”だけどね。それを聞いた料理長とカイトが笑った気がした。
「それじゃあ、こうしやしょう。奥様がたいそう興味を抱いている『山菜汁』と旦那様が気に入った『クラムボン』を作ってもらいやしょう」
料理長が挑戦的な眼差しを送ってきた。
「竜安寺商会はマサラ子爵の庇護を受けているのですから『山菜汁』を食べたことくらいはありますよね?」
カイトは中立的な口調で確認をとってきた。『山菜汁』の苦さは今も忘れない。当然とばかりに頷いた。
「『クラムボン』は竜安寺幸子さんの考えた料理と聞きましたが大丈夫ですか?」
カイトの再度の確認にも頷いた。
「それでは竜安寺商会の権蔵さんとも相談して材料調達等して作ってください。いいですか?」
まぁ、最悪〝創る“だけだしいいだろう。俺にとっては〝想像通りの退屈な味”であっても他人にとっては〝他人が想像した理想の味”なんだから。そういうわけで俺は二つ返事である。
「できなければ竜安寺商会諸共追放でお願いしやす!」
料理長の懇願を「検討します」とカイトが受け取っていた。そんな二人が意味深な笑みを浮かべていたのが少し気になった。




