学校
翌日、俺は学校に行った。バトラーさんに「もう使用人ではありません。今や喪に服す理由はないでしょう」とバトラーさんに押し出されたのだ。正直に言えば、荷物を纏めて出て行く使用人、脱力状態の使用人、慌ただしくも人が減っていく屋敷に耐えられなかったので学校に行く方が気は楽であった。
早朝の教室には誰も来なかった。普段は安寿が来るはずなのに珍しい事だった。しかし、その疑問はすぐに解消された。同級生が登校してきても、すでに竜安寺家の没落の噂は伝わっているのか、腫れ物に触るように誰一人として近寄って来なかった。一方で、それだけに周囲の話がよく聞こえる。その中で口がさない女生徒達が噂をしていたのだ。
「藤原さんは特別科だって」
「そりゃ、安寿の治癒魔法は凄いもん。今まであたし達といた方がおかしいって」
「ねー。竜安寺さんの意地悪が無くなったら、そりゃ特別科よ」
「しっ。聞こえるって」
なんて噂話のあとにこっちをみていた。俺に気を使ったつもりのようだが、丸聞こえである。
元々は安寿を口説いたり、嫌がらせをしたりする為に通っていた俺はどうなるかな。まさか追っかけて特別科に行くことはあるまい。もはや学校に来る意味が無さそうだし、学費だってどうなっているのか不明だ。
そんな感じでぼんやりと授業を受けているうちに昼休みとなった。そういえば、弁当がない。どうしたものかと腹を擦っていると、乱暴に教室のドアが開かれた。
「ううぅ~」
不機嫌そうなルゥがコメカミを押さえながら入ってきたのだ。
「おう、ここに居たか」
赤みを帯びた濁った眼で俺を見据えている。微妙に怖い。
「二日酔いは無いのか?」
「特別そういったものは……」
ハガン候に酒を飲まされた時になった、頭痛、吐き気、集中力の欠如諸々の苦痛を思い出す。おそらくはルゥも同様の苦痛を味わっている最中なのだろう。
「ぬぅ……、悔しいのぅ」
元々渋かった顔をさらに渋めて、文句を言いたげに言葉を漏らしている。
「ああ、そうじゃ。今日から貴子ちゃんの家に泊めて貰いたいのだが構わんか?」
ルゥは大旦那様の屋敷に逗留していた事を思い出した。スチュワートに屋敷を取られて出てきたのだろう。
「実は……お嬢様の屋敷も、その----」
ルゥは言い淀む俺を見て事態を察したのか、面倒くさそうに頭を掻く。
「ぬぅ、そうか。無駄足だったか。頭が痛いし、気持ちも悪いから我は帰る」
ルゥは体調が悪そうにふらつきつつ「あれもしないといけないのう。メンドクサイ」などと、ぶつくさ独り言を言って教室から出て行った。う~ん自由だなぁ。
折角なら飯でも奢って貰えば良かったと後悔したのは姿が見えなくなってからだった。
空腹に耐えながら、午後の授業に入ったが、その一コマ目が終わると同時に囁き声が教室のそこかしこで湧き起きた。何事かと思い、生徒たちの視線の先を追うと、金髪を縦ロールにした見慣れぬ美少女がブレザー姿で教室に入ってきた。いや、違う。俺は彼女を知っている。ああ、なんということだろう、あれはお嬢様ではないか。
「お嬢様」
俺は堪らず駆け寄ると声をかけた。
「空いている席はどこかしら?」
「あそこの窓際の----」
「そう、わかりましたわ。下がりなさい」
安寿が座っていた席を指し示すと、お嬢様は優雅に着席した。
お嬢様は今日から普通科ということらしい。いくら貴族じゃなくなったからと言っても昨日の今日じゃないか。しかも、編入の紹介もないとかどうなっているんだ。憤る俺に嘲るような笑いと、どこか愉快そうな声が聞こえる。
「まさに驕れるものも久しからずね」
声の主を探そうと振り返ると、声が止む。「今のは誰だ!」と怒鳴ろうとすると、別の声がした。
「馬野、止めなさい」
お嬢様だった。
「しかし……」
「くだらないことです。それに事実ですから甘んじて受け入れます」
「……」
「なにより、お爺様の喪中に揉め事は起こしたくありません」
非常に落ち着いた声であった。
なんとも腹立たしいが、残りの授業を大人しく受けた。授業を受けているうちに冷静になる。仮に喧嘩にでもなったら俺は一撃で瀕死じゃないか。俺の弱さを知っているのに、振り返ったのに応じて笑いを止めた同級生は内心では言い過ぎたと思っていたんだろう。うん、そういうことにしておこう。
なんとか自分を納得させた俺は、授業が終わると同時にお嬢様の席へと直行した。
「お嬢様、お荷物を……」
「そうですわね。借金分は働きなさい」
借金の事を知っているらしい。ってことは、住み込みで働く先ってお嬢様の家なのか? なんとなく想像していたが。
「なんだ、なんだぁ~? 貴族でも無いくせに、使用人モドキを顎で使ってお嬢様気取りかよ」
先ほどとは異なる明確な悪意をもった言葉を直接にぶつけられた。
みれば、特別科の制服を着た二人組。それも見覚えがある男子生徒だった。そう、お嬢様の取り巻きだった亀島と栗林だ。
「どこかの成金貴族の所為で俺達移民系貴族が益々舐められちまったよ」
「元だろ、元」
「そうだったわ。元貴族の貧乏人な」
二人が大声で喚き、俺達の方へとやって来た。
そして亀島がお嬢様の机を叩くと、そのままお嬢様の顔を覗きこむ様にして、話しかける。
「なぁ、アンタもそう思うよな」
「……」
無言のお嬢様。
「自由民風情が貴族様の質問を無視していいと思ってんのかぁ? あぁん⁉」
「……」
やはり無言。
無視を決め込むお嬢様の前で亀島がハンカチを見せるとこれ見よがしに床に落とす。
「拾え」
「……」
「貴族様に腰をかがめて物を拾わせる気なのか?」
お嬢様がそれを拾おうと動こうとした。
「態々、特別科から来るとは随分と暇な人も居るものですね」
我慢できなくなった俺が口を開いていた。二人の注目が俺に集まる。不味ったか?
「お前、たしかコイツの使用人だったよなぁ?」
お嬢様を指さしながら栗林が俺に凄んできた。ちょっと前まで取り巻きだったのが、今じゃこれだ。
「お前もさ、主家が滅ぶ瀬戸際だったら死んででも抵抗して見せろや」
「俺はぷにゅに負けるくらいなんで、役に立てるとは思いませんが……」
無害・無力をアピールしてみた。
「死ぬことに意味があるんだよ!」
「あなたに言われる筋合いはない!」
「馬野、黙りなさい」
栗林の怒鳴り声に応じて俺も怒鳴っていた。それをお嬢様に咎められた。
「……俺が拾います」
そうだ、露払いは俺がすればいいんだ。すると、
警告
の赤文字が浮かんだ。そして栗林の右腕に赤い矢印、そしてその後の軌道を矢印が示す。コイツ殴る気だ。俺がぷにゅで死にかけたのを知っている癖に……だ。
だが、来ると解っていれば大した問題はない。栗林が殴り掛かって来たが、俺はそれを難なくかわす。お嬢様の鞭に比べれば遅いどころの話ではない。ついでに隙だらけの足を払って転ばせてやった。
派手に机を巻き込んで転倒した栗林は顔を赤くして怒鳴る。
「ぷにゅに殺されかかる様な奴だからと手加減してやったのに、許さんぞ!」
さっきのでも俺は十分に死ぬし。どちらにしても当たらなければ良いだけだ。
そして後ろからは大爆笑。
「今のお前ってぷにゅ以下だぜ! すげぇウケるんだけど」
「うるせぇ!」
笑う亀島に栗林が怒りをぶつける。亀島に栗林を手伝う気はないようで安心した。いや、彼らからすると人間離れした弱さを持つ俺に二人がかりという選択肢は初めからないのだ。彼らが貴族を意識する限りだが。そして、一対一なら避けきる自信がある。
「馬野、謝りなさい」
そんな俺にお嬢様がこんな指示。
「謝られても許す気は----」
一方で、そんな栗林は踏みつけられた。誰にだって? 後ろから来た二人組に……顔面を。
「何か踏んだか?」
「机が散乱しておりますから本でも踏んだかもしれませんね」
「そうか、庶民の教室は荒れていていけないな」
「仰る通りでございます」
その二人は栗林のことなど意に介さずに歩きながら話している。
「お、おい。てめぇら----」
栗林が前を行く二人に抗議しようとして怒鳴るが途中で固まった。
「何か言ったか、ロベルト」
「いえ、どこかで虫が鳴いたのではないかと思います」
二人組はピエールとロベルトであった。
「なんだお前らは?」
亀島の方が二人に質問を飛ばす。
「ああ、貴子嬢! 何というみすぼらしい恰好を! そしてそれでも失われぬ美しさよ!」
ピエールは亀島を無視してお嬢様に感嘆の声をあげた。
「おい----」
無視された亀島の口を栗林が塞いだ。
「馬鹿ッ。九伯家のピエール様だよ」
亀島の顔から血の気が一気に引くのが見て取れる。人間って実際に青くなるんだな。
「いや、知らぬ事とはいえ、ご無礼を……」
「ロベルト、虫が五月蝿い。貴子嬢との話の邪魔だから追い払え」
ロベルトは無言で一礼すると、二人を見やる。栗林と亀島もそれで察したのか逃げる様に教室から出て行った。
二人が出て行くとピエールがお嬢様の前で跪いた。
「此度の事にはまことに胸を痛めております」
まるで台詞を読む様に滔々と続ける。
「しかし、これで僕らの前に障壁はなくなりました」
そして懐から小箱を取り出すとそれを開ける。
「貴女は貴族の世界でこそ輝く女だ。是非、僕と結婚して欲しい。そうすれば、後々は九伯家夫人として社交界の華となることでしょう」
と、唐突のプロポーズ。
「お気持ちは有難いのですが、そのお話はお受けできません」
お嬢様は即答。
「判っているとは思いますが、例の……リチャードとの婚約は当然ながら無効になっておりますよ?」
理解できないと言った感じでピエールが狼狽える。
「そうですわね。あえて理由を挙げるとすれば、現在は喪中ですから。それでは御不満でしょうか?」
「いや、それなら喪が明けたらということでどうだろう? 僕と結婚するだけで貴族に返り咲くことができますよ」
「その様な事を仰っている限りは、わたくしの気持ちはわからないでしょう。それではピエール様、御機嫌よう」
お嬢様は以前と変わらぬ優雅な一礼をピエールとロベルトにすると、俺に一言。
「馬野、帰りますわよ」
俺はお嬢様の鞄を机から取ると、教室から出て行く高貴な人を急いで追いかけた。