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完敗

「とりあえず……ウマさん。ズボンを履きましょう」

 権蔵は頭が痛いのかこめかみを抑えながら苦しそうに俺に言ってきた。しばらく見ないうちに片頭痛でも患ったのだろうか?

 別段ズボンを脱いでおきたいわけじゃない俺は、唯々諾々とズボンを引き上げる。しかし再びずり落ちた。重力に魂をひかれたズボンの末路である。単に摩擦がないから踏ん張りが効かずに滑り落ちてるんだけどね。

「ウマさんの趣味とその優先順位が高いのは知っていますけど、さすがに場所と相手を選びましょうって。僕らにまで迷惑がかかるじゃないですか」

 権蔵はなぜか心底呆れたように文句を垂れる。『ウマ兄ちゃん』と呼んでいた頃の面影はすでにない……と言いたいところだが、あの頃から俺に対してはこんな感じだった気もする。


「さっきから、『ウマ』、『ウマ』って、まさかその変態が竜安寺の『裸の錬金術師』なのか⁉」

 少年御者が驚いたように横から口を挟んできた。

「そういえば紹介がまだでした。こちらは竜安寺商会の『噂のウマ』さんです」

 権蔵は少年御者に俺をそう表現した。っていうか『裸の錬金術師』ってなんだよ! あれか? 手をパンって合わせると色々と物質を作り替えられるのか? 俺の場合は手を合わせなくても物質を作り替えられるし、小さな太陽も造れるからむしろラスボスの立場だな。~NAKED ALCHEMIST~ってアニメ化狙えちゃうじゃん。横文字にするとかっこいいし! ……アニメ化は放送コードに引っかかるか?

「ウマさん! なにをぼんやりしてるんですか!」

 妄想の世界に引きこもっていた俺に権蔵の声が届いた。

「あちらはカイト様。ファームル伯レオン様令夫人アンリ様の従者です」

 権蔵は少年御者をそう紹介した。

「そしてその奥の馬車に居りますのがアンリ様です」

 権蔵が白塗りの馬車を恭しく示す。

「そこにいらっしゃるのが、権蔵さんが常々言っておられた方かしら?」

 権蔵の紹介に応じるように馬車から声がした。その声は森深くの湧水のように透き通っていた。

「アンリ様はこちらを見てはいけません! 下郎も早くせめて下着だけでも履かぬか!」

 カイトなる少年御者は慌ただしく馬車と俺の双方に怒鳴った。俺が何をしたって言うんだよ。たかだかパンツを履いていないだけじゃないか。顔を燃やしてきた相手に怒鳴られる筋合いはないと思うのだが。

「ウマさん、お願いだから……」

 権蔵も懇願してきた。だから俺が何を(以下略。殴られそうだったから摩擦係数を下げただけっていうのに……。

「何を騒いでいるのかしら?」

 馬車の中の人影がそう言って動いた。

「アンリ様! 見てはなりません! お目が穢れます!」

 カイトが酷い物言いでその人影を制止する。いくら俺が庶民だからって、そこまで言うことはないだろう。

「ほら、せめてこれ!」

 権蔵はというと、タオルのような布切れを俺に寄越す。これでどうしろっていうの?


「あらあらあら」

そして愉しむような、からかうような女性の涼やかな声が馬車の方からした。

 確認すると馬車の窓から一人の女性が俺の方を見ていた。

 顔の半分ほどは羽根つきの扇で隠しているために全貌はわからない。ただ、遠目に見ても間違いなく美人であろうことは容易に想像できた。

 陽の光を受けて煌めく金髪に、整った眉、どことなく凛々しさを湛えた目元。これで鼻や口元を明らかにしたら不美人でした……なんてなったら詐欺だろう。

「アンリ様! 見てはなりませぬ! 見てはなりませぬ!」

 カイトが両手を広げて馬車に駆け寄る。

「生娘でもあるまいし、さして珍しいものでもありませんし驚きませんわ。世の殿方にはだいたい付いているものですからね」

 馬車からこちらを見ている女性の目元が笑ったようにみえた。

「カイトのおむつも換えたことがありますのよ」

「それとこれとは違います!」

 女性の弁をカイトが顔を赤らめて否定した。

「あらあら、自分は特別なのかしら」

 女性の方が震えている。おそらく笑っているのだろう。

「しかし、自慢気に見せて回っていると噂を聞いていたのでどんなものかと期待していたのですが……」

 女性の視線が少し下がった気がした。

「なんというか……ご愁傷様でございます」

 俺を憐憫の籠った目で見つめた女性が軽く会釈してきた。

「それでは後日会うこともあるでしょう」

 その女性にカイトが口を寄せて何事かを囁く。集音できる俺には何を言っているのかハッキリと聞き取れるのだが。

『アンリ様。合流したばかりの今のうちにあの変態の話を聞いて竜安寺商会の底意を探りましょう』

『その必要はありませんわ』

『しかし!』

『カイト、行きますわよ』

『……はい』

 話が終わったカイトは俺を睨むように一瞥すると馬車の御者台に飛び乗った。

「それではごきげんよう」

 女性が俺にそう挨拶すると馬車が動き出した。そして馬車の音に負けない高笑いが辺りに響きわたる。

 その後には何とも言えない敗北感に襲われている俺と途方に暮れる権蔵がそこには残されていた。

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