のびたカップラーメン~見た目はかくも変わるもの~
気が付けば三分を過ぎていた。正確にはお湯を入れてから五分三十二秒ほど経っていたのだ。一時期、カップうどんを推奨時間よりも長くお湯に浸すなんて食べ方が流行ったが、あれは麺が太いからスープを吸って美味しいのだ。カップラーメンじゃグズグズの麺で美味しくないだろう。ちなみに俺はカップうどんをスープと一緒に鍋で五分間煮たのが好きだった。なんて関係のない思い出とともにのびたラーメンを一啜り。思った通りの味だ。
味といえば、ここの世界の連中の味覚はおかしい。富蔵さんから潤沢な資金を渡されたので、色々な街で名物料理や美味しいと評判のお店に結構行けたのだ。しかし、美味しいと評判の店は極端に甘かったり、苦かったり、酸っぱかったり、塩辛かったりで、極めて酷い味付けだった。たしかお嬢様もベタベタに甘いクッキーを絶賛していたので、これがこの世界の『美味しい』なのかもしれない。俺自身の好みではないがデータとして採っておけば再現ができるし、接待にも役立つだろう。それに俺の好み云々以前に、地球人にとってはこの世界の食べ物の八割方は毒でした。しかもそのうちの半分くらいは致死性の毒。
ただ、貴族風と称する店----実際の貴族は専属の料理人等を雇っているため、貴族向けの店は王都のように貴族が多く住む大都市以外は基本的には存在しない----の食べ物は割と地球人、少なくとも日本人である俺にとっては割と食べられる味だったし、毒成分も少なかった。たしかにリチャード様に貰ったサンドウィッチは美味しかったし、地球人の俺に対してもおそらくは毒ではなかった。ただし……こちらの人たちからすると圧倒的に不人気な味らしい。それでもそんな店が成立できる理由は三つあるという。
一つは旅行や視察で貴族が食事処として立ち寄ることがあるので補助金が入っていること。
二つ目は一部の人、貴族を筆頭とした魔力が極端に高い人らは『貴族風味』と呼ばれる味を好む傾向にあること。
三つ目は『貴族風味』を好む人らは世界のメインプレイヤーであり、普通の高級料理の十倍、百倍の値段を気兼ねなく支払うことだ。
そんな理由で稀に来る大金持ちのお客さん相手に開店休業状態でも絶賛営業中ってことだった。
……いくらなんでも高すぎて富蔵さんに後で怒られないか少々不安だったりもする今日この頃だ。
体力だけじゃなく味覚も違うので、やはり地球人とは違うのだと深く認識せざるを得なかった。もしかしたら、これは俺の最近の悩みと関係があることなのかもしれない。
実は性欲の減退が著しいのだ。俺はまだ二十歳そこそこだ。普通であれば一番お盛んなピークは過ぎてもまだまだ頭の中の六割、いや、八割はピンク色で染まっていてもおかしくはない年頃だろう。にもかかわらず、ピンクどころかピンとこない。ここに着てからの四、五年間、色々な人と出会い、色々な場面にも出くわした。美人と思ったり、可愛いと思ったり、スタイルが良いと思ったり、足が長い、乳が大きい、ちらりとうなじが見えたりとか色々あった。普通ならドキリとするし、興奮もするだろう。俺もドキリとまではするが、どうにも興奮とまではいかないのだ。
主たる原因は時空コンピュータによる肉体の完全性の維持なのだと思う。露骨な言い方をすれば、性的に興奮する意味は子供を作りたいってことだ。子供を作るには自分の肉体の一部を剥がして、染色体を二つに分けて、相手の染色体の一部と掛け合わせるってプロセスが必要なわけだ。ところがだ、肉体の一部が剥がれれば完全性は損なわれるし、染色体を二つに分ければ細胞の、いうなれば肉体の完全性がやはり損なわれる。すなわち、子供を作るプロセス自体が完全性の維持と矛盾しているのだ。
そしてもう一つ。生命の危機がないというのも大きいと思う。自分が死なない、滅びない以上は種としては完璧であり、子孫を残す必要がないのだ。
ところが最近ではこれらの原因に加えて、種として違うから興奮しないのではないかという気もしている。例えば犬や猫を見て可愛いからと『物理的に抱きたい』と思う人は多いが『性的に抱きたい』と興奮するのは特殊性癖の持ち主で少数派である。もしそれが理由なら幸か不幸か俺は少数派ではなかったということなのだろう。
その思いは視覚補正なるいつの間にか発動してた機能をオフにした時に確信に近くなった。
常々、虫や植物、食べ物に動物に建物に至るまで地球と似ているものが多いことに疑問があった。ワイバーンやぷにゅでさえもゲームや漫画で出てきそうで生理的に受け入れられるデザインであった。そんなものだろうと思って過ごしてきたが、ハエの様な生き物が体にぶつかった拍子に肋骨が折れて、肺に骨が刺さった痛みで我に返ったのだ。「こんなハエがいて堪るか!」って。
そしたらできちゃったんだ『視覚補正解除』が。開けなきゃよかったパンドラの箱。
緑色でどこかで見たことがあるような植物だと思っていたものが、極彩色の見たことがない形の『植物風ですらない』『ナニカ』。虫が嫌いだったが、それを超えた『クリーチャー』な『ナニカ』。もはや認識の範疇を超えて『なにかわからない』『ナニカ』。人間の能力じゃ認識できない波長の色で見えない存在の『ナニカ』。見たことも感じたこともない情報に満ち溢れ、脳が過負荷に耐え切れずに卒中を起こした。卒中は時空コンピュータとナノマシンですぐに治ったが。それと失明した。これもすぐに治ったが。治ったのは良いが『ナニカ』の世界に慣れないので卒中と失明のエンドレス。あれは苦しかった。視覚補正を再び有効にするまで激しい嘔吐を繰り返したものだった。
視覚補正によってマイルドで受け入れやすい情報に変換されていたのだ。
そんなわけで虫は嫌いだが、人類の知覚能力の限界を超えた『ナニカ』よりは遥かにマシということで受け入れるほかなかったのだ。
いや、あえて俺が嫌悪する『虫』にしたのには意味があるのだろう。なにせこの『虫』、本家地球の虫と同じく何を考えているのか、どう動くのか予想がつかない。予想がつかないとどうなるかっていうと……俺の体が簡単に壊れます。節子ちゃんほど力が強くないとはいえ、羽虫みたいなのでも骨折レベルのケガを負わされます。カブトムシレベルの大きさの『ナニカ』が猛スピードで突進してくると俺の体が貫かれます。俺がピッコロ大魔王ならお前は孫悟空かってレベルでズッポリと体に穴が開きます。いや、さすがに爆発はしないしマジュニアに夢は託さないけどさ。ん? 次代の俺に夢を託し続けてるから同じか?
とにかく、『虫』が苦手。あいつら潜んでるし、数が多いし……天敵だわ。なんて考えから本来的に苦手な虫と同じ姿にしたのか、無意識になってしまったのか、なんにしてもここで四年も五年も過ごしているうちに『植物』も『虫』も今の状態でしっくりするようになっていた。
なんて回想に浸っているうちにラーメンの麺がスープを吸って、容器からは液体が窺えないほどになっていた。




