幸子の出産
「う~っ……う~っ」
俺が谷の向こうへと着くとなにやら呻き声が聞こえた。
「ようやく来たか!」
俺の顔を見た富蔵さんが安心したような表情を作る。
「幸子が産気付いた! なんとかしろ!」
そして俺に丸投げ。って、え!?
見ればお腹を抱えた幸子さんが呻きながら脂汗をかいていた。
「なんとかしろと言われても……。富蔵さんが何とかしてくださいよ! 二人目なんだから!」
うろたえながらも富蔵さんに言葉をそっくりそのまま返した。
「お前、あれ、あの権蔵の時はだなぁ。街の中、宿屋だったからすぐに産婆を呼んでもらったんだよ!」
心なしか富蔵さんも脂汗をかいている。こうなれば俺が落ち着かないといけない。こういう時は深呼吸だな。
「ヒッ、ヒッ、フゥ~ウ。ヒッ、ヒッ、フゥ~ウ」
ってこれ深呼吸じゃないや! ラマーズ法? だっけか。出産時にするって聞いたから間違いじゃないよな?
「おい、ウマ! 変な呼吸をしてないでなんとかしろ!」
そうだった! 俺がやっても意味ないや!
俺たちが混乱している間にも幸子さんは呻き続け、脂汗で全身が濡れていた。
『そろそろ産まれるみたいだけど……雄か雌のどっちだと思う?』
『さっきも聞いたべよ? 顔つきが穏やかになってたから、オラは雌だと思うな』
俺たちとは対極的なのんびりとした会話が聞こえてきた。馬二頭が世間話をしていたのだ。
『あの……出産とかには慣れてるんですか?』
気が付けば、溺れる者は藁をもつかむ。うろたえる者は馬にも相談する。そんな感じで馬に話しかけていた。
『多少はね?』
馬はどうという感じでもなく答えた。
『あの……アドバイスとかありませんかね?』
『ほっといたら産まれるべよ』
『んだんだ。難産の時は人の手も借りっぺ。んだども、ダメな時はダメだ。諦めろ』
所詮は畜生だった。参考にならならない。そんなに諦めのよい性格ならはるばる過去にまでやってこない。
『そだ! 前に来た時はここからちょいっと行った所に集落があったべ』
『そういえば、そうだったなぁ。そこの慌ててる人も山菜汁をうまそうに食ってたのに忘れてしまったんかなぁ』
畜生と思ってごめんなさい。すごく参考になりました。
「富蔵さん! この先の集落に幸子さんを連れて行きましょう!」
それを聞いた富蔵さんの顔色が変わった。
「その手があったか! いや、俺はなんでそんなことも思いつかなかったんだ!」
そして幸子さんを抱えると「行くぞ! ちょっと我慢しろ!」と目にもとまらぬ速さで駆けて行った。
集落は山の中腹を切り開いた場所にあり、そこには三十件程度のログハウス風の家が並んでいた。俺が夕焼けで赤く染まったその集落に着いたのは、富蔵さんたちと別れて三時間後のことだった。
「おせぇよ! なんでのんびりと馬車に乗ってやってくんだよ!」
俺を見つけた富蔵さんが八つ当たりのようにののしってきた。富蔵さんのように馬車を担げない俺は馬を馬車に繋ぎ、手綱を握ってここまでやってきたのだ。『のんびり馬車に乗って』なんて言われても、俺が走るよりはだいぶ速いと思いますよ? 脆弱な地球人のなかでも不健全な生活をしていたミドルティーンを舐めちゃいけません。
かなり混乱していた俺だったが、馬車に乗っているうちに冷静になっていた。よくよく考えてみれば、無事に生まれるってことは馬車にサスペンションを設置した時点でほぼ確定していたのだ。俺が慌てる必要はどこにもなかったのだ。そんなわけですっかりと熱が冷めた俺はここまでの道のりを、この世界の一般市民である幸子さんの幅跳び能力に対して盗賊や学生時代に体験した貴族の子弟やお嬢様の攻撃速度が随分と遅かったことから、能力の比率的に力や持久力に対して瞬発力が随分と控えめになっている種族なんじゃないかと考えたりする程度の余裕は取り戻していた。
「富蔵さんこそ家にも入らずに外でウロウロとどうしたんですか?」
「俺だって幸子と一緒に居たいよ? だけどよ、おろおろとしてるだけで何もできない男は邪魔ってここの女連中に家から追い出されたんだよ! いや、わかるよ? たしかにそうかもしれないけど……俺の気持ちもわかるよな?」
泣きそうな表情でブツクサと俺に愚痴を言ってくる。
「あ~……そうッスね~」」
適当に相槌を打った。俺の年齢で出産を待つ男親の気持ちがわかる奴などいないだろう。いや、世の中は広いしそれなりの数がいるかもしれないが、少なくとも童貞……どころかデートやら女の子と手を繋いだりという経験すらない十代中盤には学校の先生の苦労以上に想像しがたいものである。むしろ俺の興味は普段は横柄な富蔵さんがここまで落ち着かなくなるものなんだということであった。
『人間の雄は情けないべさ』
『んだ、んだ』
馬たちのそんな会話に耳を傾けながら、所在なさげに木の周りウロウロと歩き続ける富蔵さんを観察すること数十分。赤ん坊の泣き声が聞こえた。それと同時に富蔵さんが曲がった鉄砲玉のように一軒の家へと駆けこんでいった。




