常識ってなんだろう?
山道に揺られて考えた。川沿いの町に行くのにどうして山を登るのだろう? と。
川を下るのならば舟に乗ればいいじゃない。その方が荷物も運べるんだし。
そんなわけで運送屋さんに聞いてみました。
「どうして船を使わないんですか?」
「あ!? 何を使わないって?」
運送屋さんこと富蔵さんは聞き取れなかったようで聞き返してきた。船と舟を間違えたのは内緒だ。どっちも音にすると一緒だけど。異世界だと違うのかな?
「舟で川を下ればいいじゃないですか。って言ったんです」
聞かれなかったのを奇貨として、さらっと舟に訂正。
「だからなんだよ? 全然聞き取れねぇぞ!」
そんなに馬車の車輪がうるさかったっけ?
--この世界に船および舟に相当する存在なし。Ver.3
ん? この世界には水の上を運行する乗り物がないってこと? たしかに川とか飛び越えられるから渡し舟とかはいらないんだろうけど……。存在しないから単語がなくって、単語がないから翻訳されずに日本語のままで向こうは聞き取れないってことなのか?
弟だったら「我妻栄っていう民法の権威は海商法の授業で『船とは、水、空または陸を航行する一定の建造物にして、航行とは、他力に依りて自在に自動するがごとき状態に在ることなり』って習ったらしいよ」なんて定義付けから始めそうだが、Ver.3は俺だ。船または舟とは、いわゆる俺が思う水の上を移動する乗り物のことなのだろう。
「どうした? なにかブツクサいったと思ったら急にだんまりでよ」
「えー……。あ~、なんでもないです。ちょっとした気の迷いです」
「気の迷い?」
富蔵さんはなおも納得しない様子で首を傾げる。が、すぐにその関心は別の方向へと動いたようだ。
「クソッ! 橋が落ちてるじゃねぇか!」
富蔵さんは馬車を停めながら悪態をついた。
見れば馬車の向こうには深い谷があり、その裂け目には元は吊り橋だったと思える残骸の片割れが無残なその姿を晒していた。それを見た俺の率直な感想はというと……あの吊り橋で馬車を渡れたのか? だった。その吊り橋は、いわゆる登山道にあるような揺れる吊り橋の道幅を太くして、広さ的には馬車が通行可能になったような感じのものだったからだ。……異世界クォリティというしかあるまい。
「それでどうするんです? 戻りますか?」
150Mはあろうかという谷を目の前にした俺の進言を富蔵さんは素っ頓狂な表情で受け止めた。
「なんだって、そんな真似をするんだよ」
富蔵さんはまことに不思議そうにそう答えると荷台の幸子さんに声をかけた。
「おい、幸子。橋が落ちてるから、ちょいと降りてくれ」
幸子さんは眠そうな声で「は~い」と応じると丸くなったお腹を重そうに、かつ、大事そうに抱えながら慎重に馬車から降りた。
「ウマ、お前もいつまで御者台に乗ってるんだ。さっさと降りろ」
その様子を眺めてた俺にも降りろとのお達しがやってきた。
富蔵さんは馬の軛を開放し、馬車から放すと馬を落ち着かせながら俺に命じてきた。
「俺は馬車を運ぶからよ。お前は馬を頼むわ」
何を? と答える間もなく富蔵さんは馬車を軽々と背負うと、軽く助走をつけて吊り橋がかかっていた谷をひとっ跳び。難なく向こう側へと着地した。鉱石満載だというのに、どこのスーパーマンかという動きである。
「おい! なにをしている! さっさと馬を寄越さないか!」
そして谷の向こうからの怒鳴り声である。いや、俺はあんな風に馬を背負えませんよ? かくなる上は最後の手段である。
『あの……向こう側まで跳べませんか?』
馬と直接、は・な・し・あ・い! である。
『んだぁ? あんなの軽く跳べるべよ。 なぁ?』
『んだ、んだ』
馬たちはそのように答えてくれた。
『それじゃあ、跳んでくれませんか?』
『え~……』
『向こうに行ったらまた馬車を轢かせられるべさ?』
当然と言えば当然の難色を示された。そりゃ不眠不休で馬車を轢かされるんだ。俺だって嫌だよ。
『んだけど、そろそろ赤ん坊が生まれるべ?』
『んだ。たしかに気になるべ』
『オスとメスどっちと思うべや?』
『オラはメスだと思うな。最近顔つきが穏やかだもんなぁ』
『んだなぁ。そだったら、一緒に跳んで見に行くべさ』
馬たちはそう申し合わせると、やはり軽々と崖を飛び越えていった。異世界の馬ってのはすごいもんだね。不眠不休で走り続けてる辺りから知ってたけど。
「馬自身に飛び越えさせるなんて思ってもなかったぞ!」
感心してる俺に富蔵さんが崖の向こうから声をかけてくる。そして此岸に残るは俺と幸子さん。
「それじゃあ、私も行くわね」
幸子さんも馬に続けと、臨月に達しようかというお腹を抱えて軽く崖を飛び越えていく。妊婦ってなんだろうね? 俺はどうやって渡ろう? 150Mの幅跳びとかオリンピック選手でも無理ですよ? っていうか哺乳類……に限らずで跳べる生物なんているのか? 鳥とか蝙蝠は飛ぶだし。ムササビとかなら滑空で行けるのかな? よく知らないけど。少なくとも俺は蝙蝠でもムササビでもないから無理だ。
なんてね。気圧差を作って渡ってもいいし、磁力を使ってもいい。なんなら落下のエネルギーを質量化してもいいし、重力もコントロールできるらしいからそれでもいいけるだろう。他にも飛び方は色々とあるだろうし、跳ぶ方法もありそうだ。跳ぶのは着地の時に痛そうだから嫌だけど。
「おい! ウマ、早く来い!」
なんて逡巡を打ち消す怒鳴り声。はいはい、よっっと。
俺は勢いをつけて谷へとダイヴ! 体の背面に低気圧の空気を作り、腹側には高気圧の空気を発生させる。すると気圧差で下から上へと体が浮かぶ。ふと、浮力と揚力の違いなんて高校受験に関係ない話を弟に教えられた中三の夏休みを思い出した。思い出しながら、進行方向にも低気圧の空気を発生させて推力として利用する。うつ伏せの状態で慎重にノロノロと進むその姿を傍から見たら、さぞや間抜けなスーパーマンだろう。
「遊んでないで早く来い!」
そして飛ぶ怒声。普通はさ「人間が飛ぶなんて!」なんて驚いてくれるもんじゃないの? この世界の水準が地球の普通のレベルを凌駕してるから仕方がないかもしれないけどさ。妊婦さんが150Mを軽々と跳ぶ世界だもんな。
「遅いぞ! 早く来いと言ってるだろ!」
富蔵さんが俺を急かす。そんなことを言われても今日初めて飛んだのに無理。思い付きで飛べただけでも誉めて欲しいくらいなのに。下の高気圧が邪魔だったのか風自体はクルクルと乱気流状態なのによく制御できてる方だと思いますよ? 時空コンピュータに制御してもらってるからなんだけど。
「いい加減に遊ぶのをやめて、とっとと来い!」
再び急かされた。「遊んでませんよ」なんて弁明は聞き入れてもらえそうもないから「はいはい」としか言いようがない。もっとも富蔵さんにも急かす理由があったのをすぐに知ることになったのだが。




