バトラーさんのこと
『いままでなにをしていらしたのですか?』
老紳士に言われた言葉が耳から離れなかった。
たしかに今まで何をしていたのだろう?
それはもちろん〝俺“のことだが、〝俺ではない俺“のことも含めてだ。いや、むしろ後者に対しての問いかけがメインといってもいいだろう。
なにも哲学的問答をしようというわけではなく、単純な事実としての“俺ではない俺”だ。
そう“バトラーさん”のことだ。“バトラー”といっても地下室にて俺を鍛えたマサラ子爵に仕える老紳士ではなく、俺をこの世界に招いた未来の俺の一つの姿としての“バトラーさん”の方である。
なぜ彼は、“バトラーさん”はなにも教えてくれずに、俺を碌に鍛えようともしなかったのだろう?
いや、精神的に鍛えるという意味では十二分に鍛えていたといえるだろう。それこそ規則正しい生活の一つもできず、少し歩けば筋肉痛、マッチョな男には見るだけで恐怖し、女性相手には目を見て話すことすらできなかった、そんな引きこもりを(自己評価では)人並みにしたのだから。
自己評価を冷静に行うと少々へこむが事実なのだから仕方がない。しかし、その一方で実際に役に立ち、かつ、俺にしかできないことの訓練という意味ではまさしく『いままでなにを?』ってレベルであるのもまた事実だと思う。仮に面接に行ったとしたら「この空白期間はなにをしていたのですか?」なんて聞かれると困るレベルでなにもしていない。もしそんなことがあったら「早寝早起きの習慣をつけていました」って答えて「はい。帰ってくださって結構です。あなたの今後に幸があることをお祈りします」なんて言われてしまうだろう。
もし仮に“バトラーさん”、ややっこしいが未来の方の----これまたややっこしいが俺にとってはではなく、時系列においての未来の----“バトラーさん”が本気を出して俺を鍛えたらどうなっていただろうか?
あの一週間足らずで俺はかなり覚醒したと思う。それこそ以前の俺が十人がかりでも全く歯が立たないくらいに強くなった。もっとも十人がかりの方も俺であるから死なないし、すぐに再生するから勝負はつかないとは思うのだが。
その覚醒は達人とはいえ、俺の氏素性は知らず、俺の能力のことは知らず、主に言われたからと鍛えている、そんな老人によって短期間に促されたものだ。
それが俺の氏素性を知り、俺の使える能力等を俺以上に熟知し、俺を鍛えた結果得られるものが自分の悲願だった者によってなされれば、より短期間により強くなれたのではないだろうか?
思うにクロウとかいう小男には勝てただろうし、スチュワートに対しても勝てないまでもなんの役にも立てなかったということはなかっただろう。そういう状態だったならお嬢様の救出に成功していた可能性が高かったはずだ。いや、そもそもお嬢様が攫われた原因は俺が無能だったからなわけで、誘拐劇そのものさえも回避できたのではないだろうか? いやいや、それ以前に権蔵さんを助けて没落さえも回避できる可能性だってあった気がする。
それではなぜバトラーさんは俺を戦力として鍛えなかったのか? 何度問うても時空コンピュータは答えてくれぬ。おそらくロックがかかっているのだろう。
こうなると想像するしかない。
バトラーさんはお嬢様達を助ける気はなかった?
間違いなくNO! それなら自分個人の人生を奉げてバトラーとして仕えて、そのうえ自分個人と異なる個体である過去の自分の人生までを奉げる意味はない。
過去に送って俺に見せたいものがあった?
おそらくNO。もし何かを見せたかったとしても、自分の人生を奉げたお嬢様達を無残な目に遭わせてまでも見せたいものがあるとは思えないからだ。
俺を鍛えて戦力にしてはならない理由があった?
可能性としてはあり得る。過去に核爆発を起こしたのがいたらしいから中途半端に鍛えるわけにはいかなかったのだろう。これなら心を安定させるために精神修行に力を入れさせたのも納得である。ただし、なにも教えないというのはやはり不自然だ。少し、それこそ隠蔽術等を教えるくらいはあっても良さそうだ。
お嬢様を助けるのも大事だが他にも大事なものがあった?
情報量が少なくてちょっと想像ができないがおそらくNO。それならバトラーとしてお嬢様に仕えなくてもよくなるからだ。バトラーとして他の有力な貴族に仕えるなり、誰かに仕えるなどという枷を課さずに圧倒的な能力を利用して自分の思うがままに世界を造り変える方向に頑張ればいいだけだ。
他にもいくつか思いつく。例えば下手に鍛えてイレギュラー因子を増やすと核爆発したケースの様に引き継ぎが困難となる可能性があるから従前通りの引き継いできたとか……。しかし、いずれも決め手に欠けて思考が霧散する。そして似たような考えが再び思いついてはそれを否定し、想像から消していくの堂々巡りであった。
「おいおい、再会した時のスッキリ感はどうしたんだよ。街を出てからずっとそんな調子だぜ?」
好奇心に心配成分----極々わずかな隠し味程度----を混ぜた質問が横からなされ、俺は正気を取り戻した。
マサラ鉱山を後にして三日ほどが過ぎていた。当然のように馬車は不眠不休で進んでいた。
かなり揺れる馬車だがさすがに慣れた。その影響か、隣に座る富蔵さんに運転を任せたまま御者台の上で思考の迷路に迷い込んでいたのだ。
『全くだぜ。オラ達に走らせて自分はぼんやり。いい身分なもんだ』
馬にまで悪態をつかれた。俺じゃなきゃ理解できなかったね。
「ちょっとバトラーさんについて考えていました」
どちらに言うでもなく口をついて言葉が出ていた。愚痴だったのか弁明だったのか、あるいは自分の中で整理するためだったのかは俺自身にもわからない。もしかしたら疲労感に負けて、何も考えずに思ったままの言葉が出たのかもしれない。
「あ~……バトラーかぁ~」
富蔵さんがそれを聞き逃さずに素早く応じた。そして納得したように感嘆し、何度もうなずいた。
「たしかに考えるべき部分は多いよな」
俺と違うバトラーさんのことを言っているであろう富蔵さんは一方的に同意して話を進める。
「お前にとっては師匠みたいなもんだろうからあんまり言いたくねぇけどよ」
そう前置きしたうえでさらに続ける。
「たしかに強いし、優秀だけどよ。やっぱりあそこまでなる奴は異常というかなんというか、とにかく人間として大事なモンをごっそりと置いてきちまってるんだろうな」
認めてはいるが認めたくはないといった調子である。
「まぁ、究極的には俺たちにとっては信用できる相手じゃないし、考えてわかる相手でもない。あんまり気にしないこった」
そんな調子で俺の考えていた“バトラーさん”にも通じるアドバイスを受けているときにそれは起こった。
--警告‼
---凶器等を携帯し、心拍数等から臨戦態勢と思える36体の人型生物を感知
表現するのならば赤い大文字が点滅するイメージの情報が頭に流れ込んできた。
「富蔵さん! 敵です! 36人ほど隠れています!」
「おい! 儂は気が付かなかったぞ!」
慌てた様子の富蔵さんが手綱を引き締めながら辺りを探るように見渡す。
「……36で間違いないんだな?」
富蔵さんが俺に確認をとる。
「はい! そのはずです!」
時空コンピュータによればだが。
「35人しか見つからぬ……」
声を抑えた富蔵さんが一転、馬を加速させた。
「おい! 走って逃げるぞ!」
富蔵さんは俺にそういうと荷台に飛び移り、幸子さんを抱えると馬車から飛び降りた。
俺はというと何が起きたのかわからずにいまだ御者台で呆然としていたのであった。




