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訓練五日目

 明日っていつからだろう?

 現代日本みたいに00:00から? それに準ずる時間があればだけど。おそらくだが、学校とかがあったから時間の概念はきっとあるだろう。

 それとも空が白んで明るくなったら?

 あるいは初日の出みたいに日の出から明日?

 日本みたいに日の出を基準にしている文化があれば、日の入りを基準にしている文化があってもおかしくはない。それどころか月が基準で月の出や月の入りかもしれないし……って、ここだと月が二つあるからどっちの月とかと考えるとややっこしい話になるな。それに太陽や月の入りや出ではなく頭上とかの位置が基準かもしれないし、それ以前に天文が時間と関係ないかもしれない。それこそ一番鶏が鳴いたら翌日になるとかさ。

 いや、そもそも老紳士の言った『明日』とはそのような決め事の『明日』ではなく慣習としての(たとえば夜の十二時を過ぎてようが日の出後だろうが徹夜後の別れの挨拶が「また明日」というような)『明日』なのかもしれない。

 色々と考えているとわからなくなる。


 --知っているけど教えてあげない。Ver.73


 はいはい。いつ来るかわかっていると修行にならないからっていうんでしょ。


 ってなことで『昨日』の一件からは、いつ襲撃に来るかわからない老紳士に対応すべく、地下室を命令を与えたナノマシンで満たしつつ潜伏した。

 この遮蔽術も昨日は簡単に見破られたのでどこまで意味があるのかわからない。しかし、それに頼るしかなかった。警戒を維持して、あとはひたすら待つ。遮蔽の一部、俺の周りの真空状態を解除すれば老紳士の会話等を聞き取れるだろう。しかし、あの老人がその気になれば、普段と変わらぬ日常生活から、数秒とかからずに地下室に到達し、俺を攻撃するくらいはできそうだ。そうなれば、俺の対応は間に合わず、一瞬でなすすべもなく倒されてしまう。そう考えた結果、情報取集を諦めて、ひたすら光の屈折や音の遮断等利用して隠れて待つしかなかったのだ。幸いなことに自分の周りに薄い真空層を作っても酸素等は合成できるから呼吸の心配はないし、真空層の外側周りの分子をナノマシンで振動させれば周囲の温度の維持もできる。このおかげで外からは温度の低下から真空層の存在を察せられることはないはずだ。

 明確な時間指定はなかったが場所をこの地下室と指定されていることは俺には有利だった。潜伏状態からの待ち伏せとなるだけでなく、室内とあってここをナノマシンで満たせるし、老紳士が下りてくる間に様々な作戦を考えることもできる。



 どれほど待ったのだろうか? 警戒の維持というのは集中力も体力も削られて存外に辛いものだ。時間はおそらく昼過ぎだったのだと思う。俺のすり減った精神をあざ笑うかのように、老紳士は悠然と警戒する様子も見せずに地下室へと降りてきた。

 音は俺の周りに作った真空層で遮断されており、潜める必要はないのだろうが、俺は自然と息を潜め老紳士の一挙手一投足を注視する。

 老紳士は地下室に足を降ろすと室内を一瞥した。そして目が合った……気がした。心臓が一瞬強く脈打つと、その鼓動も速まる。落ち着け俺。理屈上は見えていないはずなんだ。もしここで何らかのアクションを起こせば老紳士は俺の居場所にあたりをつけて、攻撃開始。その時点で修行は終わることだろう。

 長らく目が合ったように感じたが、実際には一秒に満たなかったはずだ。いつの間にか老紳士はゆっくりと辺りを見渡す作業に戻っていた。一難は去ったのだろうか? 次は俺の番である。


 俺ははやる気持ちを抑えて大きく息を吐きながら三秒をゆっくりと数える。

 ひとつ。

 ふたつ。

 みっつ……。

 気持ちを落ち着けると光を操作して俺の幻影を十数体現した。うち一体だけは体臭付きである。臭いも物質なら時空コンピュータとその指示を受けた空間に漂うナノマシンにとって合成は不可能な作業じゃない。


 老紳士は突然出現した俺の幻影に対しても慌てる様子を見せない。構えもせずに見渡すだけだ。そして、一瞬だけ体臭付きの幻影を一瞥するとすぐに興味をなくしたかのように別の場所を探る。あまり意味はなかったようだが、それで十分だった。

 体臭付きの幻影はこの老紳士レベルになると通用しないが一瞬は興味を惹けるという実験はできた。それに今の問題としては、一瞥のおかげで動けるチャンスがやってきたのだ。

 老紳士が体臭付きの幻影に気取られた瞬間に右手を突き出した。なぜそんな恰好をしたかだって? 意味はないがポーズは大事な気がしたからだ。その構えから辺りを探る老紳士に対して放電した。放電といっても俺の体から電気を出すわけではなく、各幻影の右手辺りのナノマシンから放電し、地下室を漂うナノマシンが電撃を老紳士へと導くのだ。老紳士の周りのナノマシンが直接に電撃を喰らわせてもよかったのだが、今回の目的は老紳士に電気を流すことが目的ではないのでこれでよいのだ。目的は幻影が攻撃してくるというハッタリ、注意力・集中力削りだ。


 老紳士の視線から察するに放電には気が付いたようだった。だが動かない。動けなかったのかもしれない。そして構えすらしてない老紳士に対して四方八方から青い稲光が流し込まれる。加減がわからないので死ない程度とアバウトな命令で電撃を流した。“バトラー”である老紳士がそのような命令をしなくても死ぬとは思えなかったが一応は命令しておいたのだ。

 地下室には電撃による熱で焦げの臭いが充満していたことだろう。だが幸いにも俺はそれを感じなかった。体を覆う真空の膜がそれを遮っているのだ。おかげで電撃の光に包まれる老紳士を冷静に観察できた。

 老紳士は電撃に対しても平然とした様子である。服が焼けているのか、体から煤のような煙が立ちのぼっていることが熱を発している証拠だろう。それがなければ電撃を受けているとは思えなかっただろう。

 効くとは思っていなかった。しかし、それでも電気信号を受けて体がギュッと緊張状態になるかと少しは期待していたのだが……。地球の多くの動物のように脳からの電気信号で体を動かしているわけではなさそうだ。あるいは、外部からの電気をきわめて通しにくいのかもしれない。


 電撃では動きを止められなかった。仕方がないので次策として考えていた目くらましを講じることにしよう。ナノマシンで老紳士の目前に水素と酸素を原子分解で次々と生み出していく。熱を発するだけなら直接分子を振動させればよいのだが、目的は視界の妨害と集中力・注意力を逸らすことなのでこれがよい。頃合いをみてナノマシンに命じる。すると---爆発。


 目の前で赤い炎が一瞬だけ広がった。


 地面から揺れが伝わる。予想以上の爆発の大きさに恐怖した。爆発と同時に襲い掛かる予定だったのに体がすくんで動けなかった。老紳士の安否を気にするも砂埃の中に人影を見つけ安堵した。しかし、それも束の間、別の恐怖が俺を支配した。

 老紳士は目を瞑っており、体勢は中腰で手足を片方ずつ前にだしており、いわゆる半身、まるで空手か中国拳法のような構えをとっていたのだ。素人の俺には判断はできない。しかし、なんとなくだが、もし爆発に乗じて攻撃を仕掛けていたら迎撃されていた気がした。それほどまでに威圧感があり、ため息が出るほど美しく、俺のような害意を持つ者には恐怖を与えるものだったのだ。美しさに息を飲んだ後、俺は恥じた。爆発に惑わずに襲い掛かっていたら返り討ちなっていたであろうという恐怖に。そして襲い掛からなくてよかったと安心してしまったことに。そんな自分の心境に気づき酷く恥じ入った。俺は大きく首を振り心機一転、気持ちを入れなおす。

 先ほどは自分の未熟さで助かったに過ぎなかったのだ。俺は相手が誰であろうと戦えるようにならないといけない。


 電撃か爆発に乗じて攻撃する気だったが、その期を逃した以上は幻影と遮蔽頼りで攻撃するしかなかった。光の屈折による幻影は俺の動きをそのままに映し出すのが問題である。制限のないホログラムにしておくべきだった。……が、今更である。俺は足音に衝撃を被せて打ち消しながら一気に老紳士に詰め寄った。

 なにが奏功するかわからないもので、老紳士は俺の動きに応じて一斉に動き出した幻影達に目配せをしていた。それはあるいは初手の電撃の効果だったのかもしれない。だけど、俺にはそれ以上に初めて手合わせしたときは独立した幻影であるホログラムだったことが影響しているように思えた。同じ動きで一斉に駆け寄る幻影は老紳士にとっては予想外だったようだ。

 俺にとっては千載一遇のチャンスであった。これを奇貨として、一撃いや、一触りしたいところである。実は少し触るだけ、それだけで勝利を得られる方策がある。体内の衝撃を打ち消せるように、俺は衝撃を自在に出せる。それを外に向けて使おうという腹積もりなのだ。核爆発も起こせるようだが、さすがにそれは怖いので使う気はない。


 手を伸ばせば触れられる距離に近づき、それを実行に移した。そしてまさに触れんとした瞬間、老人が消えた。と、同時にわき腹に衝撃が走った。俺の気配を察した老紳士が瞬時に移動して横から蹴りを入れたのだ。

 その理解をする前に俺はダメージを最小限にするべく体内のエネルギーを打ち消していた。ほとんど無意識のうちにその作業を終えたおかげで、老紳士の目にも止まらぬ追撃に対応できた。

 老紳士は見えないはずの俺の位置を特定したのか、俺の額に一撃。その衝撃を感じる前に目が回る。続けざまに肩へも一撃。呼吸が苦しくなる。以前に不覚をとった例のコンボだ。

 だが、以前の俺とは違う。目が回るのはおそらく三半規管への影響だろう。呼吸は肺の空気が凍らされるから。回る視界と苦しい呼吸の理由を理解していく。これらの攻撃はダメージが軽微でナノマシンの回復機能や感覚遮断が働かないのは先刻承知済みである。それゆえに回復しない。ならばそれらを働かせればよい。ようは『壊してしまえばいい』のだ。

 事前にシミュレートしていた俺は体内に衝撃を走らせる。そして訪れる激痛と不愉快な破裂の感覚。両耳と肺を破裂させたのだ。辺りに血と臓物を撒き散らした。


 撒き散る赤い物体を警戒したのか、老紳士がいつの間にか距離をとっていた。服には返り血一滴ついていない。俺が派手に臓物をぶち撒けたにもかかわらずに……だ。さすがは“バトラー”である。信じがたいがある意味では当然の反応の早さだった。耳や内臓・筋肉の再生を感じながら相手の異常さを再認識した。

 俺では触ることができず、目で追うことすら叶わない速度で動かれ、反応が間に合わずエネルギーを消しきれない一撃を入れてくる相手。中々に絶望的である。

 その絶望的な存在である老紳士は少し離れた場所で軽快なステップを踏んでいる。そのステップでさえ、俺の視覚処理能力では処理しきれていないのだろう。ふいに消えて、まるで瞬間移動でもしたかのように異なる場所に現れる。あるいは“縮地”なる技なのかもしれない。とにかく、あの動きにはついていけない。

 そうはいっても、動きについていけないからと諦めるという選択肢はない。相手は人間の処理能力以上の動きをする。そして俺は人間である以上はその動きに応じることはできない。ならばどうするか? 簡単な話である。相手に処理できる速度にまで降りてきてもらえばいいのだ。


 --粒子場ON


 すると老紳士の顔色が変わった。なにがどう変わったというわけではないが滲み出る緊張感と迫力、地下室の空気そのものが変わったといってもよかった。

 粒子場の影響で老紳士の軽快なステップが“人並み”となる。運動エネルギーを質量に変えて動きに干渉したのだ。

 “人並み”の速度となったステップとは裏腹に老紳士の迫力は以前以上に人外の域へと達していた。

 だが、ひるむわけにはいかない。俺は注意深く、一歩、また一歩と老紳士に近づく。そして老紳士へあと一メートルとなった時、俺は吹き飛んだ。壁に激しくぶつかってもなにが起きたのか理解できなかった。千切れ落ちている左腕と地面の血痕を見てようやく攻撃を受けたのだとわかった。そして老紳士を確認すると右足で蹴ったかのような格好であった。

 動きは“人並み”であるはずなのにいつ動いたのかわからなかった。いつ攻撃をしてきたのか、いや、そもそも攻撃を受けたことにすら気が付けなかった。『魔法』なのか? 確かに『魔法』だとすれば物理法則を無視できるし、俺には理解できないものだが……。

 否、なんとなくだが普通の蹴りのような気がした。達人独特の『間』と『虚』というべきものだったのだろう。魔法は『秘中の秘』で極力見せたくないって目の前の老紳士が言っていた。おそらく組手では使わないはずとの予想もあった。


 さて、こうなると困った。触れればダメージを与えられる。しかし近づかないと触れられない。だけど近づけば蹴り飛ばされる。こちらの姿かたちは見えなくとも関係ないようだ。一方で老紳士から近づいてくる気配もない。間合いに入ったら攻撃するという完全なカウンター体勢なのだろう。

 殺すなら運動エネルギーの質量化で心臓の動き諸々を止める方法がある。他にも分子を振動させて熱する。逆に分子の動きを止めて凍らすなんて方法もあるだろう。なんなら周りの空気を奪っても良い。なにせナノマシンを散布してこの地下室を支配してるのは俺なんだ。他にも色々と方法はあるだろう。

 だけど、殺すのは組手の勝利条件じゃない。組手に勝つとなると良い手が思いつかない。一種の千日手ではないだろうか? それなら勝ちなのか? なにせ俺の方は飲み食いしなくても問題ないからだ。いや、腹は減るけどさ。

 集中力が切れたのか、俺はぼんやりとそんな雑念を抱いていた。


「参りました。私の負けです」


 その虚を突くように老紳士が挙手すると高らかに宣言した。

「えっ⁉」

 他のことを考えていた俺は理解できずに思わず変な声を出してしまった。

「万策尽きました。私の勝ち筋がなくなったので敗北だと申し上げたのです」

 老紳士はさわやかにそう言った。

「まさかこの数日でここまで変化しているとは夢にも思いませんでした」

 そう続ける表情はどこか嬉しそうだ。そして不思議そうに続ける。

「ですが、この短期間にここまで変われたのに今までなにをなさっていたのですか?」

 俺に言われても困るというか……旅とか、裸になるとか? 返答に困る俺を見かねたのか老紳士は咳払いを一つした。

「……まぁ、色々と事情があるのでしょう。差し出がましいことを聞いてしまい申し訳ありませんでした」

 そして深々と頭を下げる。いや、本気で謝られても困るんだけど。


「富蔵様と令夫人はすでに屋敷の前で待っておられます。すぐにでも行かれた方が良いでしょう」

 顔を上げた老紳士は微笑みをたたえていた。もしかして、それもあって早々に降参したのでは? なんて疑問が頭に浮かぶ。いや、そもそもこの老紳士は勝つための手段なら持っていた気がする。降参の宣言のタイミングで攻撃されていたら負けていたし、俺の油断に気が付かない人じゃないだろう。むしろ俺に自信を持たせるために敗北を宣言した可能性の方が高い。……が、この際どちらでも関係がない話だ。

「バトラーさん! 本当にお世話になりました」

 俺は自然と出てきた言葉と共に深く深く頭を下げていた。

「いえいえ。全ては主の命に従っただけです。それに私はなにもしておりません。全てはあなた様の努力と才覚によるものです」

 微笑みを崩さぬ老紳士は、俺に頭を上げるように促すと「着替えは上にあります」と急かす様に屋敷の外へと導いていった。



 屋敷の外では大あくびをしている富蔵さんと最後に見た時よりも腹部を中心に若干ふっくらとした幸子さんが馬車の前に立って待っていた。

「それでは私はこれで」

 玄関まで俺を案内してくれた老紳士は忙しそうに屋敷の中へと消えていった。


「よう、随分とスッキリとした顔になったじゃねぇか。便秘でも解消したか?」

 馬車のところまで行くと、富蔵さんの方から声をかけてきた。五日ぶりに会った富蔵さんは相変わらずの富蔵さんだった。

「もう!」

 ふくよかになった幸子さんが珍しく突っ込みを入れる。

「ハハッ! 男子三日会わずば刮目して見よって言えばいいのか?」

「ホント、男らしくなっちゃって。おばさん惚れちゃいそう」

「お、おい!」

 俺を置いてけぼりにして目の前の夫婦が盛り上がる。相変わらず笑ったり、慌てたりと仲が良いことである。そのつがいの一方が素に戻ったのか俺に話しかけてきた。

「いや、予定よりも早くなっちまって悪かったな」

 富蔵さんが珍しくばつが悪そうに謝罪した。

「ファームル伯から仕事を貰ったりしてよ。儂達の予定に直接影響が出る話じゃないんだが、貴族様への手前だらだら逗留するわけにはいかなくなっちまったんだ。形だけでも急いで仕事に取り掛かりました~って見せなきゃいけないからよ」

 そういえばファームル伯に商人を紹介するとかって盗聴で聞いたな。あの商人が富蔵さんだったのか。

「まぁ、そのうち埋め合わせするから勘弁してくれ」

 富蔵さんはそう言うと俺の返事も聞かずに御者台にひらりと乗った。

「地下室で何をやっていたのか道中で聞かせてくれよ」

 そして荷台の方に乗るように指し示す。俺はその指示に素直に従い、幸子さんに先駆けて荷台に乗った。そしてそこから手を差し出して幸子さんが乗るのを手伝う。

 それを御者台から確認した富蔵さんは「それじゃあ、行くぞ!」と一声かけると手綱を大きく振った。そして馬車が動き出す。

 俺は離れていく屋敷に頭を下げていた。

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