街へ
それは朝食の時に告げられた。
「今日は街に降りるぞ」
竜安寺富蔵がクラムボンを頬張りながら俺達にそう言ったのだ。
「ああ、それで馬車の用意をしていたんですね」
権蔵少年は納得と言わんばかりに頷きながらクラムボンをかぷかぷする。
「ああ、それで特別に問題がなければ、そのまま支店巡りついでに世界を周ってみるつもりだ」
「えっ……。いきなり言われても準備なんてしていませんよ!」
富蔵さんの言葉を聞き権蔵少年がかぷかぷを止めて抗議に似た声をあげた。
「いや、お前は街に残れ。俺や各地の支店からの連絡を受けろ。それに実務処理といった独立に向けた業務経験も必要だろう?」
十歳くらいから独立に向けた経験とは……。ゆとり教育とは程遠い。
「ですが……」
「ウマも雇ったんだ。こっちは問題ない」
なんだか俺に期待している様だ。……なにか出来たっけ?
「権蔵ちゃんは私と別れるのが辛いのよね?」とは幸子さんの弁。
「なんだ、お前はマザコンだったのか?」
「違います! ……もう、いいですよ」
溜め息混じりに応じる権蔵少年。なんやかんや言って仲が良さそうな一家の団欒といった風情だ。
部外者の俺はどうしているかって? 服一枚すらもっていないから準備の必要はない。加えて、どこに居ようがよそ者だし。装うまでもなく無関心にクラムボンを口いっぱいに入れて、口から鼻に抜けるクラムボンの香りをクラムボンするのに集中している所だ。クラムボン経験なんてそうそうできるものではないからな。かぷかぷもしてみたいところである。
その時、幸子さんが何かを思い出したかのように手を叩いた。
「あ、そうだ! あたしからも発表がありま~す」
幸子さんは買い忘れを思い出したかのように続ける。
「わたくし、竜安寺幸子は妊娠しましたぁ~!」
思わず口の中のクラムボンを吹き出しそうになってしまった。
他の男性陣はというと、食事の手を止めて唖然と幸子さんを見つめている。やはり突然の発表だったのだろう。
部外者感ここに極まれりである。帰っていいかな? 帰る場所がないけれど。
「おお! 幸子でかしたぞ!」
「……旅はどうするつもりなんですか?」
「もちろん、お父さんと一緒に行きますわ」
「どうした権蔵、あまり嬉しそうじゃないな。さては幸子が弟か妹にとられそうだからと嫉妬しているな? だが、心配しなくても幸子は初めから儂のものだ」
「もう、お父さんったら」
一瞬の間をあけて夫妻は大盛り上がり。なんだろうこの感じ。浪人していた頃を思い出す。
「……心配してるだけですよ。バカ夫婦は勝手にしてください。ウマの兄ちゃんもそう思いますよね?」
突然、話を振られた。思い出されたかのように、俺に注目が集まる。
「え~っと……おめでとうございまぁ~す」
いざ注目が集まると途端に弱気になる俺。語尾が自分でもわかるほどに弱々しかった。
「ほら、あきれてるじゃないですか」
俺の返答を権蔵少年はそう解釈したらしい。
「儂にはモテない男のやっかみが混じった返事に聞こえたぞ」
お嬢様ソックリな幸子さんがあっけらかんと妊娠を発表するのにはなんとも言えない微妙なものを感じたのは事実だ。だけど、やっかみとはちょっと違う気がする。
「答えはここをこうして……こう。そうでしょ、ウマさん?」
幸子さんはというと、指で輪っかを作ると後ろ髪を束ねてポニーテールにする。そしてポニーテールを振るように一回転。ポニーテールを躍動させると俺にウィンク。うん、意味がわかりません。うなじの魅力に目覚めそうだったけど。
まぁ、三人の中だと幸子さんの答えが一番近いか? どうでもいいって感じで。いや、お嬢様の叔父か叔母になるわけだからどうでもいいという訳ではないのだが……。それよりもお嬢様に叔父か叔母がいたのに驚きだ。いてもおかしくはないんだけどさ。
「ほら、ウマの兄ちゃんも答えに困ってるじゃないですか」
権蔵君正解。
「そうか? 儂には俺の幸子に見惚れてるように見えたぞ」
うなじにうっとりしたから、富蔵さんも正解。
「あたしには昨日の晩御飯を思い出してるように見えましたわ」
幸子さんは黙っていてください。
「そういうことで飯を食い終ったら荷物を馬車に積み込むぞ」
なにが、そういうことなのかは知らないが、そういうことらしい。
「おし、これで全部だな」
富蔵さんは権蔵少年が最後の荷物を積み込むのを確認すると声を出して再確認していた。
「ウマの兄ちゃんは働かないし、母さんは身重だし、父さんは結界を書いてるし、僕一人で運ぶとか……」
少年に恨みが籠もったジト目攻撃を受けた。ごめんね、サボったんじゃなくて非力で役に立てないんだよ。
「だから、あたしが運ぶって……」
「母さんはいいの!」
「権蔵ちゃんがお腹の中にいるときは普通に働いてたのに……」
幸子さんが頬を膨らます。
「忘れ物はないな?」
そんなやり取りに構わずに富蔵さんが俺達に確認を求める。服一つ持っていません。忘れられるような物の一つも持ちたいです。そういえば、この惑星に飛ばされてから、俺の所有物って存在したことがないんだよな。お嬢様の屋敷では最後まで給料をもらえなかったし。断捨離すらできない俺は出家すらできないね、うん。
「ふん!」
暫くの間を置いて、富蔵さんが気合いを入れると青白い半透明のドームが屋敷全体を包んだ。
「えっ、なにそれ?」
思わず言葉が漏れた。
「なにって……結界じゃないですか」
当然のように答える権蔵少年。
「結界とは無縁の世界に生きてきたんだろうよ」
そんな権蔵少年の頭を撫でながら、富蔵さんが応える。正解といえば正解である。少なくともドーム状の結界とは無縁の世界であった。もっとも、弟は『聖と俗』とかいう本を読んで「ディズニーランドも結界に囲まれた場所なんだよ」なんて意味のわからないことを言っていた。
「長期間留守にする家はこうやって結界に包むもんなんだよ。不審者に侵入されたり風化を防いだりする必要があるからな。もっとも召し使いなりに家の管理を任せられる家は結界なんて張らないが」
富蔵さんの説明の方が弟のよりわかりやすいな。
「長期留守って……権蔵くんは?」
「街で生活させる。その方が色々と便利だしな」
俺の質問に答えるや富蔵さんはひらりと馬車の前部に乗ると手綱を握った。
俺はというと、幸子さん、権蔵少年に続いて荷物が満載された馬車の荷台に乗り込む。
「それじゃあ、行くぞ」
富蔵さんのそんな掛け声とともに三頭立ての馬車が走り出した。
その馬車の乗り心地と来たら……初めて乗った馬車を彷彿とさせる劣悪なものであった。




