大旦那様
思い返してみるとあの頃から変だった。
武闘会が終わった頃から俺の屋敷内での扱いがだいぶ良くなっていった。お嬢様が屋敷の中心である以上は、お嬢様との距離がそのまま屋敷内での地位になるのは道理であり、試合の介添人に選ばれたことから一目置かれるようになったのである。それも影響しているのか、バトラーさんの用意した味のない豆地獄からも解放され、割と自由に物を食べることが出来る様になっていた。もっとも、どれもあまり美味しくないのが残念ではあった。
そんなこともあり、順風満帆と勘違いしていた。そんなある日のことである。
俺はお嬢様のお供で、バトラーさんと共に大旦那様の屋敷へと行く機会があった。
お嬢様は庭園で大旦那様と紅茶を嗜みながら、まるで年頃の少女の様に目を輝かしながら談笑していた。本来であればそれが自然なのだが、お嬢様に関していえば初めて見る表情であった。
こんな表情もするのかと、お嬢様の横に立ちながら思っていると、突然に大旦那様が真剣な表情になった。
「なぁ、貴子や。儂の娘にならんか?」
「お爺様、何を言ってらっしゃいますの?」
「息子には話を通してある。財産を相続させないなら構わないという話だ」
日本だと相続税対策で孫に継がせたりするというのに……、お金持ちにはこの世界の方が優しいようだ。貴族制だし、そんなものか。
「年寄りの我がままと思って理解してくれぬか?」
「ですが----」
「この通り!」
迷うお嬢様に、机に頭をつけて頼み込む大旦那様。
「お爺様、お顔を上げてくださいませ」
「貴子が儂の養子になると言うまで上げぬぞ」
お嬢様が慌てて大旦那様に顔を上げて欲しいと頼み込むが、大旦那様は頑として聞かない。押し問答をしばらく続けるうちにお嬢様が溜息をついた。
「……わかりましたわ。そこまで仰るのなら、お爺様の養子になりますわ」
根気比べで負けたお嬢様が疲れた様に言い放つ。
「おお、そうかそうか! それでは、これらに署名してくれ」
ニコニコ顔の大旦那様が紙を二枚取り出すと、サインを促す。
「二枚とも……ですの?」
「うむ。一枚は保険の様なものだ。気にするな」
「お爺様がそう仰るのなら……」
そして碌に読まずにサインをするお嬢様。ダメですって。
「うむ。これで貴子は儂の娘だ」
笑顔満点の大旦那様が満足気に頷いた。
「中で貴子の好きなパンケーキを焼かせておる。ルゥちゃんに全部食べられないうちに行っておいで」
そして「まぁ!」と嬉しそうに走り去るお嬢様。年相応どころか、普通よりも幼い少女の様にも見えた。おそらく、ここが唯一無防備になれる場所なのだろう。
大旦那様は満面の笑みでお嬢様が屋敷に消えたのを確認すると、一転、厳めしい表情となる。
「バトラー、それに馬野……だったか? そこに座れ」
先ほどとは打って変わって、威厳に満ちた声色であり、有無を言わさぬものであった。
「あの子には可愛そうな事をした」
やはり、さきほどの契約書はなにか仕込みがあったのだろうか。そんな疑惑を抱きながら、椅子に腰をかけた。
「儂が貪欲な金儲けをし、それを利用したバカ息子が権勢欲に駆られた所為で、何一つ自由などなく育ってしまった」
大旦那様の悔悟は続く。
「自由が無いだけでなく、食うか食われるかの世界に生まれてしまったのだ。せめて人並みの幸せを掴んで欲しかったのだが……」
食うや食わざるやの世界に生まれるよりはマシだなんて感想は禁句だろう。
「これまでは儂が何とか守ってきたが、儂がいなくなった後は……」
初めの威厳はどこにいったのか、弱気な発言を繰り返した大旦那様はバトラーさんの手を取り懇願を始めた。
「バトラー! 貴子をよろしく頼むぞ」
「元より主人を守るのは私の仕事ですので」
バトラーさんは冷静に返すと大旦那様の手を握り返していた。
「では、儂もパンケーキを食べに行くか。馬野、お前も頼んだぞ」
大旦那様はそれだけ言うと二枚の書類を大事そうに抱えて屋敷の中に消えていった。
大旦那様の後姿を見つめながら、バトラーさんが自分に言い聞かせる様に呟いた。
「大旦那様はもって数日。覚悟を決めておいてください」
そして、混乱する俺に今度は確認をとるように聞いてきた。
「新しい能力は使える様になりましたか?」
「え、ええ、まぁ、一応……」
話してもないのに、弟から渡された『モノ』をバトラーさんがなんで知っているのかなんて疑問はもはや無意味であろう。
「一応では困ります。ある程度は役に立つ様に使いこなしてください」
「はぁ……努力はしてみます」
俺の生返事を聞いてバトラーさんが悲しそうな表情を見せる。いや、俺だって「はい! 必ず!」なんて威勢よく答えたいよ? だけど実情としては生返事にならざるを得ないんだって。なにせ、この新能力……意味なさすぎるんだもん!
まず、おそらく中核であろう時空コンピューター。これは俺がアクセスできるようになった『なにか』である。弟と別れてから暫くしたら『繋がった』。いきなり、それこそ突然に閃いたかのように『繋がった』のである。それ以外の表現方法が思いつかない。客観的に見れば凄い『なにか』だ。俺が『知りたい』と思った事を教えてくれるデータベース、高度な計算能力、観測・計測能力等々。だけど『知りたい』と思った事しか教えてくれない不親切設計の上、データベースにないと???表記という穴っぷり。観測・計測なんていうのは、俺がここに来たときから何故かもっている能力だし。要するに親切に矢印で聞いてもないことを教えてくれる『俺のチート能力』の劣化バージョン。俺には不要である。
これに付随して与えられたのは、ナノマシンと生体エネルギー炉。多分両方とも凄いんだよ? だけど……やっぱり、使えない。ナノマシンは俺の体内で時空コンピューターが作った様だけど、簡単に言えば『肉体の完全性を維持する』モノらしい。怪我とかしたら治してくれるようなんだが……。どう考えても使い道がない。だって、安寿の治癒魔法とか、虹色軟膏とか、バトラーさんの謎カプセルとか治療技術が発達している世界にこのマシンの出番はない。あったら、あったで便利かもしれないけど。
生体エネルギー炉は……少しは使えるかも? なんだかよくわからないけど、俺に凄いエネルギーを供給してくれているらしい。いや、らしいというよりは、確かに力が満ち溢れている気がする。問題は俺の体が持たない。そして、俺の体力の限界まで力を出しても……俺ってば、この世界だとやっぱり非力。一が十になっても億や兆の前だとあんまり変わらない的な? っていうか、この世界の人達ってば力があり過ぎ。実はこのエネルギー、指向性を持ったエネルギー光線としても使える。問題は……やっぱり俺の体が持たない。指先から出すと……俺の指を突き破って光線が出る訳だ。当然痛い。さらに熱量が凄いのか、肩に至るまで酷い火傷を負う。要するに使えません。使った時が学校の実習時で助かった。なぜなら僕らの天使、藤原安寿がパパッと治してくれたから。もっとも、仮に肉体負担がなくとも、ベアトリクスさんが使っていた火柱を巻き上げる魔法の方が派手で強そうという半端感のある能力である。
だけど、こうしてまとめてみると俺ってば地味に人間を辞めてるよな。問題は異世界人……正確にはここの異星人がそれ以上に人間の範疇を越えてることだな。そもそも人間じゃないけど。
ってわけで、無いよりはマシだが、この世界では微妙過ぎる能力をどう使おうか……悩んでいるうちにその知らせはやって来た。
バトラーさんの予見していた訃報である。